第17話「世界はいつも気まぐれで」

 穏やかな日々はあまりに早く過ぎ去って、ついに枢機時計塔へと向かう日がやってきた。

 結局この一か月間、ペケの記憶は戻る気配を見せなかった。現状唯一の手がかりは、ペケが修得した二つの魔法だけだ。だがそれは、自身が魔法少女である可能性を示唆するものだった。

 おそらくペケは魔法少女だ。枢機時計塔での宣告で、きっとそれは確定する。だがペケは、未だに自身が魔女である希望を捨てきれずにいた。


 しかし今、ペケはもっと差し迫った危機に直面していた。

 そう、ペケとニコが乗る羊車はニワトリモドキの大群に追われていたのだ。


「……どうしよう、これ」


 日の出とともに出発したのが失敗だったのだろうか。ニワトリモドキの咆哮は、魔女界グリムスの朝の代名詞。そのことからもわかるように、あの巨鳥は朝方ほど気が荒い。

 早朝の平原を走っていた羊車は、ゆうに三十羽を超えるニワトリモドキに目を付けられたのだ。羊車の後方に見える影はまだ遠いが、距離はどんどん縮まっていく。


「どんと構えりゃいいのさ。このくらい、この世界に住んでりゃよくあることだからねえ」


 羊車乗りの初老の魔女は、動じることなく手綱を握る。しかし七頭の羊はニワトリモドキの声を間近で聞いてしまったせいか、少しばかりふらついているように見えた。


「そ、そうだよペケ、このくらいへーきへーき。……えーと、大丈夫ですよね?」


 ニコは無責任に親指を立てると、こわばった笑顔のままで羊車乗りの魔女に問いかける。


「魔法の準備なら、もうとっくにしているさ。ただ、この魔法は発動までちと時間がかかるんでね。お嬢ちゃんたち、念のためちょっとばかし時間を稼いでくれんかね?」

「よーし。やるよ、ペケ!」


 ニワトリモドキは風より速い。このままでは、すぐに追いつかれるだろう。ペケは無言で頷くと、迫りくる巨鳥の群れへと杖を向けた。


「ペケプレス!」


 狙うは、群れの先頭を走るニワトリモドキ。その脚が地面につく瞬間に、斜め十字の小さな波動を足首に叩き込む。巨鳥は足をすくわれ、大きくよろめいた。何とか転ばずに堪えたようだが、当然減速は免れない。先頭のニワトリモドキは後続と衝突し、数羽を巻きこむように転倒した。残りの群れは転倒した仲間を踏み越えて、なおも一直線に羊車を追ってくる。


「それなら――バッテンバインド!」


 日課の魔法鍛錬の中でわかったことだが、バッテンバインドはペケプレスと同様に、最大十秒間のチャージによってその性能が変動する。溜め時間次第では降り注ぐ魔女さえ受け止められるが、一切溜めないと伸びたゴムのように脆いのだ。


 しかし、今は強度に頼る必要はない。溜めずに放ったバッテンバインドは、一羽のニワトリモドキの頭部に巻き付いた。純白の帯に目隠しをされた巨鳥は錯乱し、首を振り回しながら蛇行する。その際に仲間と衝突したのだろうか、気の立った巨鳥同士で喧嘩が始まり、集団は混乱に包まれた。だが、乱闘から逃れた数羽はすぐ目の前に迫っていた。長い首をしならせて、一羽のクチバシがペケに向かって振り下ろされる。


「私のこと、忘れないでよねっ!」


 ペケとクチバシの間に割り込むように、等身大のニコ人形が召喚された。もう一人の自分を召喚し操るニコの魔法、ダブルドールだ。鋭利なクチバシは、ニコ人形に深々と突き刺さる。

 人形の重さは、ニコ本人と全く同じ。ニワトリモドキといえど、魔女一人分の重さを首だけで支えたまま、同じ姿勢で走れるはずもない。巨鳥は人形の重さに負けて、勢いよく転倒した。


「ありがと、ニコ」

「うそっ、私ってそんなに重かった?」

「……ニコ、後ろ!」


 ショックを受けるニコに向かって、もう一羽の巨鳥が襲いかかる。ニコはとっさにダブルドールを解除し再召喚するが、ニコ人形の盾は首で真横に薙ぎ払われた。


「まだだよっ!」


 羊車から転落したニコ人形が、ニワトリモドキの足首を掴む。しかし、これでは一瞬も持たずに振り払われるだけだ。だからペケは、人形の転落と同時にバッテンバインドを放っていた。ニコ人形が巨鳥の足首を掴んだ瞬間、純白の帯が人形の手と巨鳥の足首に巻き付いた。人形を振り払うのに手間取ったニワトリモドキは、そのまま地面につんのめるようにして倒れていく。


「よしっ!」


 二人の声が重なった。だが、直後にペケは息をのむ。後続の集団はすでに乱闘を終え、こちらに向かってきていたのだ。


「……そんな。まだ、こんなに」

「ありがとねえ。こちとら、ようやく準備が終わったところさ!」


 力強い声とともに羊車が急停止し、二人は振り向いた。そこには、煌々と輝く鍵を掲げた初老の魔女の姿があった。その鍵にはアラビア数字で〝88〟と刻まれている。


「――アハトアハト・アーマード!」


 鍵が羊車の床に差し込まれ、光が迸る。溢れ出す光は細長く伸び、何かを形作っていく。


「お嬢ちゃんたち、あたしの後ろに隠れてな!」


 羊車の床からせり出したのは、巨大な高射砲だった。砲身の長さは魔女三人分以上であり、鋼鉄の質感が生々しい。羊車自体も、砲の重さに耐えられるように金属化していた。


「掃射、始めっ!」


 初老の魔女が再び鍵を回すと、高射砲が火を噴いた。渇いた音とともに、砲弾が空へと放たれていく。あまりに暴力的な威嚇射撃に驚いたのか、ニワトリモドキたちは踵を返し、散り散りに逃げていった。そして、平原には静寂と硝煙だけが残された。


「すまなかったねえ。怪我はないかい?」


 初老の魔女は羊車から鍵を引き抜くと、銀歯混じりの歯を見せた。


「そういや、自己紹介がまだだったねえ。あたしゃ〝88〟の魔女、ベージュ・アハトアハトってもんさ。『アハト』の愛称で気軽に呼んでくれて構わないよ」


 八十八ミリ高射砲・通称アハトアハトを召喚し、最大八十八連射を行う魔法、アハトアハト・アーマード。発動までに八十八秒を要することを差し引いても、あまりに強力な魔法だった。魔法とはどうやら思った以上に何でもありで、思った以上に奥が深いようだ。


 そしてあっけにとられるペケとニコにはお構いなしに、羊車は再び走り始めた。こんなドタバタも、魔女界グリムスでは一般的な朝の光景なのである。

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