第19話「想いは確かにここにあるから」
その後も何度かゲートに挑んだものの、結局ペケは純白の門を通ることはできなかった。この事態には窓口の魔女も困惑し、上司である政府の役人までもが駆けつけることとなった。
それから、ペケとニコはすぐに小さな待合室に案内された。役人たちは事態を重く見たようで、今すぐ別室で協議を行うという。
「さっきはごめん、ニコ」
元の服装に着替え直したペケは、申し訳なさそうに魔女帽を深く被る。
「まったくもう、ペケったらホント信じらんない!」
テーブルの向こうに座るニコは、大げさに頬を膨らませ、ぷいと顔を背ける。ニコが怒るのも無理はない。これだけ一緒に過ごしたというのに、ペケはまともな別れの言葉も交わさずに人間界へ行こうとしたのだ。混乱していたとはいえ、一時的な別れとはいえ、ペケの行動はこれまでの信頼を裏切るものだった。
「本当にごめん。もう、さよならも言わずにいなくなったりしないから」
「そっか、なら許してあげる。私もちょっと取り乱しちゃったし、おあいこってことで、ねっ?」
ニコはいたずらっぽい口調で、いつものようにペケの瞳を覗きこむ。その普段通りの笑顔が、ペケには何より嬉しかった。
「うーん、でも、わかんないことが多すぎるよ。なんでペケはゲートを通れなかったのかな?」
「なんでだろ。異界製のモノなんて、身に付けてなかったはずなのに」
つい癖で胸元の鍵を握ろうとしたが、その手は空を切る。鍵は、技術班の魔女たちに預けてしまったのだ。簡易的な検査をするとのことだったが、どうにも落ち着かない。
差し入れの肉詰めリンゴを頬張りながら、ペケは思考を巡らせる。
「そうだ。
肉詰めリンゴとは、噛み付きリンゴに青葉コウモリを大量に食べさせた直後に収穫、そのまま塩漬けにしたものだ。ややゲテモノ寄りの珍味だが、その味は折り紙つき。渋みのあるコウモリ肉がスパイシーな果肉を引き立て、こんな状況であってもついつい食が進んでしまう。
「それはないよ。体に自然に取り込まれたモノまでは、ゲートは感知できないはずだもん。そうじゃなきゃ、そもそも魔法使いが体内に魔力を蓄えて人間界に戻れないでしょ?」
「……言われてみれば、確かに」
そうなると、ひとつの仮説が現実味を帯びてくる。ペケは、鍵を預けた際に窓口の魔女が発した言葉を思い返していた。
――その鍵は、本来の状態からわずかに変質している可能性があります。前例こそありませんが、疑ってかかるべきでしょう。
魔法の鍵は、心の奥から生まれるモノ。心の形が人それぞれ違うように、鍵の形もひとりひとり違うのだ。ならば、心そのものが別物になったときはどうだろうか。
そのとき待合室の扉が開け放たれ、窓口の魔女が駆け込んできた。
「お待たせいたしました。鍵の検査と検査内容の協議、ただいま終わりました。ここから先は込み入った話になりますので、ペケさん一人でお願いします」
「それで、どうでした?」
ペケは部屋の外に出ると、白銀の鍵を受け取った。廊下には、二人の他に魔女はいない。
「検査の結果、他に大きな機能の異常は見られませんでした。
「はい。間違いありません」
「そうなりますと、やはり鍵にわずかなバグが生じていると見るべきです。台帳の件とあわせて考えますと、この鍵が変質しているのはほぼ間違いないでしょう。記憶喪失、台帳の記録漏れ、そして人間界への渡航不可。これらが個々の偶発的な事象とは思えません。すべてがひとつの原因によるものと見るのが妥当です」
もし仮に、記憶喪失により鍵が変質するとしたら。その結果、鍵が何らかのバグを起こしたとしたら。変質がその特性だけでなく、鍵の紋様にまで及ぶとしたら。それならば、人間界へ戻れないのも鍵の記録がないのも頷ける。しかしペケは、同時に真逆の可能性をも考えていた。
――むしろ鍵の変質こそが、記憶喪失の原因である可能性はないのだろうか。
だがその場合、そもそも鍵が変質した理由を説明できない。ペケはこの疑念を振り払うと、すぐに頭を切り替えた。
「この件は人間界や他の異界にも報告し、迅速な解決を目指します。何かわかれば適宜連絡いたしますが、それなりのお時間を頂くことになるかと思います。前例もない事態ですので」
「そう、ですか」
大きな進展はあった。だがそれと同時に、一筋縄ではいかないこともわかってしまった。
これからどうしたものかとペケは考え込むが、どうにも頭の回転が遅い。最悪の事態は何度も想定してきたのだが、やはり事実として突きつけられるとそのショックは大きかった。
そんなペケを見かねてか、ペケの耳元で窓口の魔女が囁いた。
「人間界に帰る方法自体は、ないわけではありません」
「……え? それって、どういうことですか?」
「魔法の鍵は、魔法使いのすべてです。鍵を折り砕けば強制的に異界から排除され、人間界へと戻ることができます。しかし魔法使いとしての素質も永久的に失われるため、あくまでも最後の手段と考えてください」
抑揚のない事務的な口調のままで、窓口の魔女は言葉を続ける。
「申し訳ございません、今の発言は忘れてください。魔法使いの育成を推進する立場として、本来勧めてはいけない内容ですから」
真顔のまま、窓口の魔女は片目を閉じる。ウインクと呼ぶには、あまりにぎこちなかった。
「とにかく、どうにもならないことなどありません。何か困ったことがあれば、私たちにお申し付けください。私たちは、魔女の暮らしを支えるために存在していますから」
笑顔を作ろうと試行錯誤する窓口の魔女を見て、ペケはつい噴き出しそうになった。
この魔女のことを、どうやらペケは誤解していたようだ。この魔女は、淡々と業務をこなすだけの冷徹な人物などではない。ただどこまでも生真面目で、ほんの少し不器用なだけなのだ。
「枢機時計塔の威信にかけて、この件は全身全霊で取り組ませていただきます」
いくら鍵が変質したといっても、魔法使いの根幹であるモチーフそのものが変化するとは考えにくい。そのため〝X〟をモチーフとする魔法使いを片っぱしから調べ上げ、異界と人間界の両面からその消息を追っていく。そうすることでペケの身元を特定するのだという。
「ありがとうございます。ええと、チサト、さん?」
胸元の名札を見ながら、ペケは礼を言う。
「いえ、礼には及びません。むしろ、こちらの至らぬ点を詫びさせてください」
窓口の魔女は会釈をすると、栗色の鍵を掲げた。ローマ数字で〝一〇〇〇〟を意味する〝M〟の紋様が刻まれた鍵だ。
「それではペケさん、お元気で。それと、この前は妹がお世話になりました」
聞き逃せない言葉を当然のように付け足すと、窓口の魔女は廊下の向こうへ去っていった。
廊下に立ち尽くすペケの脳裏に、先ほど会ったモモカの言葉がよみがえる。
――枢機時計塔には、ちょっとしたツテがありますので。
「え、うそ。……もしかしてあの魔女、モモカのお姉さん?」
真面目な顔でときおり突拍子もない言動をするところは、確かに姉妹そっくりだった。
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