第Ⅻ話「ペケだからこそできること。二人だからこそできたこと」

「ニコ、来て。この辺りが、一番いいかも」


 羊の鳴き声が反響する谷底で、二人は近くに羊樹が生えていない場所まで移動していた。周りに木が茂っていると、作戦に支障を来たすのだ。そして二人のはるか上には、太い枝が突き出している。崖の上に生えた大木、その枝は谷の真上まで伸びていた。

 条件は、すべて整った。後は、ペケとニコ次第だ。


「お願い、ニコ!」

「いっ――――けえええ!」


 ニコが鍵を握り締め、大きく振りかぶる。そして咆哮にも似た掛け声とともに、鍵を真上に投擲した。オレンジ色の光の尾を引き、ニコの鍵は風を切る。

 標的は、頭上はるか遠くの枝。その枝に何とか鍵をぶつけ、遠隔ニコギロチンで切断するのがペケの狙いだ。そうすれば、元に戻る力を利用して一気に谷底から脱出することができる。

 だが、谷の深さは八階建てほどで、木の高さも含めればそれ以上となる。当然、ニコの腕力だけでは届くはずもない。だから、ここから先はペケの役目だ。


「ペケプレス!」


 絶え間なく撃ち出される衝撃波が、ニコの鍵を押し上げていく。

 弱さも立派な特性だ。使いこなせば、強さに変わる。威力が低いということは、反動が少なく狙いがブレにくいということだ。溜めなければ威力が落ち、連射速度を上げるほどさらに弱くなるということは、連射間隔次第で威力の細かな調整ができるということだ。


 鍵を跳ね上げるには、ビンタ程度の衝撃波でも事足りる。あとは枝に届くまで、ひたすら撃ち続けるだけだ。全神経を集中し、〝X〟の波動を鍵の芯へと叩き込む。ときおり芯を外すこともあるが、一発の威力が低いため、大きく軌道が逸れることはない。連射速度と威力を的確に調整し、確実に軌道を修正していく。


 弱さも立派な特性だ。しかし、それでも所詮は弱さ。根本的な力不足は否めない。だからこそ、ペケはひたすら〝X〟を放つ。一発で足りないのなら十発だ。それでもまだ届かないなら、さらに十倍撃てばいい。届くまで、何度だろうと撃ち続ける。


 ――なんか応援したくなる響きじゃない? 『何度転んでも負けないぞ』って感じで!


 少女がペケとなった日の、ニコの言葉が蘇る。ニコから貰った『ペケ』の意味を思い出す。この力は失敗作の〝ペケ〟ではない。何度も何度もぶつかって、前に進んでいく〝ペケ〟だ。


 ニコの鍵は何度も弾かれ、空へ空へと駆け上がる。

 魔法の鍵は、魔法使いの全てといえる。ニコはこんな自分にも、迷わず鍵を託してくれた。その心意気に応えるためにも、ペケは杖を握りしめる。

 ようやく見つけた、〝ペケ〟だからこそできること。胸元の鍵は、溢れんばかりに煌いていた。


「――ペケプレス!」


 最後に大きく鍵が弾かれ、ついに枝へとぶつかった。くるくる回る鍵の先端が、枝の内部に一瞬だけ潜り込む。そして、鍵はすぐに落下していった。


「よーし! 次は、私の番!」


 ニコは両手を大きく広げ、落ちてくる鍵を待ち構える。鍵と枝は接触し、魔力的に接続された。あとは鍵を回収し、ニコギロチンを発動するだけだ。しかしキャッチに失敗し、地面に鍵が刺さってしまえば、苦労は水の泡となる。


 ニコの鍵は、まっすぐに二人の元へ落ちていく。だが、二人とも失念していた。魔女界グリムスの天気は、気まぐれなのだ。突如、風が吹き荒れた。羊樹もしなる突風が、羊の谷を駆け抜ける。鍵は風に流されて、大きく軌道が逸れていった。


「……そんな」

「まだだよ!」


 間髪いれずに、ニコが駆け出す。風はすでに止んでいたが、鍵は一気に流されてしまった。ニコは必死で追いかけるが、このままでは間に合いそうにない。


「……そうだ。ニコ、走って、そのまま!」


 一拍遅れて我に返ったペケが、杖を突き出した。そよ風程度のペケプレスをニコの背中に撃ちこみ続け、その体を押し出していく。

 一秒間に、平均十発。限界速度で連射される、どこまでも微弱な衝撃波。危害を加えずニコの背を押すために、ペケが辿り着いた最適解だった。

 追い風を受けるように、ニコの体が加速する。鍵は、地面へと迫っていた。ニコが大きく跳躍し、鍵へと手を伸ばす。その手が、鍵を確かに掴んだ。勢い余ったニコは、頭から地面に転がった。飛び込んだ速度のまま、華奢な体が数度跳ねる。だが、握った鍵は決して離さない。


「ニコ! 怪我は?」

「うん、無事だよ。私も、鍵も!」


 谷底に歓喜の声が響き渡る。ふらつくペケと泥だらけのニコは、視線を交わし笑みをこぼす。


「せめて気力が残ってるうちに! ――ニコギロチン!」


 一度鍵が刺さった箇所から、谷の上の枝が切断された。枝は、二人のいる谷底へと落下する。


「それじゃ、準備はいい?」

 落ちてきた枝は、魔女三人分ほどの長さがあった。二人は、枝にしがみつく。疲弊した体が、枝の急上昇に耐えきれるかはわからない。だが、それでも、必死にここまで来たのだ。


「うん。魔法を、解いて」

「わかった。いくよ」


 枝を分断していたニコギロチンが解除された。谷底に転がっていた枝は、木の本体へと引き寄せられ、谷を一気に駆け上がる。その加速度に、二人は振り落とされそうになる。

 そして枝が谷を抜け出す瞬間に、ペケは枝から飛び降りた。体は小さな弧を描き、森の大地へと叩きつけられる。全身を強く打ったが、それにも構わずペケは笑った。ついに谷を脱出することができたのだ。こうして生きているだけで、十分だった。


 だが、すぐにペケは気付く。そう、ニコがどこにもいない。

 ニコの姿は、ペケの遥か上で見つかった。ニコの体は木々を飛び越え、黄昏の空へと投げ出されていたのだ。どうやら意識はないようで、その体は今まさに落下を始めていた。


「ニコ!」


 思えばニコは、遠隔ニコギロチンで異様に疲弊していた。もはや、意識を保つのがやっとだったのだろう。朦朧とした意識の中で、ニコは枝から手を離すタイミングを見失い、そのままの勢いで空中に投げ出されたのだ。


 ニコの体が落ちていく。枝にぶつかり多少は減速したが、まだ止まらない。ペケの力では、受け止めることもできない。ペケプレスを持ってしても、どうすることもできなかった。

〝X〟の力を失敗作では終わらせないと、ペケは心に誓っていた。事実、今日だけでもペケの魔法で何度も活路を開くことができた。この力は、失敗作などではないはずだった。


 なのに、ペケは何もできない。ニコを助ける術を持たない。失敗作で終わらせないだけでは、まだ足りない。撃ち払う力でも、交差させる力でも、何度もぶつかる力でも、まだ足りない。


 ――もっと別の、さらなる〝X〟が必要だ。


 そのときだった。首から提げた白銀の鍵が、溢れんばかりの光を放つ。ペケはただ、無我夢中で杖を構えた。ペケの思考が白銀の光で満たされ、新たな言葉が紡がれていく。


〝X〟とは、禁止、封印、止めること。〝X〟に宿る新たな意味、それは封じ込める力。


「――バッテンバインド!」


 杖の先から、純白の波動が帯となって撃ち出された。交差する二本の帯は〝X〟の形を維持したまま直進する。落ちゆくニコに〝X〟の帯が直撃した。帯の四端が大きくしなり、背後の木を巻きこむように、ニコの体を拘束する。ニコは木の幹に縛り付けられ、地面すれすれのところで静止した。封じ込める魔法、バッテンバインド。ペケの得た、二つ目の魔法だった。


 十秒が経過し、バッテンバインドの拘束が解ける。ニコの体が、ゆっくりと地面に転がった。


「……痛っ!」


 転がり落ちた衝撃で、ニコが意識を取り戻した。地面に顔をぶつけたのか、鼻を押さえて涙目になっている。だが、それだけだ。服は少し破れているが、大きな怪我は見当たらない。


「あれ? あれっ? 私さっき、なんか空飛んでなかった?」


 ニコは不思議そうな顔で、キョロキョロと辺りを見回す。髪に絡まる木の葉、枝に引っかかった魔女帽、そして杖を構えたペケを順番に見て、ニコは全てを察したようだった。


「へへっ、そっか。よくわかんないけど、きっとペケが助けてくれたんだね」


 ニコの顔はやつれていたが、その表情はどこか柔らかく感じられた。


「ありがとっ。ペケは、私の命の恩人だよ」

「え、別に、そんな。……うん、とにかく、無事でよかった」


 照れ隠しにペケプレスを放ち、ニコの魔女帽を枝から落として回収する。


「行こう。もう、日が暮れ始めて――」


 回収した魔女帽を、ニコに手渡したときだった。ペケの声は、大きな地鳴りでかき消された。


 黄昏に染まる森に、戦慄が走る。満身創痍の二人は、無言で顔を見合わせた。まだ動けると、ニコの瞳が語っていた。まだやれると、ペケも小さく頷いた。体力も気力も、とうに限界を越えていた。ただお互いの存在が、二人の心を支えていた。まだ、終わっていない。あとひとつ、最後の難関が残っている。


 ソラの森の奥地に潜むヌシ、千年樹はすぐそこまで迫っていた。

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