第8話「魔女の宴は月降る夜に」

 魔女帽を買って店を出た時、空はすでに暗くなっていた。

 魔女界グリムスの太陽は飽き性だ。だから、この世界の夜は長い。太陽は今日もすぐに疲れたようで、午後五時前だというのに日が沈んだ。


 辺りを見渡すと、輝くカボチャが屋根の周りや道のいたるところでフワフワと漂っていた。くり抜かれた浮きカボチャに天然ランタンをはめこんだ、空飛ぶカボチャランタンだ。

 月の光とカボチャランタンに照らされて、街は昼以上の活気に包まれる。


「ほらほら! 見てみなよ、時計塔!」


 枢機時計塔に埋め込まれた水晶が一斉に輝き、塔の全体が照らされた。そして一号塔の最上階に、複数の人影が浮かび上がる。


 先頭に立つのは〝Ⅻ〟の魔女、ヴィクトリア・ダース。この世界の自警団を統括する、十二人の魔女集団『時計塔の魔女』の代表だ。つまり彼女は、魔女界グリムスにおける実質的なトップといえる。その実力も折り紙つきで、〝Ⅻ〟を時計の文字盤になぞらえて、時を操る魔法を使うという。

 ヴィクトリアはその実力と功績、そして何より〝Ⅻ〟というモチーフから、弱冠二十歳にして『女王クイーン』の異名をほしいままにしていた。


「私の願いは、たったひとつ。ここに住む魔女も、訪れた魔法少女や魔導士も、今日という日を楽しんでほしい。それだけよ」


 枢機時計塔の上空に巨大な四角いスクリーンが出現し、ヴィクトリアの精悍な顔立ちが映し出される。これは〝Ⅳ〟の魔法だ。ヴィクトリアの後ろでは〝Ⅳ〟の魔女が鍵を掲げていた。

 ヴィクトリアは蒼の長髪を夜風になびかせ、指を鳴らす。それを合図に、花火ホウセンカの実が何発も打ち上げられた。空で弾けたホウセンカは燃え盛る種を四方に広げ、中央街セントラルの夜空を鮮やかに彩っていく。


「……きれい」


 花火の余韻も消えぬうちに、今度は〝Ⅶ〟の魔女がスクリーンに躍り出た。小柄な魔女の登場に、辺りが歓声に包まれる。直後、時計塔から光の柱が立ち昇り、空に無数の虹が架かった。


魔女界グリムスの繁栄を月に祈って……今宵も、魔女の宴を始めましょう!」


 花束のマイクに吹き込まれた声が、随所に咲いたヒマワリから響き渡る。スクリーンが消え、さらに数発の花火が弾けた。二度寝していた星たちが、花火の音で目を覚まし、そこかしこで輝き始める。こうして、魔女の宴が幕を開けた。


「それじゃ、ペケの全快を祝して、かんぱーい!」


 ここはカボチャランタンに照らされた商店街。広い道には露店が雑然と立ち並び、ほろ酔いの魔女で溢れかえっていた。

 魔女の飲酒は十七歳になってから。十三歳のニコはもちろん、年齢不詳のペケも飲酒はご法度だ。ジョッキに入ったメープルジュースを飲み干して、ペケとニコは次の露店に向かっていく。活気に満ちた喧騒が、どこか心地よく感じられた。


「あっ、やっと見つけました。ペケさん、ニコさーん!」

「……モモカ!」


 人混みの向こうから現れたのは、ふわふわとした長髪と垂れ目が特徴的な魔女。クオウ時計店の店員にして〝一〇〇〟の魔女、モモカ・ハンドレッドだった。


「店、抜け出してきちゃいました。これ、お近づきのしるしにと思って」


 メープルジュースのジョッキを受け取り、ペケはまだぎこちない笑みを返した。この世界は、思った以上に温もりに満ちているようだ。好意の受け取り方も、少しはうまくなれただろうか。


 魔女界グリムスの月は不器用で、細かな変化が苦手のようだ。近頃ずっと形を変えず、今日も三日月の姿のまま、優しく街を照らしていた。


 ニコやモモカとたわいのない話をしながら、カエルやコウモリのから揚げをつまむ。ときおり会話に割りこんでくる見知らぬ魔女と談笑しては、乾杯をする。辺りでは、成人の魔女がベリービールを片手に大騒ぎをしていた。ニコも負けじとクヌギコーラを三杯一気に飲み干して、周囲から感嘆の声が上がる。モモカは旧友に出会ったようで、失踪したテンリの思い出話に花を咲かせていた。そんな騒ぎに溶け込みながら、ペケはのんびりメープルジュースを口にする。

 こうして、魔女界グリムスの夜はどこまでも更けていった。


     ×××


「どうだった? 初めての中央街セントラル

「悪くなかったよ、とっても」


 帰りの羊車に揺られながら、二人は星空を眺めていた。その澄み切った輝きは、心の奥さえ照らしていく。ニコはゆっくり振り向くと、ペケの顔を覗き込む。その絹のような金髪が、ペケの鼻先をくすぐった。


「よかった、一緒に中央街セントラルに来て。やっと、ペケの笑顔がちゃんと見れたもん」

「……え?」


 いつの間に笑顔になっていたのか、ペケは自分でも気付けなかった。目を泳がせながら、今日の出来事を振り返る。それは行きの羊車や、カボチャパイのときだろうか。いや、商店街巡りや時計塔見学のときかもしれない。もしくは芋屋や帽子屋か、魔女の宴のどこかだろうか。

 そこまでじっくり考えて、ペケはようやく簡単なことに気付いた。


「そっか。今日一日、楽しいことだらけだったんだ」


 夜空に浮かぶ三日月は、いつの間にか満月になっていた。柔らかな月光に包まれながら、羊車は坂を駆け上がる。


「……色々ありがと。とっても、楽しかったよ」

「いつも、このくらい素直ならいいのにな」


 不安はあった。記憶が戻ったわけでもない。だがそれ以上に、ペケの心は満たされていた。


 ――目を覚ませ。いるべき世界は、ここじゃない。

 またしても心の声が響いたが、湧きあがる他の感情に流されてすぐにどこかへ消えていった。


 魔女帽を、夜風が優しく揺らしていく。それが少しこそばゆくて、ペケは帽子を被り直す。


「お嬢ちゃん、いい帽子だねえ。よく似合っているじゃないか」


 羊車乗りの初老の魔女が、ペケに小さく目配せをした。


「はい、自慢の帽子です」


 ペケは短く息を吐くと、柔らかく微笑んだ。今日ぐらいは細かいことを全て忘れて、この余韻に浸っていてもいいだろう。


 家まで辿り着いた時には、時刻は午後十一時を回っていた。星空に浮かぶ満月は、魔女界グリムスを静かに見守っている。二人は着替えもせずにベッドに飛び込み、すぐに深い眠りについた。


 この夜、ペケは初めて悪夢を見なかった。

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