第13話「脅威と夜を、乗り越えて」
杖を握る手には、汗が滲んでいた。ペケはつばを飲み込むと、木々の向こうの脅威へと向き直る。前方の森には荒れ狂う千年樹、後方には断崖絶壁。まさに手詰まりに近い状況だった。
もちろん、この状況を一切想定していなかったペケではない。しかしこれは、想定した所でどうにかなるものでもない。今の二人には、すでに走る余力も残っていないのだ。
「ニコ、魔法は?」
「かなりギリギリ。あと一回、いや二回いけるよ!」
「わかった。本当に必要な時まで、温存しておいて」
ここまで来て、諦めるという選択肢はない。この窮地を脱するため、ペケは思考を巡らせる。
まず、千年樹を正面から倒すのは無謀に近い。根の鞭を防ぐ手段も、大木を破壊する力も、二人は持っていない。かといって、逃げ切るのも難しい。ペケの体はボロボロで、もはや走ることさえ困難だ。ニコも脚を引きずっており、すばやく動けないだろう。
だが、どこかに身を隠すのも不可能だ。千年樹は遥か遠くからでも二人の存在を感知し、こうして襲いかかろうとしているのだ。息をひそめたところで、やり過ごせるとは思えなかった。
「これじゃ、ダメだ。そうじゃない。もっと別の、もっと根本的な……」
「ペケ! もう、来るよ!」
大地を激しく揺らしながら、千年樹がその姿を現した。太い根を触手のように蠢かせ、見上げるほどの巨体が二人へと迫りくる。打開策も思いつかぬまま、ペケは一歩前に出た。
「――バッテンバインド!」
交差する純白の帯が放たれ、荒れ狂う根を数本まとめて縛り付けた。しかし規格外の怪力の前に、バインドはいともたやすく引きちぎられる。千年樹は一瞬バランスを崩しかけたが、それだけだ。バッテンバインドでは、足止めにさえならなかった。
「うそ、そんな」
新たな魔法があっさりと破られ、ペケは動揺する。とっさにペケプレスを放つが、それも根の一振りにかき消される。後ろは谷、逃げ場はない。千年樹は脇目も振らずに突進してくる。
「ペケプレス! ――ペケプレスッ!」
死に物狂いの連撃も、千年樹の幹へは届かない。鞭のようにしなる根に、たやすく叩き落とされていく。もはや策などなかった。そもそも、溜めていないペケプレスは軽い殴打程度の威力しかない。当たったところで意味もない、ただの悪あがきでしかなかった。
だからこそ、決定的に不自然だった。
――どうして千年樹は、こんなに弱い魔法を、わざわざ全て迎撃するのだろうか。
ペケは大きく息をのむ。ようやく見つけた小さな違和感を起点に、思考のピースが繋がっていく。思えば、初めから何かがおかしかった。森で目覚めたあの日、ペケは千年樹に気付かれも襲われもせず、無事に縄張りを抜けていた。しかし今日は二回とも、すぐに千年樹に見つかった。そして、明らかな敵意を向けられた。あの日と今日の違い、そこに答えはあるはずだ。
「まさか。……いや、でも筋は通るかも」
「ペケ、危ない!」
千年樹との距離は縮まり、すでに根の間合いに入っていた。ペケは杖を構えると、再びバッテンバインドを放つ。しかし、今度は千年樹に対してではない。〝X〟の帯は真上に放たれ、近くの木の枝に巻き付いた。千年樹は怒りで体を震わせると、根を荒々しく振り抜いた。その軌道はペケのはるか上を通り、〝X〟が巻き付いた枝を薙ぎ払っていく。
「よし、やっぱり」
心臓が、どくんと大きく脈打った。ペケの仮説は、確信に変わっていた。
「やれるよ、勝てるよ、ニコ!」
千年樹は魔力を感知し、魔力を狙って襲い掛かる。そうとしか考えられなかった。
襲われた時の共通点は、魔法の使用だ。浮きカボチャで流れ着いた時は、ダブルドール。谷から脱出したときは、二人の数々の魔法。どちらも、魔法を使ってすぐに千年樹が現れた。
千年樹は森のヌシであり、森の一部でもある。森全体とまではいかなくとも、縄張り内のマナの流れを感じ取れても不思議ではない。そして魔力とは、マナを心で変換したもの。だからマナの流れがわかれば、そこに混じる異物として魔力を感知できるはずだ。だからこそ、千年樹はその異物の存在が許せないのだろう。千年樹は魔力がとにかく不快でたまらないのだ。
すべてはひとつに繋がった。千年樹は魔法を感知して駆けつけ、魔法と魔法使いを叩き潰そうとしていたのだ。だが、これなら抗うすべはある。
「――ペケプレス」
触れてもパチンと弾けるだけの、連射特化の衝撃波。それを放射状に撒き散らし、辺り一面にぶつけていく。千年樹は怒り狂い、根を振りまわす。二十本を越える根の鞭は、嵐となって猛威をふるう。だが、その攻撃が二人に届くことはない。群がる羽虫を払うかのように、千年樹は無数の〝X〟を掻き消し続ける。その動きは、ペケの予想した通りだった。
千年樹は、魔力を感知して攻撃を仕掛ける。ならば『魔力を体内に秘めた魔法使い』よりも、『むき出しの魔力の塊である魔法そのもの』に強く反応するはずだ。現に浮きカボチャでここへ流れ着いたときも、千年樹の最初の一撃はペケやニコではなく、ダブルドールを狙っていた。
ならばこうして四方八方にペケプレスを出し続ければ、二人が攻撃の対象となることはない。
「でも、これ……。いったい、いつまで撃てば……」
「早く、こっちだよ!」
ペケの背後、谷のすぐそばでニコが叫んでいた。とっさの策は、あくまでその場しのぎのもの。その先を考えるだけの余裕はない。だからペケは迷いもせずに、続きを委ねることにした。
ペケプレスの乱射を止め、即座にバッテンバインドを放つ。交差する純白の帯は、蠢く根の一本だけに巻き付いた。
いくら潰してもきりがない小さな魔力塊に、千年樹の苛立ちは頂点に達していたのだろう。我を忘れて荒れ狂う千年樹は、次なる魔力の反応を全力で叩き潰そうとして――〝X〟が巻き付いた自分の根を、勢いよく叩き折った。
千年樹の絶叫が、ソラの森に響き渡る。森のヌシはその威厳も捨て、痛みに喘いでいた。その隙に、ニコの元へと歩み寄る。ニコが、早口で問いかけてきた。
「ねえ、一応確認。あのヌシって、魔法を追いかけてる?」
「うん、間違いないと思う」
「ありがとね。なら、私の出番だよっ!」
ニコがその手に持っていたのは、紙飛行機だった。どうやらニシンパイの包み紙を折ったもののようで、クシャクシャの紙を無理矢理のばした跡がある。
「――ペタンコペイント!」
二次元化の魔法、ペタンコペイント。ニコは近くの小石を拾い、ラクガキとして紙飛行機に貼りつけた。そしてすぐに、紙飛行機から鍵を引き抜く。
同時に、千年樹の悲鳴が止んだ。魔法の行使を感知して、敵意が苦痛を上回ったのだ。
「今だよっ!」
ニコは、谷へと向かって紙飛行機を飛ばす。そして二人は、谷のそばの木陰に隠れた。
紙飛行機には、ペタンコペイントの魔法がかかっている。怒りに震える千年樹は、二人には目もくれずに紙飛行機を追いかけていく。紙飛行機は風に乗り、谷の向こう岸に着地した。千年樹は谷の前で立ち止まり、恨めしげに根をうねらせている。
「これで、最後」
ニコは息も絶え絶えに鍵を構える。そして谷のすぐ近く、千年樹の背後に生える大木の根元に、ゆっくりと差し込んだ。そして、ニコギロチンを発動した。
何の変哲もない大木が、根元から切断される。千年樹は、その魔力を瞬時に感知した。振り向きざまに根をしならせ、切断箇所へと叩きつける。ニコの狙い通りだった。切断された大木は、下部を薙ぎ払われたことで大きくバランスを崩し、勢いよく千年樹へと倒れかかったのだ。
重く、鈍い音がした。倒れてきた大木に押しだされ、千年樹の巨体がよろめいた。その先にあるのは、断崖絶壁。何とか谷に落ちまいと、その根が大地へ伸びていく。
だが、それを見逃すペケではない。
「バッテンバインド!」
根の数本を、純白の帯で縛り付ける。バッテンバインドは、千年樹を相手にするには強度不足だ。先ほどは力任せに引きちぎられ、足止めにさえならなかった。ほんの一瞬、体勢を崩すことしかできなかった。だが、今はその一瞬で十分だ。
踏みとどまろうと伸ばした根が拘束され、千年樹は谷へと大きく傾いた。すぐにバインドを引きちぎるが、もう遅い。蠢く根は虚しく空を切り、その全身がついに宙へと投げだされる。
千年樹はそのまま、羊の声が反響する谷底へと落ちていった。
「やった……の?」
静寂を取り戻した森で、ペケはぽつりと呟いた。脅威が過ぎ去った実感が湧かずに、二人はただ呆然と、その場に座り込んでいた。
「そうだよ、やったんだよ、私たち!」
「そっか。やったんだ。そう、だよね」
ニコの言葉を反芻し、ようやく認識が追い付いていく。心と体に、沸々と熱が湧きあがる。
「やった、生きてる。生きてるよ! でも、ホントに、ダメかと思って。だけど、もう、とにかく、よかった。ニコも、無事で。こうして、ここにいて」
抑えていた感情が、全部まとめて押し寄せる。もはや、言葉にならなかった。
「うん、生きてるよ。ちゃんと、ここに。でも、私も、ちょっと腰が抜けて立てないや」
ニコは必死に平静を装うが、目には涙が浮かんでいた。ペケは、無言でニコへと寄りかかる。ニコの体の震えが、はっきりと伝わった。
「……へへっ、やだな。震えてるの、バレちゃった。私だって、怖かったよ。このまま帰れなかったらどうしようって。もし、私が誘ったせいで、ペケに何かあったらどうしようって」
座り込んだまま、二人は抱き合っていた。涙と言葉と感情が溢れ、止まらない。お互い、相手には見せられない表情をしていたに違いない。だが、ずっとこうしている訳にもいかない。
ソラの森はもうじき夜闇に飲み込まれる。ペケは涙を拭うと、よろめきながら立ち上がった。
「……行こう。もう、日が沈んじゃう」
「よーし! それじゃ、帰ろっか。私たちの家に、ね」
ニコは大きく伸びをすると、いつもの調子で強気に笑う。ペケも、思わず頬が緩んだ。
「うん、帰ろう」
体力は空っぽで、立てているのが不思議なほどだ。だが、体の芯は未だに熱を帯びていた。
ニコに頼るだけの
お互いの体を支えあうようにして、二人はゆっくりと歩き出した。
ソラの森は、すっかり夜に包まれていた。森の奥には、明かりとなるものはない。本来であれば、二人は前後もわからぬ夜闇の中で途方に暮れていたことだろう。だが、そうはならなかった。村へと続く帰り道は、降り注ぐ月の光に照らされていた。
――この世界のヘンテコも、なかなか捨てたものじゃない。
こうして、月と星に見守られながら、二人の長い一日は幕を閉じた。
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