二章『果てなき魔法の大冒険』
第9話「ペケの魔法が宿すモノ」
「ペケプレス!」
ソラの森に、凛とした声が響き渡る。斜め十字の小さな波動が杖から放たれ、迫り来る二匹の青葉コウモリをなんとか撃ち落とす。ペケの胸元では、白銀の鍵がまばゆい光を放っていた。
「ありがとね、ペケ! よしっ、今日はこれで終わり!」
コウモリに追われていたニコが、足を止めた。そして地面に落ちたコウモリを拾い、慣れた手つきで籠に詰める。籠いっぱいの青葉コウモリを抱え、二人は村へと帰っていった。
そしてペケはこの二週間、こうしてニコと一緒にソラの森で食材の収穫をして過ごしていた。金がなくては生きていけないのは、人も魔女も変わらない。ニコにこれ以上迷惑をかけないためにも、じっくり腰を据えて記憶探しに臨むためにも、まずは資金が必要だったのだ。
枢機時計塔で鍵の照合が終わるのは、約二週間後。それまでの間、こうして資金を稼ぎつつ、記憶を取り戻すきっかけを探す。これがペケのプランだった。
「でも、やっぱり中々貯まらないもんだね。お金って」
「仕方ないよ。私たちじゃ、行ける場所も限られるもん」
ソラの森はごく一部を除き、
「ランタンとか水晶とか羊とか、この辺で採れたらいいんだけど」
「もっと僻地になら、いっぱいあるみたいだよ。もう少し成長したら、行ってみよっか!」
籠いっぱいの青葉コウモリを持って、二人は村の外れの支部時計塔へと入っていく。支部時計塔は枢機時計塔の出先機関で、ニコの住む村にもそのひとつがある。ここでは各種公共サービスが受けられるほか、収穫した物の買い取りなども行われている。
「ではこちら、青葉コウモリの買取価格と別途冒険報酬を含めまして、銀貨二枚になります」
政府の目的は、魔法使いの育成だ。そのため冒険や狩猟など、魔法の修行となる行為に対しては、時計塔から補助金が支給されるのだ。
受付の魔女から報酬を貰い、二人は掲示板に向かう。窓口のそばの掲示板には、日雇いの募集や開拓チームの案内などが並んでいた。だが、魔法を用いない一般業務は賃金が安く、冒険や開拓関係の募集は駆け出し魔女には荷が重い。
「何かこう、一気に稼げるものってないのかな。ええと……」
ペケはニコほど楽天家ではない。自身の正体が魔女だと信じたいが、魔導士や魔法少女である可能性も視野に入れていた。そのため、いざというときすぐに旅立つためにも、蓄えが必要だったのだ。そして何より、ペケにはたったひとつだけ、どうしても買いたいものがあった。
「ねえ、ニコ。この羊樹探しの依頼とかは? ええと、場所は……深層樹海の未踏領域? ……ん、やっぱり今のなし。さすがに、危険すぎるかも」
「ペケ、少し焦りすぎじゃない? 天樹は一日にして雲に至らず、だよ?」
羊は
ペケは軽く頬を叩き、思考を切り替える。とにかく今は、ソラの森での採集作業に注力するべきだろう。食材などの採集は、素材の売値と冒険報酬の両方が堅実に稼げるため、駆け出し魔女にも人気なのだ。
「ねえねえ、これやろうよ! 場所も、いつも通りソラの森だよ!」
ニコが指差す先に会ったのは、浮きカボチャの買取価格表だった。ソラの森の浮きカボチャは質が良く、高値で売れる。『ソラの森』という名称も、ここが
「ニコがいいなら、そうしよっか」
「よーし! 明日は朝から、浮きカボチャ狩りに決定!」
空を漂うカボチャの収穫。一筋縄ではいかないことは、何も知らないペケにも感じ取れた。
ニコの家に帰ると、ペケはさっそく薪割りを始めた。ソラの森で食材採集を始めてからというもの、何度も今までの生活費を返そうとしたのだが、ニコには断られていた。今は生活費を折半しているが、それでもペケからすれば、毎日世話になってばかりに思える。だからこうして、日々の行動で少しずつ返していくしかないのだ。
そして日課の薪割りは、いいリハビリにもなっていた。いまや体は軽く、感覚もしっかり噛み合っている。これで記憶が戻れば言うことはないのだが、とペケは苦笑いを浮かべた。
そして薪割りの後はもうひとつの日課、魔法の訓練の始まりだ。
魔法とは、心の形。自身の魔法への理解を深めることが、自身の中身を知ることに繋がるのではないかとペケは考えていた。ペケはボロ布のマントを翻し、身の丈ほどの杖を構える。
「――ペケプレス」
まずは一発、空へと〝X〟型の衝撃波を放つ。〝X〟は、拒絶や却下、否定や反発といった意味を持つ。撃ち払う魔法、ペケプレス。それが、ペケの持つ唯一の魔法だった。
「もう一発、ペケプレス!」
撃ち出された白い波動が、切り株の上に置かれた薪に直撃する。薪の束は軽く弾かれ、切り株から転がり落ちた。〝X〟の波動は、魔女の顔ほどの大きさしかない。その威力も、たかが知れていた。
ペケは苦い表情を浮かべたまま、薪を元の位置に戻す。
そして次は、威力を上げる練習だ。力を限界まで溜めて、渾身の力でペケプレスを放つ。胸元の鍵がいっそう強く輝いて、杖先から白い波動が迸る。斜め十字の衝撃波は空を切り、薪にぶつかり炸裂した。薪は大きな放物線を描き、宙で数回転して地面に落ちる。
「ん、やっぱり、十秒溜めてもこんなもんか」
この魔法は、最大で十秒間のチャージが可能なようだ。だが十秒も溜めるなら、杖で直接殴った方が手っ取り早い。かといって溜めずに撃つと、威力は投石にも劣る。
これなら、ニコのようなトリッキーな魔法の方がずっと使い道があるだろう。威力がない攻撃魔法に、ペケは価値を見出せずにいた。
柔らかい風が、ペケの頬をくすぐった。小さく伸びをして、ペケは頭を切り替える。つい考えすぎてしまうのは、ペケの悪い癖だった。杖をゆっくり構え直し、今度は連射の練習をする。
小さな衝撃波が、息つく間もなく杖の先から放たれ続ける。〝X〟がぶつかるたび、薪は少しずつ後ろに押しやられていく。そしてようやく十数発目で、薪の束は切り株から落ちた。
「我ながら微妙すぎるかも、これ」
ペケプレスの威力は、お世辞にも高いとは言い難い。普通に撃つと軽いパンチに劣る程度で、数秒溜めてペケの全力パンチくらい。そしてチャージ上限である十秒間の溜めを経て、ようやく杖での殴打をやや上回る破壊力が得られる。しかし連射などしたときには、連射速度にもよるが、一発の威力はビンタ程度にまで落ちる。しかも距離が離れるほど、その威力は減衰する。
「これ、失敗作の〝
ペケは記憶喪失だ。そのため自分の魔法属性が
ペケプレスは、拒絶し押しのける魔法。その特性を考慮すると、記号〝
だがそれ以上に、ペケにはこの魔法が失敗作の〝
「違うよ。十点満点の〝
家の中にいたニコが、いつの間にか窓から身を乗り出していた。ニコはどうにも神出鬼没だ。突然声を掛けられて、ペケはびくんと飛び上がる。
「そんな、私、何もできないのに」
「そんなことないよ。ペケっていつも考えて、頑張ってて、そんなペケに私も元気もらえるもん。だからこれは、私からの十点満点」
ペケには、ニコの言葉の意味がわからなかった。こんな自分のいったいどこに、そこまで言わせるものがあるのだろうか。
「え? だっていつも、私はニコから貰ってばかりで」
「ううん。そういうことじゃないんだよ」
砂糖菓子の様な声で、ニコは笑う。
「だって、人も魔女も、ひとりでは生きていけないモノだから」
ニコはいつものように白い歯を見せた。だが、その目は今まで見たことのないものだった。
「人はね、ひとりひとり、ちっぽけな〝
ニコはゆっくり言葉を紡ぐ。ニコの胸元で、〝Ⅱ〟が刻印された鍵が揺れていた。
「だけどね、ふたつの〝I〟が並び立ったら〝Ⅱ〟になるの。そして二人が関わり合って、ふたつの〝I〟が交差したら〝
ニコの想いは、止まらない。
「ふたつの〝I〟は、二にも十にもなるんだよ。そのくらい、私もペケからいろんなモノを貰っているの。きっと、そういうことなんだよ」
ニコの言葉は支離滅裂で、いくら頭を捻っても、ペケには意味がわからなかった。だが、心では理解できた。
魔法の鍵は、ココロの結晶。〝Ⅱ〟も〝X〟もココロの形であるのなら、心で感じたものが全てだ。
「それにね、忘れてない? こうして私たちが出会えたのも、ペケの魔法のおかげなんだよ?」
森で目覚めたあの日、必死に放ったペケプレス。あのときの鍵の煌めきがなければ、今の二人はなかっただろう。〝X〟の鍵と魔法が、文字通り二人の人生を交差させたのだ。
「あれ、何言ってるんだろうね、私。恥ずかしいから、今のことは忘れて、ね?」
ニコは頬を真っ赤に染めて、上目づかいでペケを見る。
「やだ。忘れない。ずっとずっと、覚えてる」
ニコに聞きたいことはあったが、今は聞くべきときではない。今はただ、二人で並び立つときだ。ペケはまだ慣れない微笑みを浮かべると、ニコのそばへと歩み寄る。様子を見に来たお節介な太陽に照らされて、ニコの胸元で〝Ⅱ〟の鍵が煌めいた。
明日は、カボチャ狩り。この力を、ただの失敗作で終わらせてなるものか。ペケは小さな決意とともに、魔女帽を深く被り直した。
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