第11話「急転直下のソラの底」

「ところで、どこなんだろ、ここ」


 既視感のある景色に、ペケは首をかしげる。木々の幹は飴細工のように捩れ、枝は立ち上る煙のように渦巻いていた。風もないのに木の葉がざわめき、ひそひそと葉擦れの音を鳴らす。


「うーん、私も来たことないや。向こうの空に蔓が見えるし、まずはあっちに進んでみようよ!」


 魔女界グリムス上空の風は強く、どうやらソラの森の奥地まで流されてしまったようだ。カボチャの群生地からは、だいぶ離れてしまっていた。


「これだけ危険で、ようやくカボチャ三つ、か。……ちょっと、割に合わないかも」

「でも、これだけ大変な収穫だもん。きっと、冒険報酬はたくさん貰えるよ。駆け出し魔女にしては、上出来だと思わない?」


 浮きカボチャを持ち運ぶため、ニコがダブルドールを召喚した。三人分の重さでなければ、またカボチャの浮力に負けてしまうのだ。

 これでは、帰るのにも骨が折れそうだ。つい、ため息が漏れてしまう。


 そのとき、突然地面が激しく揺れた。地鳴りは、どんどん近づいてくる。

 ペケは思わず息をのむ。そうだ、確か森で目覚めた日、ペケはここを通っている。この景色も、この地鳴りも、ペケは一度経験している。

 ペケは必死に記憶を辿り、地鳴りの原因を探していく。青葉コウモリ、噛みつきリンゴ、捩れた木、吠え叫ぶ谷、そして――徘徊する大樹。


「ニコ、逃げよう!」


 言い終わるのとほぼ同時に、蠢く巨大な影が見えた。木々の向こうから現れたのは、木の根を荒々しく地面に叩きつけ、森を徘徊する千年樹。魔女の間で森のヌシと呼ばれる存在だった。


「うそ、でしょ? ここ、まさか、ヌシの縄張り? ――――ペケ! 伏せて!」


 ニコの声で、反射的に身を屈めたのが幸いした。根の一本が鞭のように振るわれ、二人の頭上を掠めていった。根の直撃を受けたニコ人形は、くの字に大きく折れ曲がり、そのままどこかへ飛んでいく。木に結んでいた蔓が引きちぎられ、三つのカボチャが空へと消える。


「ああ、カボチャが!」


 二人の声が重なった。だが今は、もはやカボチャを気にしている場合ではない。ペケとニコは、踵を返して逃げ出した。


「まって、違う! ここ、知ってる! こっちはだめ!」


 記憶が元々空っぽだったからだろうか、意識を取り戻してからのことを、ペケは事細かに覚えていた。ペケの記憶が正しければ、この先に逃げ道はない。


「え? ペケ、どういうこと? あれ? うそっ……行き止まり?」


 二人の眼前には、谷にも似た亀裂が広がっていた。森は薄暗く、谷の底は見えない。そうだ、ここは森で目覚めた日に見た、吠え叫ぶ谷だ。谷がどこまで続いているかは、ここからではわからない。向こう岸までの距離は、十数メートル。ちょうど大木の全長ほどだ。


「ニコギロチ――」


 ニコが近くの木を倒し、橋にしようとする。だが、間に合わなかった。森のヌシ、千年樹はすぐそこまで迫っていた。

 なぎ払うような根の一振りを、避けることはできなかった。しなる木の根に押し出され、二人の体が宙に浮く。ペケとニコは、無数の声が反響する谷底へと落ちていった。


     ×××


「ねえ、目を開けてよ。……ねえ」


 ペケの耳に最初に飛び込んできたのは、聞きなれた声だった。だが、意識は未だ混濁しており、どうにも思考がまとまらない。


「…………ニコ、なの?」

「ああ、よかった!」


 うっすらと目を開ける。覗き込んでくるニコの顔が、ペケの視界の真ん中に映った。ニコは目を真っ赤に腫らし、その肩は震えている。

 ニコは涙を拭うと、ためらいもせずにペケに抱きついた。直後、体のあらゆるところが痛み、ペケは悲鳴をあげそうになる。だがその痛みのおかげで、ペケはようやく自分が置かれた状況を思い出した。


「何が、どうなってるの? 私たち、確か谷に落ちたはずじゃ……」

「うん、そうだよ。ここは、谷底」


 それなら、なぜ二人とも無事なのか。そう聞こうとして、ペケは気付いた。辺りには、綿の塊が実った木々が生い茂っていた。綿はボールのように丸く、両手で抱えるほどの大きさだ。

 そしてペケが寝ている場所も、木から落ちた綿玉が山のように積もった場所だった。


「もしかして、この綿がクッションに? でも、まさか、これって」

「そう、羊樹だよ。まさかこんなところにあるなんて、魔女でも目を疑っちゃうよ」


 辺りを見渡す。少し離れたところでは、数頭の羊がのんびりと歩いていた。別の場所では、綿玉から手足が突き出し、今まさに羊になろうとしていた。

 魔女界グリムスの羊は綿毛の塊として木に実り、熟して地面に落ちた後、羊となって歩き出す。まさか貴重な羊樹が、谷底にあるとは思いもしなかった。ときおり谷底から響く重低音は、反響した羊の鳴き声だったのだ。


「でも、手放しには喜べないかも」


 見える範囲だけで、羊樹は十数本ある。一本でも巨大水晶ほどの価値があるのだ、発見の報告をするだけでも莫大な報酬が手に入るのは間違いない。浮きカボチャを逃したことなど、誤差に思えてしまうほどだ。しかし、ここは谷底。ここから脱出する手段は、あるのだろうか。


「いま生きてるだけでも、ラッキーって言うしかないよ」


 ニコは短く息を吐いた。確かに、こうして生きているのが不思議に思えるほどだった。どうやら二人ともどこの骨も折れていないようで、十分すぎる程とも言える。


「どうしよっか、これから。ここから出られそうな場所、ある?」


 ペケの問いかけに、ニコは小さく首を横に振った。ペケが目覚める前に、ニコは谷底を一回りしていたらしい。しかし谷の両端は、いずれも行き止まりだったという。


「たぶん、イノシシ芋のせいだよ。前も後ろも、落石と土砂崩れで塞がってたの」


 イノシシ芋は、地中を駆け巡る巨大な芋だ。硬い地盤も穴だらけにするため、土砂崩れの原因になることも多いという。


「でも、なら、どうしよう。崖も、登れそうにないし」


 ペケは観念したように、目の前にそびえ立つ岩壁を見上げる。切り立った崖は、八階建てほどの高さがある。谷底にあるのは背の低い羊樹だけで、崖を登る手段はない。


「諦めないで、ペケ。ほら、上を見てみなよ」


 崖の上には、大木が並んでいた。その枝のうち数本は、谷の中心に向かって伸びている。ちょうど二人の頭上にも、太い枝が突き出していた。


「ほら、あそこにロープか何かをひっかければ、きっと上まで登れるよ!」

「でも、ロープも蔓もないよ。そもそも、どうやってあんな高いところに引っかけるのさ」


 ニコが言葉を詰まらせる。他の手段も見つからないまま、ただ時間だけが過ぎていった。


「ねえ、今って何時?」

「どうなんだろ。壊れちゃったんだ、私の時計。多分、落ちたときかな?」


 畑で採れた安物の懐中時計は、外装の至る所にヒビが入り、針もあらぬ方向に曲がっている。谷底は暗く、時間の経過もわかりにくい。心なしか、日が傾き始めているように感じられた。

 小さくため息をついたとき、ペケのからっぽの胃が悲鳴をあげた。思えば、家を出てから何も食べていない。脱出方法を考える前に、ひとまず空腹を満たす必要があった。


 鞄から非常食のニシンパイを取り出して、二人で分ける。 ニシンパイは支部時計塔で買ったもので、人間界からの輸入品だ。だが、どうにもペケの口には合わなかった。


「……このニシンパイってやつ、あんまり美味しくないんだね」

「そう? 私は好きかな。ぶわーって刺激的な感じで」


 そしてパイを食べ終えたとき、谷に風が吹きこんで、包み紙が宙を舞った。それを見て、ニコは弾かれたように立ちあがる。


「そうだ、ペタンコペイントだよ! それで私をラクガキにして、マントに貼ればいいんだよ!」


 ペタンコペイントは、モノを押し潰してラクガキに変える二次元化の魔法。マントはニコの身長より短いが、マントを敷いて寝そべるのではなく、マントの上に直立すれば、入ることはできるだろう。ニコは自身をマントに描かれたラクガキにして、風で舞い上がるつもりなのだ。


「私にまかせて。これで、助けを呼んでくるから」

「無茶だよ。さすがに崖の上までは行けないよ。どこへ飛ぶかもわからないし」


 どんなに強い風が吹いたところで、せいぜい岩壁の中腹まで行くのが限界だろう。それどころか、下手をすれば崖のどこかに引っかかり、そこから降りることすらできなくなる。


 それはもはや策とも言えない、ただの無謀だった。ニコも無謀とわかった上で、それでも万に一つの可能性にかけているのだろう。その手は、隠しきれないほど震えていた。


「もし届かなかったら、ペケプレスで押し出してよ。マントは軽いし、なんとかなるでしょ?」

「でも、危なすぎるかも。もしもマントが破れたら、ニコの体もビリビリに裂けちゃうよ」


 風任せでは、マントがどこへ飛ぶかもわからない。マントがラクガキごと裂ければ、ニコの命の保障はない。ニコをそんな危険に晒すことなど、できなかった。


「……あれ? ペケプレスで、押し出す?」


 ふと、ペケの中に、ひとつのひらめきが生まれた。相変わらず、危険な賭けだ。うまくいく保証はない。だが、今の案よりかは幾分か現実的に思えた。


「ニコ。ひとつだけ、確認したいことがあるんだ」


 それはニコの魔法を隣で見ていて、ペケがずっと感じていた疑問だった。


「ニコギロチンって、鍵を刺したままじゃないと使えないのかな。モノに鍵を突き刺した後、いちど引き抜いてから鍵を回しても、発動できたりしないのかな」


 ペケの思考は加速していく。ニコギロチンを使うとき、ニコはいつも鍵を対象に差し込んだまま回している。しかし魔法の解除時は、直接対象に差し込まずに、空中で鍵を回している。

 ということは、鍵を抜いた後でも、鍵と対象の間には魔力的なリンクが発生していることになる。ならば魔法の発動時も、鍵が刺さったままである必要はないのではないだろうか。


「うーん、どうだろ。試したこともなかったや。さっそくやってみよっと!」


 足元に転がる綿の塊に、ニコは鍵を突き刺した。すぐに鍵を引き抜いて、胸の前で構える。


「――ニコギロチン!」


 ニコが鍵を宙で回すと、綿玉は真っ二つに割れた。ニコはすぐに魔法を解除し、割れた綿玉をくっつける。その額には、大粒の汗が滲んでいた。


「ねえねえ、ペケ、見てた? うまくいったよ!」


 ペケは頷くと、顎に手を当てて考え込む。おそらくニコギロチンは鍵を差し込むことで対象を指定し、鍵を回すことで発動と解除を行っているのだろう。鍵を抜いてから発動しようとした場合、消耗は非常に激しくなるようだが、まったく発動できないわけではないようだ。


「ありがと、ニコ。これなら、いけるよ」


 それだけわかれば十分だ。ペケとニコにしかできない、たった一つの脱出法は組みあがった。


「ニコの全部、いちど私に預けてくれない? 後は、私に任せてほしい」


 その言葉の力強さに、ペケ自身が驚いていた。思わずしり込みしそうになるが、ぐっとこらえる。ペケが使えるのは、たったひとつのちっぽけな魔法。だが、ちっぽけだからこそできることもあるのだ。


「うん、わかった。全部まとめて、ペケに託すよ」


 どんな作戦なのかも聞かずに、ニコは大きく頷いた。少し調子を狂わされたが、そんなニコがどうしようもなく心強くて、ペケは少しはにかんだ。


「よーし! じゃあ、さっそく教えて。私は、何をすればいい?」

「すごく単純で、すごくギリギリなこと。それじゃ、説明するよ」


 ニコの瞳をしっかりと見つめ返して、ペケは言葉を紡いでいった。

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