第18話「行きつく先もわからないけど」


 何とか無事に中央街セントラルに着いた二人は、モモカのいるクオウ時計店に顔を出していた。枢機時計塔に向かう前に、先日の礼を言いに来たのだ。


「あらまあ、そんなことが。うちの子は私が苗から育てたので、まだ温厚な方なんですよ」


 ニワトリモドキは土から這い出て最初に見たものを、生涯の宿敵とみなす習性がある。彼らの多くが太陽に向かって威嚇をするのも、初めて見たものが太陽だからなのだ。

 つまり野生のニワトリモドキにとって、早朝とは半日ぶりに宿敵の姿を目にする時間帯。そして興奮が極限まで高まったときに、ちょうど羊車に乗ったペケ一行が現れたというわけだ。襲われるのも、無理はなかった。


「ちなみにうちの子の場合、刷り込みの際に私の姿を見せちゃいました。そう簡単に懐くはずもないですし、いっそのこと好敵手として認めてもらった方が仲良くなれそうだと思いまして」

「え、なにやってるのさ」


 相変わらずこのモモカという魔女は、当然のようにとんでもないことを言ってのける。


「そもそもさ。あんな危ない鳥、こんな街中で飼っていいのかな」

「その点は抜かりなしです! 枢機時計塔にはちょっとしたツテがありますので、多少のことなら揉み消せますし」

「……それ、大丈夫じゃないと思う」

「冗談ですよ。本当はちゃんと『暴れたいなら、まずはこの私を倒してから行きなさい』と言い聞かせていますので。ですからあの子、私以外の魔女を襲ったりはしないんです」

「ごめん。よけいに心配になってきたかも」


 道理で、羊車が交通の主流となるわけだ。こんなことをするもの好きは、モモカくらいのものだろう。ペケは呆然としたまま、隣のニコの様子を窺う。


「すごいよモモカ、憧れちゃう!」

「百聞は一見にしかずです。うちの子が種を産んだら、ニコさんにもおすそ分けしましょうか?」

「いいの? やった! よーし、ちょっと本気で考えてみよっと」


 いや、もの好きな魔女はもう一人いた。あのニコのことだ、そのうち本当にニワトリモドキの種や苗を貰ってきてもおかしくはない。ペケの心配事は、またひとつ増えてしまった。



 それからしばらく世間話に花を咲かせた後、二人は店を出た。目指すは、枢機時計塔。魔女でごった返す商店街を、二人はゆっくりと進んでいく。


 ――目を覚ませ。いるべき世界は、ここじゃない。


 これで何度目だろうか。心の声はふとした時にペケを襲い、不安を煽る。吹っ切れたと思ったときに聞こえては、ペケをどこかに連れて行こうとするのだ。どれだけ勇気を貰おうと、心はそう簡単には変わらないものなのだろうか。


「ペケ、緊張してるの?」

「うん、少しだけ」


 この日が来るのはわかっていたはずなのに、体の震えが止まらなかった。だが、今のペケは一人ではない。震える手は、ニコに優しく包まれた。


「ほら、行こうよ! 大丈夫だよ、ちゃんと私が隣にいるから」


 ニコの手は、いつものように温かかった。ペケは感触を確かめるように、手を柔らかく握り返した。



 枢機時計塔の七号塔では、鋭い目つきをした魔女が窓口に座っていた。ペケとニコも、向かい合うように椅子に座る。


「では、先日いただいた鍵紋についてですが」


 窓口の魔女は無愛想で、どこか威圧的にも感じられる。ペケは思わずつばを飲み込んだ。


「台帳との照合の結果、あなたの鍵の記録はありませんでした」


 魔女台帳に鍵が登録されていない。つまり、ペケが魔女ではないことが確定した。わかっていたことのはずなのに、胃が重くなる。動揺を必死に隠しながら、ペケは問いかける。


「やっぱり魔女じゃなかったんですね、私。きっと魔法少女なんだって、気付いて――」

「いえ、そう単純な話ではありません」

「……え?」


 意味がわからなかった。これ以上、事態が悪くなる余地があるというのだろうか。


「いいですか、落ち着いて聞いてください」


 窓口の魔女は無表情のまま、事務的な口調で話し始めた。


「今回照合したのは、魔女台帳だけではありません。鍵紋を頂いた際に事情は聞いておりましたので、誠に勝手ながら魔法少女界アリス魔導士界ロゴスの中枢機関にも照会をかけさせて頂きました」

「は、はい。ありがとうございます」


 気遣いはありがたいが、このように切り出す意味がわからなかった。話の通りならばペケの身元はすでに特定されているはずで、ここまでもったいぶる必要がない。


「その結果は、先ほども申し上げたとおりです。台帳に、あなたの鍵の記録はありませんでした。魔女台帳にではなく、あらゆる異界の台帳にです」


 思考が追い付かず、ペケの頭に疑問符ばかりが浮かんでいく。


「三界のどの中枢機関にも、あなたやその鍵に関する記録はありませんでした。その鍵は、その鍵を持つ魔法使いは、異界のどこにも存在していないことになっています」


 言葉が、出なかった。目に映る景色が歪み、ペケの脳を揺さぶっていく。


「ちょっと待ってよ! それって、どういう意味?」


 ペケの代わりに、隣のニコが問いかける。その表情を読み取る余裕は、ペケにはなかった。


「私たちにも、原因はわかりません。このような事態は前例すらないもので」

「だったら、なんでペケがこんなことになってるのさ!」


 窓口の魔女は首を横に振ると、淡々と言葉を続ける。


「非常に考えにくいですが、入界時の不手際による台帳漏れと判断せざるを得ないでしょう。このような事態が起こらぬよう、どの異界も細心の注意を払っているはずなのですが」

「そんな、人ごとみたいに!」

「もしくは荒唐無稽な話になりますが、『政府が管理していないゲートが人間界に存在していた』場合や『妊婦の魔法使いが入界審査をくぐり抜け、異界で彼女を出産した』といった可能性も全くないとは言い切れません」


 窓口の魔女は考え込むそぶりを見せた後、その鋭い目でペケを見つめた。


「とにかく、すぐにでも人間界へ戻って身元を調べることをおすすめします。では、さっそくゲートまで案内いたします」

「え、それって……」


 戸惑うペケにはお構いなしに、窓口の魔女は立ち上がる。未だに思考がまとまらないペケは、促されるままに歩き始めた。そしてその後ろを、ニコが慌てて追いかける。


 案内された先は、枢機時計塔の三号塔だった。ここは、他の異界や人間界へと繋がるゲートがある場所だ。


「では、魔女帽や杖などはこちらで預からせていただきます。人間界へは、異界由来のものを持ちこむことができませんから」


 事態をよく飲み込めないまま、ペケは更衣室に連れ込まれた。杖や帽子を窓口の魔女に預け、化学繊維で織られた簡素な衣服に着替えていく。無地のスカートとシャツを纏い、首から鍵を提げると、ペケは一階の広間に足を踏み入れた。大広間には、以前見学した時と同じように、人間界へと繋がる純白の門が所狭しと立ち並んでいた。


「ええと、どうすれば……」

「出身地も不明とのことですので、とりあえず統一首都行きのゲートをくぐるべきかと。その後の対応は、政府の担当部局が引き継ぎます。では鍵を掲げてゲートの前まで進み、そのまま鍵とともにゲートをすり抜けてください。魔法の鍵は、通行証の役割も果たしますので」


 よほどの事態なのか、窓口の魔女は矢継ぎ早にまくしたてる。あまりの急展開に、ペケはただ従うことしかできなかった。警備の魔女のそばを通り、ペケは首都行きのゲートの前に立つ。

 直立する真っ白なプレートは、魔女二人分の高さはある。その威圧感に、ペケはたじろいだ。


「まって、ペケ! こんなの、急すぎるよ!」


 後ろからの声で、ペケは振り向いた。ニコは息を切らし、絹の様な金髪も乱れている。

 もっと、ニコと話したかった。でもここで立ち止まると決意が揺らいでしまう気がして、ペケはニコに背を向けた。


「ごめんね、ニコ。きっと、すぐ戻ってくるから」


 ペケは迷いを振り払うように、純白の門へと飛び込んだ。そしてその額が、大理石のようになめらかな壁面へと迫り――ゴチン、と大きな音を立てて衝突した。


「へぶっ!」


 予想外の衝撃に、間抜けな声が漏れる。純白の門に弾かれたペケは、額を押さえて床を転げまわった。何とか起き上がったペケの視界に、目を点にしたニコの姿が映る。騒然とする警備の魔女に囲まれて、ペケは困ったように首をかしげた。


「……へ? これ、どういうこと?」


 純白の門は、ただの壁としか思えぬほどに沈黙していた。本来ならば、その滑らかな壁面をすり抜けた先に人間界があるはずだった。しかし、ゲートを通ることは叶わなかった。

 ただの記憶喪失などではない。ペケは、人間界に戻ることすらできなくなっていた。

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