第14話「ペケの二つのかくしごと」

 魔女の事情などお構いなしに、今日も気まぐれな太陽は昇る。ソラの森での冒険から、気付けば一週間が経過していた。マナが満ちた異界では、魔法使いの怪我の治りは早い。数日で全快した二人は、すでに日常へと戻っていた。


「じゃじゃーん! なんと、今日は昼からカボチャパーティだよ!」

「へっ? これ、どうしたの? こんなに、たくさん」


 日課の薪割りを終えたペケは、玄関で立ち尽くしていた。ペケを待っていたのは、鼻歌交じりに小躍りするニコと、テーブルを埋め尽くす大量の浮きカボチャパイだった。


「へへっ。思い切って取り寄せて見たんだよっ! 異界の日々も金次第、ってね」

「……浮きカボチャなんて見たくないって、あの後さんざん言ってたくせに」


 先日の件で浮きカボチャがトラウマになったのか、最近のニコはカボチャを見るだけで震えていた。だが、結局は食欲が勝ったようだ。なんともニコらしい気持ちの切り替え方である。


「それはそれ、これはこれ! 大変だったからこそ、こういうのも大事でしょ?」


 ニコは目を輝かせ、パイの山を見つめている。すでに我慢の限界なのか、何度もつばを飲み込んでいた。

 ニコはいつもこうなのだ。その言動はときおり直感的すぎて、ついていけないときもある。だが、そんなニコにいつも元気を貰ってきた。こんなニコだからこそ、ペケは何度も救われた。


「確かに、そうかもね」


 やっとのことで大金を手に入れたのだ。こういう金の使い方も、たまには悪くないだろう。ペケは肩をすくめると、ニコを待たせないようにすぐに席につく。


「それじゃさっそく、いただきまーす! 今日はもう、カボチャ色に染まっちゃおう!」


 弾むような声を合図に、カボチャパーティが始まった。これは、二人の無事と羊樹の発見を祝う、小さな祝賀会でもあった。

 ちなみに羊樹の件についてだが、結論から言うと、二人はそこそこの大金を手にしていた。


 森での冒険の翌日、二人は支部時計塔へと駆け込み、羊樹発見の報告をしていた。羊樹は巨大水晶に匹敵する価値を持つ。十数本の羊樹ともなれば莫大な報酬が得られるはずだと、二人の胸は躍っていた。そして政府専属の魔女による調査の結果、確かに谷底の羊樹は確認された。


 しかし、問題なのはここからだ。谷底の羊樹は、半数近くが折れてしまっていたという。二人が千年樹を谷に突き落としたせいで、その下敷きとなってしまったのだ。そして、さらに驚くべきことに、谷底でも千年樹は健在だったそうだ。森のヌシは、その強度も規格外だった。

 その結果、想定外の事態が起こってしまった。羊の谷は非常に深く、安全に谷底まで下りるには魔法を使うのが一番だ。しかし魔法を使うと谷底で千年樹が暴れてしまい、なかなか羊樹まで近づけない。こうして、羊の谷はこの上ない難所となってしまったのだ。仕方がなかったとはいえ、千年樹を落としたことで羊の谷の産業的価値は極端に下がってしまっていた。


 とはいえ、羊樹が貴重であるのに変わりはない。しかもこの近辺の羊樹は、良質の羊が実ると評判だ。駆け出し魔女としては破格の冒険報酬もあいまって、二人は一年は遊んで暮らせるほどの金貨を手にしたのである。巨万の富には程遠いが、小さな二人には十分すぎる額だった。


「――それでね、これを元手にもっと稼いで、いろんなところに冒険に行くの。そしてすごい魔女になって、人間界で大金持ちになる。そしてそのお金を持って、また魔女界グリムスに戻ってくるんだ。そしていつか、異界一周をしてみせるの!」


 ニコはカボチャパイを頬張りながら、意気揚々と夢を語る。


「ねえ、ペケ、考えたことある? 魔女界グリムスにも他の異界にも、見たこともない不思議なものが、まだまだいっぱいあるんだよ。夢と魔法とヘンテコが、手の届く場所にあるんだよ。だったら、行かなきゃ損だよ! せっかく魔女になったんだよ? 私は、世界をひとつ残らず楽しみたいの。それが、私の夢なんだ。……なんて、ね」


 いつのまにか熱が入りすぎていたのだろう。語り終えたニコは少し恥ずかしくなったのか、ごまかすように舌を出した。だが、それは決してごまかすような夢ではない。夢にまっすぐなその姿は、眩しすぎるほどだった。


「すごいよ、ニコ。私、応援する」


 その一言で、ニコが顔を輝かせた。強く拳を握ったまま、何度も小さく頷いている。


「ありがとっ。すっごく嬉しいよ。でも、できれば応援だけじゃなくってさ」


 ニコは照れくさそうに頬を掻いた。そして、弾けるような笑顔を見せた。


「ねえ、ペケ。私と一緒に来てくれない? 一緒に、異界巡りの旅をしようよ! ペケが抱えてること、ぜんぶ終わった後でいいからさ」


 ニコの瞳は光に満ちていて、そして今までになく真剣だった。

 すぐにでも頷きたかった。だが、そうすることはできなかった。


「うん、一緒に行きたい。だけど今は、先のことまで考えられないや。まだ、自分が何者かもわかってないしさ」


 ニコの想いを裏切る言葉であることは自覚していた。だがここで単純に頷くのも、どこか無責任に思えたのだ。本当の自分が、どんな事情を抱えているかもわからない。いままでと変わらずニコの隣にいられるとは限らない。だからペケは、ニコに応えることができない。


「そっか、そうだよね。嬉しくて、ちょっと先走っちゃった」


 ニコは申し訳なさそうに舌を出す。それはおどけた仕草だったが、どこか悲しげにも見えた。


「だったら、なおさら早くペケの記憶を探さないとね。とは言っても、あと一週間で身元はわかるし、ゴールは近いよ!」


 枢機時計塔での鍵の照合が終わるのは、来週だ。ペケが魔女であるのなら、そこで身元は判明する。結局のところ記憶の一つも戻らないまま、答えはすぐ近くまで迫っていた。


「ペケ、まだ不安なの?」


 心配そうなニコの顔が、目の前にあった。ペケは視線を落とすと、小さく頷いた。


「励む魔女には月が微笑む、魔女の世界のことわざだよ。あの日の夜空を忘れたの?」


 もちろん忘れるはずもない。あの日、ようやく〝ペケ〟の意味を見出せた。ペケにとって、それはかけがえのない思い出だった。


「だから、大丈夫。だってペケはこんなにも、魔女界グリムスに愛されているんだよ? ぜったい、魔女に決まってるよ」


 ニコは身を乗り出すと、ペケへと手を伸ばした。その指先が、胸元の鍵に優しく触れる。

 魔法の鍵は、ココロの結晶。そう簡単に触らせるものではないのだが、嫌な気はしなかった。


「……そうだね、ありがと」


 ニコの目をまっすぐ見ることは、できなかった。




 ひとまず昼食を終え、ペケは窓際に腰掛けていた。ため息で、窓が白く曇る。


「ごめんね、ニコ」


 ペケにはたったひとつだけ、ニコに隠していることがあった。それは、ソラの森での冒険の後で気付いてしまったこと。その隠し事が、ペケの心に小さな影を落としていた。


「どうしよう。……私、魔法少女だ」


 調理場にいるニコには届かないように、独り言を漏らす。

 あの日、ニコを助ける一心で発現した新たな魔法の名は、バッテンバインド。そう、この魔法は〝バッテン〟だ。迷う余地もなく、記号だった。迷う余地もなく、魔法少女きごうだった。


 そもそも〝ペケ〟でさえ、よくよく考えれば記号である。ペケプレスは、ペケという少女の名前を冠した魔法ではない。〝ペケ〟という記号を冠した魔法なのだ。きっと心のどこかではわかっていて、気付かないふりをしていただけだ。

 とにかくペケ・エクステンドという存在は、考えれば考えるほど、どこまでも魔法少女だった。ニコが望む、魔女ではない。


 ようやく手がかりを見つけたというのに、ペケの心は揺れていた。

 記憶は未だに戻らない。自分の居場所も正体も、不自然なまでに思い出せない。そんな中で、ようやく見つけた手がかりだ。本来、涙を流して喜んでもいいはずの出来事だった。

 確かにペケは、早く自分の正体を見つけたいと思っていた。空虚な孤独が、辛かった。だけどそんなとき、ニコが居場所をくれた。自分ペケにしかできないことがあると知った。空っぽだったココロには、いつのまにか、いろんなものが詰まっていた。


 皮肉なものだ。ずっと、自分の中身を求めていた。だけどさがしものが見つかる前に、少女は空っぽではなくなっていた。自分の正体を知ることが、ペケ・エクステンドではなくなることが、今のペケにはどうしようもなく怖かった。


「私、魔女がよかったな」


 魔女界グリムスの太陽は自由気ままだ。太陽のように気楽に生きられたなら、どんなに幸せだろうか。ペケは八つ当たりをするかのように、窓の向こうの空へと語りかける。


「ん? ペケ、どうしたの? そんな憂鬱そうな顔で」

「……なっ! え? い、いつからそこに?」


 気付けばニコが隣にいて、ペケは大きく飛び上がる。


「ついさっき来たばっかりだよ? どうしたの? そんなに慌てちゃって」


 ペケの表情の変化がそんなに面白いのか、ニコはくすくすと笑っている。どうにもばつが悪く、ペケはぷいと顔を背けた。だが、ニコは逃がしてくれない。細い腕が、ペケを後ろから包み込む。ニコの鼓動が、背中越しにはっきりと伝わった。


「怖いのはわかるよ。不安なのはわかるよ。そのくらい、目を見ればわかるよ。だけど逃げたらダメだよ。本当のペケを待っている人が、きっとどこかにいるはずだから」


 ニコの言葉は正しい。だがそれ故に、一歩間違えれば今の二人を否定しかねないものだった。


「だから、ね? ペケには、ちゃんと向き合って欲しいの」

「……でも」

「大丈夫、安心して。どんなペケでも、ペケはペケだよ。実はペケじゃなかったとしても、ペケは私にとってのペケだよ」


 相変わらず直感的で、いまいち意味がわからない。でも、だからこそ、心に響く。


「じゃあ、私、どうすれば……」

「だから全部わかった後で、厄介事も心配事もすべて終わらせちゃってから、その上で改めて私と来てくれたらとっても嬉しいなって。そう思うんだ」


 ニコの言葉が、ニコの温もりが、心に染み込んでいく。

 すぐに迷いを断ち切れるほど、ペケは強くない。すぐに生き方を変えられるほど、器用でもない。自身の正体と向き合う覚悟も、まだできていない。だけどこの苦悩も、ニコから貰った大切なものだ。空っぽだったペケにとって、これも立派なココロの一部だ。


 だからペケは、迷いをそのまま受け入れることにした。どんな想いも少しずつ受け入れて、自分のペースで進んでいく。それが、ペケにできる精一杯の生き方だ。


「うん、ありがと、ニコ」

「よーし、それじゃ重い話はここでおしまい! どうせわからないなら、今を楽しまなきゃもったいないよ!」


 そろそろ、午後の軽食の時間だった。カボチャはまだまだたくさんある。カボチャだらけの一日は、まだ終わらない。太陽も空気を読んだのか、まだまだ沈む気配はない。ニコはさっそく席につき、お菓子とジュースの準備をしているようだ。ペケは窓に目をやると、空の向こうに思いを馳せる。そして、ニコには内緒で微笑んだ。


「ペケ、どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 実はペケには、朝からずっと気にかけていることがあった。ひとつだった隠し事は、いまやふたつに増えていた。


 ――羊車乗りの魔女に預けた手紙は、そろそろ中央街セントラルに届いただろうか。

 今朝薪割りで外に出た際、こっそり送った一通の手紙。それは、ペケの新たな隠し事だった。

 ずっと前から考えていた、大金の使い道。旅の費用とは別にどうしても用意したかった資金。何があっても買いたかったもの。上手くいけば、明日にでも知らせが来るだろう。逸る気持ちを抑えきれず、もどかしささえ感じられた。再びニコに呼びかけられ、ペケは窓に背を向ける。


 そして、パーティの続きが始まった。

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