第15話「モモカの夢とたからもの」

 魔女界グリムスはいつもヘンテコで、そしていつも唐突だ。それはカボチャパーティの休憩中、ちょうど夕食前の時間帯のこと。ペケが庭先で風に当たっているときのことだった。

 ニワトリモドキにまたがって、〝一〇〇〟の魔女、モモカ・ハンドレッドがやってきた。


「お久しぶりです、ペケさん! 元気にしてました?」


 ニワトリモドキはダチョウにも似た巨大鳥で、太い鉤爪と鋭いクチバシ、そして真っ赤な花弁でできたトサカが特徴だ。その性格は獰猛で、太陽が昇るたびに空に向かって威嚇をする。その鳴き声は隣町まで響くとされ、魔女界グリムスの朝の代名詞ともなっている。


「急いで駆け付けちゃいました。ものすごく足が速いんですよ、この子」


 ニワトリモドキは飛ぶことこそできないものの、魔女界グリムス屈指の脚力を誇る。だが獰猛すぎる故に飼いならすことは難しく、それどころかニワトリモドキに襲われて重傷を負う魔女も少なくない。『新米魔女の魔女界グリムス入門』にも、太字の注意書きがあるほどだ。


「う、うん。ありがと」


 自分で呼んでおきながら、ペケはやや困惑していた。そう、今朝送った手紙はモモカ宛のものである。だが中央街セントラルとの距離を考えると、モモカが来るのは早くて明日になると思っていた。

 まさかこんなに早く、しかもこんな珍妙な鳥に乗ってやってくるとは予想もしていなかった。


「ペケさんの頼みとあれば、このくらいお茶の子さいさいです!」


 モモカはニワトリモドキから降りると、えっへんと胸を張る。その背後では、巨鳥の鋭利なクチバシがカチカチと音を立てていた。


「ね、ねえモモカ。それ、危なくないの?」

「ときどき襲われちゃいますけど、もう慣れっこですよ。多少のやんちゃは元気な証拠です」

「あっ! 後ろ――」


 苛立ったニワトリモドキが、モモカの頭を背後から突こうとしていた。モモカはクチバシをたやすくかわすと、その長い首に手を回す。暴れる巨鳥の首を押さえつけ、モモカは手慣れた様子で近くの柵に手綱をくくりつけた。


「と、まあこんな感じで。この子、これでもおとなしい方なんですよ」


 何事もなかったかのように、モモカは気の抜けた表情を浮かべている。もしかすると、このモモカという魔女はとんでもない猛者なのかもしれない。


「あれ? そういえば、ニコさんはどちらへ?」


 その言葉で、ようやくペケは本来の目的を思い出す。


「今、家の中で夕食の準備してるはず。だから今のうちに、手紙の件、お願い」

「がってん承知です!」


 モモカから約束の物を受け取ると、ペケは大事にポケットにしまった。そして代わりに、金貨が詰まった袋を差し出す。幸いなことに、ニコにはまだ気付かれていないようだ。


「お代、確かに頂きました。それにしても、ペケさんもなかなかやりますね」


 モモカは金貨を数え終わると、ふわりと微笑んだ。


「ニコには世話になってるし、これでも足りないくらいかも。ずっと、買おうと思ってたんだ」

「ニコさんも幸せ者ですね。羨ましいくらいです」


 モモカの目はペケの方を見ているようで、どこか違うものを映しているようだった。失踪した〝テン〟の魔女、テンリ・デクテットの面影をペケに重ねているのだろうか。


「ご、ごめんなさい! ちょっと、考え事しちゃってました」

「別に、いいよ。それより、少しうちに寄っていかない? ニコも会いたがっていたし」

「それでは、お言葉に甘えさせていただいちゃいます」


 ニワトリモドキは手綱を引きちぎろうとしていたが、ついに諦めたのか大人しく座っていた。ペケはモモカを引き連れて、ニコの待つ家へと帰っていった。


 

 浮きカボチャ料理に囲まれて鼻歌交じりのニコは、モモカの登場でさらに上機嫌になっていた。三人は浮きカボチャのジュースで乾杯すると、世間話に花を咲かせる。


「――それでね、もうすっごく大変だったの! だけどその報酬に、ほら! これぞ、巡り巡って魔女の得ってやつ?」

「なんと、そんなことがあったんですね。確かにあの子、けっこう激しくじゃれてきますし……。まあそれが可愛らしいんですが」


 モモカの発言に、二人は顔を見合わせる。言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「えへへっ、すいません。実は私、ヌシにはよく会ってるんです。ソラの森の最奥に、テンリとの思い出の場所があるので」

「へっ? ……モモカ、その、襲われたりとかは?」


 予想外の返答に、ペケは危うくジョッキを落としそうになる。


「私ってあの子に好かれているのか、毎回会いに来てくれるんですよね。ただなぜか、いつも魔法を使って急いでいるときに限ってやってくるので、そんなに遊んであげられないのですが」


 困ったように微笑むモモカに、ペケは絶句していた。森のヌシである千年樹の脅威は、身を持って知っている。あの圧倒的な暴力を軽くあしらうとは、にわかに信じられなかった。

 そんなペケの隣では、ニコが目を輝かせている。


「すごいよモモカ! 私たちじゃ、二人でもギリギリだったの!」

「私に言わせれば、お二人こそ大金星ですよ。数年鍛えた魔女でも、あの子に苦労することも多いと聞きますし」


 千年樹の怪力と頑丈さ、そして探知能力はまさしく規格外で、正面から立ち会うことはベテラン魔女でも避けるという。だからこそ、それを気軽に語るモモカはどこか異質に感じられた。


「……ねえ。モモカって、いったい何者なのさ」

「ペケさん、よくぞ聞いてくれました! これでも私、テンリと一緒に魔女界グリムスの秘境を片っぱしから旅してきたんです。こう見えて、百戦錬磨の魔女なのです」


 モモカは少し誇らしげに、桃色の鍵を掲げた。ローマ数字で〝一〇〇〟を意味する〝C〟の紋様が刻まれた鍵だ。


「とはいっても、冒険はだいぶ前に引退しちゃいました。今はこうしてクオウ時計店で働いて、いつの日か自分のお店を開くために猛勉強中です」


 異界渡航支援制度の目的はあくまで魔法使いの育成であり、異界社会の発展ではない。しかし人が暮らす以上、その生活基盤を支える仕組みも必要だ。モモカのような縁の下の力持ちも、この世界には欠かせないのだろう。


「わざわざ異界で開業するだなんて、もの好きだとはよく言われます」


 モモカは恥ずかしそうに、魔女帽のつばを指でなぞる。


「各地の不思議を全部集めた、素敵な百貨店を作りたいんです。できれば、中央街セントラルの真ん中に」

「……百貨店?」

「ここだけの話ですけれど、せっかく魔女界グリムスに来たというのに、怖がってすぐに人間界に帰ってしまう魔女って意外と多いんですよね。中央街セントラルにいると、嫌でも目にしてしまいます。だからこそ、この世界がこんなに素晴らしいのだと、来たばかりの魔女にも伝えたいんです。だってここは、テンリが愛した世界ですから」


 今の中央街セントラルも、魔女界グリムス各地のヘンテコが揃っている。しかしモモカに言わせれば、それでもまだ足りないそうだ。秘境巡りの旅で出会った数々の不思議は、こんなものではないという。

 百歩譲ってこの世界が肌に合わなかったのだとしても、せめて素晴らしさの一端に触れてから判断してもらいたい。それが、モモカのささやかな願いだった。


「そう簡単に行かないことは、百も承知です。ですが、これが今の私の夢なんです」

「……すごい。もう、そこまでしっかり考えてるんだ」


 モモカは少し照れくさそうで、それでいてどこか自信に満ちていた。初めて中央街セントラルで会ったときとは、まるで別人だ。どこか悲観的で気弱そうな魔女は、もういない。ときおり影がよぎるものの、その目は生き生きとしていた。


「モモカ、なにかいいことあった? 一気に吹っ切れたって感じじゃない?」


 ニコの問いかけに、モモカは小さく頷いた。


「ペケさんに出会って、私、思ったんです。このままじゃいけないって」


 あの日、鬱積していた感情を吐き出したことが、自身を見つめ直すきっかけになったという。


「テンリのことを諦めたわけじゃないですよ。ただ、いつかテンリがひょっこり帰って来たときに、私が暗かったらテンリが悲しむじゃないですか。だから私も、精一杯前に進むんです」


 モモカは鍵を握りしめると、その拳を突き上げる。その仕草は、気弱な自分を鼓舞しているようにも見えた。


「テンリの道も、百歩から。やれることからやるまでです!」


 大切な過去があるからこそ、前を向いて今を生きる。それがモモカの決

意だった。モモカもニコも、夢に向かって生きている。そんな二人がペケには羨ましかった。


「とは言っても、クオウ時計店ではまだまだ失敗してばかりなんですけどね。開業なんて百年早いと、店長にもよく怒られちゃってます。ですが、とにかく今は経験を積んで――」


 モモカが語り終えようとしたときだった。庭の方からニワトリモドキの怒声が轟き、家の窓を震わせた。庭先にニワトリモドキがいるとも知らないニコは、椅子から勢いよく飛び上がる。


「わわっ! 何か爆発した? 何これ、まさかニワトリモドキ?」

「あらら、すいません。あの子が暴れちゃったみたいですね。気にしないでください」


 モモカは動じずに、ニワトリモドキのやんちゃさを微笑ましげに語っている。


「……あの鳥、本当に大丈夫? 逃げたりしないのかな」

「はい、その点は抜かりなしです! あのロープは、何があっても絶対にちぎれないようになっていますから。百パーセントの状態を維持する魔法、パーフェクト・プロテクションで――」


 またしても鳴き声が響き渡り、その直後に何かが折れる音がはっきりと聞こえた。確か手綱をくくりつけていたのは、木製の柵だったはずだ。


「ねえ、ロープが無事でも、木の柵は?」

「……あっ」


 モモカの顔から、一気に血の気が引いていく。先ほどまでの余裕はどこへやら、モモカは鍵を握ったまま慌てふためいている。


「え、ええと、ちょっと様子見てきます! ――フルスロットル・エンハンス!」


 モモカは靴に鍵を差し込むと、目にも止まらぬ速さで外へと駆け出した。


「……ねえ、ニコ、どうしよっか」

「とりあえず、追いかけるしかないんじゃない?」


 そして、残されたペケとニコは困ったように顔を見合わせた。

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