第16話「ニコと天樹にねがいごと」

 少し遅れて、ペケとニコも外に出る。庭では、モモカとニワトリモドキが熾烈な追いかけっこを繰り広げていた。モモカの方がやや速いが、爪とクチバシを警戒して深く踏み込めずにいるようだ。一人と一羽は風を切り、庭を縦横無尽に駆け回る。だが巨鳥は柵を飛び越え、庭の外へと走っていった。


「こらっ、戻りなさい!」


 モモカは立ち止まり、靴から鍵を引き抜いた。今度は近くの小石に突き刺すと、その小石ごと鍵を巨鳥の方へと向ける。そして、鍵を勢いよく捻った。


「――モモカストライク!」


 鍵の先から、小石が弾丸のように撃ち出された。小石は巨鳥の脇を通り過ぎると、急カーブしてその足元に着弾する。踏み出そうとした先の地面が小石に撃ち抜かれ、ニワトリモドキは驚きとともに足を止めた。


 そしてモモカは、またしてもモモカストライクを発動する。次なる弾は、鞄から取り出した予備のロープだ。ロープは蛇のように飛び出すと、片端はニワトリモドキの手綱に、もう片端は大木の幹に巻きついた。巨鳥の体は、今度こそ完璧に繋がれた。


「……ふう、少しばかりお騒がせしました。最近散歩の回数が少なかったので、ちょっと運動不足だったんだと思います。私と遊びたくて、少々やんちゃをしたのでしょう」


 ニワトリモドキは少しはしゃいで満足したのか、抵抗もせずに座っている。あっけにとられるペケとは対照的に、ニコは初めて見るモモカの魔法に大興奮していた。


「なになに、今の魔法! ねえモモカ、何したの?」

「そういえば、まだきちんと紹介していませんでしたね。私の魔法は〝一〇〇〟の魔法。完璧、絶対、たくさん、満タン、事象の確定。そんなイメージの魔法たちです」


 百キログラム以内の物体を秒速百メートルで撃ち出して、百メートル以内であれば百パーセント命中させる『百発百中』の魔法、モモカストライク。

 百秒間だけ物体にエネルギーを付与し百人力を得る『元気百倍』の魔法、フルスロットル・エンハンス。

 そして、百回までの衝撃から物体を保護し、傷ひとつない百パーセント完璧な状態を維持する『百世不磨』の魔法、パーフェクト・プロテクション。

 それらが、モモカの使った魔法だった。どれもが強力で、確かに使い方によっては千年樹を容易に退けられてもおかしくはない。


「ですが、まだまだこんなものじゃないですよ。何を隠そう、私の魔法は五つなのです。この三つ以外にも、物体を瞬時に摂氏百度にするレッドホット・ハンドレッドや……」


 得意げに話していたモモカは、ふと何かに気付いたのか庭をくるりと見回した。


「お庭、荒らしてしまってすいません。この魔法は、せめてものお詫びです」


 元から雑草だらけだった庭は、ニワトリモドキに踏み荒らされ、見るに堪えない有様だった。モモカは地面を数度撫でると、そこに鍵を差し込む。そして鍵が回された瞬間、辺りの地面が一斉に淡く輝いた。


「――リリーヘクタール」


 色とりどりの百合の花が一瞬にして咲き乱れ、荒れた大地を花畑へと塗り替えていく。魔法の効果は小さな庭には収まりきらず、ついには見渡す限り一面を広大な百合園へと変貌させた。


「……うそ、きれい」

「百花繚乱の魔法、リリーヘクタールです。最大百アール、つまり一ヘクタールの大地を百種類の百合の花で埋め尽くす、お気に入りの魔法なんです」


 夕焼けに染まる無数の百合を背景に、モモカはふわりと髪をかきあげた。


「ところで、魔法って、どうやったらそんなにたくさん覚えられるの?」


 この世界のヘンテコは、魔女に優しいものばかりではない。千年樹やニワトリモドキのような理不尽が、当然のように転がっているのだ。今後何が起こるかもわからない身としては、自衛手段は多いに越したことはない。


「とにかく今ある魔法を精一杯使いこなすのが、新たな魔法への第一歩です。魔法の形は、ココロの形。持てる魔法を磨こうともせず安易に新たな力を求めるのは、ただの自己否定にすぎません。そんな修行、百害あって一利なしです」


 魔法とは、自分自身を写す鏡。自身の本質に真摯に向き合うことが、何より大切なのだ。

 自身の魔法を心と体で理解しきった上で、その先に新たな可能性を見出したとき。もしくは自分の全てを余すことなく使い切って、それでもどうしても越えられない壁にぶつかったとき。

 そんなとき、魔法の鍵は新たな扉を開くのだという。


「そうそう、変に焦る必要なんてないよ! 私だって、すぐに三つは覚えられたもん」

「そうですよ、ペケさんならきっと大丈夫です」


 夕暮れ時の風が、辺りの花を揺らしていく。時計の針は、午後六時をまわっていた。

 太陽の機嫌がいいのだろうか、今日は珍しく日が長い。それでも、夜は少しずつ近づいていた。モモカは空を見上げると、ゆっくりと二人に向き直る。


「日、傾いてきちゃいましたね。それでは、そろそろ失礼させていただきます」

「モモカ、もう行っちゃうの? なんなら泊まっていかない? カボチャもあるよ?」


 ニコは両手にカボチャパイを持ったまま、名残惜しそうに問いかける。


「魅力的ではありますが、明日も朝から仕事ですのでまた次の機会にでも。……あと、お二人の邪魔をしてはいけませんしね」


 モモカはペケに目配せをして、意味ありげに微笑んだ。意図が読めず、ペケは首をかしげる。


「あ、ちなみに買っていただいたアレですが、永遠の絆を意味するものらしいですよ」


 からかうように言い残し、モモカはニワトリモドキにまたがった。


「それでは、おさらばです! ペケさんもニコさんも、よい月夜を!」


 風をも追い越す速度で、巨鳥は大地を駆けていく。モモカの背中は、すぐに見えなくなった。



「……モモカ、行っちゃったね」


 静寂を取り戻した庭先で、二人は佇んでいた。花の香りが風に乗り、ペケの鼻をくすぐった。


「ねえねえ、さっきの『買っていただいたアレ』って、何のこと?」


 声につられて振り向くと、きょとんとしたニコの顔が目と鼻の先にあった。ペケは慌てて飛びのくと、呼吸を整える。ニコの距離感の近さは嫌いではないが、どうにも心臓に悪いのだ。


「……じつはね」


 一瞬の迷いがあったが、ペケは誤魔化すのをやめた。どちらにせよ、近いうちに渡すつもりだったのだ。タイミングとしては悪くない。


「私、ニコに渡したいものがあるんだ」


 ポケットから小さな木箱を取り出すと、ニコに見えるように蓋を開ける。その中に入っているのは、ニコもよく知っているものだ。


「え、うそ、ホントに? だって、これ……」


 ニコは口に手を当てたまま、固まっていた。驚くのも無理はない。ペケがずっと買いたかったもの、それはクオウ時計店の最高級品、天樹の懐中時計だった。


「ニコの持ってた懐中時計、壊れたままだったよね。……何というか、日頃の感謝とか、あといろいろあるからさ。……うん。とにかく、これ、あげる!」


 恥ずかしさとよくわからない感情で、ペケの頬が熱くなる。

 この懐中時計は、二人で中央街セントラルに行った日に、ニコが見とれていた逸品だ。『天まで伸びる大樹の強度』『何があっても壊れない』『魔女が降っても壊れない』のキャッチコピーが印象的な、天樹製の水晶クォーツ時計。ニコへの恩返しとして、これ以上は思いつかなかった。


「そっか。じゃあ、ありがたく受け取っておくよ。ホントにありがとね、ペケ!」


 ニコはくしゃくしゃの笑顔で懐中時計を受け取ると、堪え切れなくなったのかその場で何度も飛び跳ねる。そしてそのままの勢いで、ペケに勢いよく抱きついた。


「……すこし痛いよ、ニコ」

「どうしよ、すっごく嬉しい! やった! すごい! ありがとっ!」


 感極まったのか、ニコの声は少し涙交じりにも聞こえた。痛いほどに力強く巻き付いた腕が、ニコの心を言葉以上に物語っている。こういうときのニコは、何を言っても止まらない。ペケは半ば諦め顔で、無抵抗で抱きつかれ続けていた。


 雲より高く伸びる天樹は、ヘンテコだらけの魔女界グリムスにおいても絶対的な強度を誇る。きっとそれ故に、『何があっても壊れぬ絆』の象徴なのだろう。


 ――こんな日々が、天樹のようにいつまでも続きますように。

 そんな祈りを月夜に託して、ペケは小さく微笑んだ。

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