第7話「とんがり帽子は魔女の証」
ふとしたときに、ついつい考え込んでしまう。どうやらこれが、ペケの癖のようだった。
今もニコに連れられながら、気付けば別のことを思考していた。果たしてこの調子で本当に記憶が戻るのか、今のやり方は正しいのかと、ペケは考えを巡らせる。
現状、あまりに手がかりがない。ペケを知る人も居なければ、ペケ自身が何かを思い出すこともない。そもそも、根本的なところで大きな勘違いをしているのではないかと思えるほどだ。
例えば、記憶の中身ではなく、記憶をなくした理由について探すべきだとしたら。
例えば、自分が陰謀に巻き込まれているのだとしたら。
例えば、そもそも記憶喪失ですらないとしたら。
絶え間なく浮かび上がる雑多な思考が、ペケの脳内を埋め尽くしていく。このどうしようもない悪癖を、ペケは自覚しつつあった。しかし、悪癖といえども個性である。空っぽの少女にとって、それは大切にしていきたいものだった。
自分の中の手がかりを探して、ペケは思考の海に沈んでいく。いつしか、喧騒すらも耳に入らなくなっていた。
――いるべき世界は、ここじゃない。
ふと、頭の奥で声が響いた。まるで、心そのものが警告を発しているようだった。
――目を覚ませ。いるべき世界は、ここじゃない。
同じフレーズが、何度も浮かんではすぐに消えていく。今、ペケは何かを思い出そうとしているのだろうか。心臓が、力強く脈打った。
「――ねえ、ペケ! ペケったら!」
ニコの声で、ペケは我に返った。気付けば、全身から冷や汗が噴き出していた。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
妙な不安に駆られても、今はどうしようもない。ペケは、すぐに頭を切り替える。
見れば、ニコは通りの向こうを指差して、訴えるような表情を浮かべていた。指差す先にあったのは、小さな芋屋。店の前では、腕まくりをした二十代中盤ほどの魔女が声を張り上げている。
「今日採れたてのイノシシ芋が、今だけなんと銅貨三枚! 魔女も驚く大安売りだよ!」
店頭の籠に並んでいるのは、魔女の肩幅ほどもある巨大な芋だ。地中をがむしゃらに駆け巡るイノシシ芋は、時として倒木や地崩れの原因にもなるという。
「さあ、残りあとわずか! お一人様一つまでだよ!」
その言葉を聞き、ニコが強く袖を引く。ペケはようやく合点がいった。
「一応聞くけど、何個買うつもりなの?」
「もちろん、三個に決まってるよ!」
ニコは陽気に即答するが、どう考えても数が合わない。意図が読めず、ペケは首をかしげた。
「そこで魔法の出番ってわけ。私が何の魔女か忘れたの?」
ニコの目が強気に輝く。〝Ⅱ〟の鍵を前に突き出し、ニコは空中で鍵を回した。
「――ダブルドール!」
鍵の先に、橙色に輝く魔法陣が展開された。中央に大きく〝Ⅱ〟と描かれた魔法陣は、鍵の紋様と一致している。そして魔法陣をくぐり抜けるように、ニコそっくりの人形が姿を現した。
等身大のニコ人形を作り出す、
「これで、ペケを合わせて三人。私とドールは双子ってことにしちゃってさ」
確かに、人形自体はニコ本人と見分けがつかないほどに精巧だった。しかし動きがぎこちなく、ひとつひとつの動作が直線的だ。それどころか、眼球も動かなければ瞬きすらしていない。
「いや、さすがにばれると思うけど」
「やる前に諦めちゃ、何もわからないでしょ? ほら行こっ、ペケ!」
その後のニコの奮闘を、ペケは恥ずかしさのあまりよく覚えていない。ただ一つ言えるのは、笑いを堪える店員の前でもニコは相変わらずニコだったということだ。
「ははっ、面白い譲ちゃん達だね。いいよ、今回は特別ってことで!」
気前のいい店員から、まずはひとつイノシシ芋を受け取る。芋は身が引き締まり、石のようにずしりと重い。その予想外の重量に、ペケはついよろめいた。
「でも、これ、どうやって持って帰るのさ」
よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、ニコが大きく胸を張る。そして素早くマントを脱ぐと、地面に広げた。
「あとはマントの上に芋を並べて……そうそう、三つともはみ出ない感じで!」
ニコに言われるがまま、ペケはマントの上にイノシシ芋を並べていく。だが、これでは包むことはできても、持ち上げることすらできそうにない。
「ありがとね、ペケ。よしっ、これで準備完了!」
ダブルドールはすでに解除されていた。ニコは鍵を振り下ろすと、マントに突き刺し、捻る。
「――ペタンコペイント!」
マントの表面に〝Ⅱ〟の魔法陣が展開される。並べられたイノシシ芋は魔法陣に吸い込まれると、実寸大のラクガキとしてマントの表面に浮かびあがった。まるで上から押し込んだかのように、三つの芋は置かれた時の姿のまま、マントに描かれたラクガキと化していた。
「はへっ? え、何したの?」
「ペタンコペイント。物体をラクガキに変えて貼り付ける、二次元化の魔法だよ」
二分割のニコギロチンに、二人目を作るダブルドール、そして二次元化のペタンコペイント。これら三つが、現在ニコが修得している魔法のすべてだった。
マントを羽織り直したニコが、得意げに白い歯を見せる。マントには、橙色の鍵が刺さったままだ。鍵を刺したままにしておかないと、二分で効力が切れるのだという。
「これでよし、っと。さあ、次が最後だよ」
「別に、あと何軒でも付いていくけど」
買い物に付き合うことが少しでもニコへの恩返しになるのなら、これほど嬉しいことはない。ニコに促されるまま、ペケは芋屋のすぐ向かいの店に入っていった。
そこは、古びた帽子屋だった。
こぢんまりとした店内に、所狭しと魔女帽が並んでいる。
「さあ、ペケ。どれでもひとつ選びなよ」
「へっ?」
素っ頓狂な声が漏れ、静かな店内に響き渡った。
「きょう一日、私のワガママに付き合ってくれたお礼だよ! だってすごく楽しかったもん」
ニコは頬を掻きながら、照れ隠しのように笑っていた。
やはり、ニコはお人よしが過ぎるのだ。今日だけで考えても、枢機時計塔までの案内や、道中での観光など、むしろペケがニコの世話になってばかりだ。看病してもらった時期も含めれば、到底感謝しきれるものではない。
「そんな、私、貰ってばかりで。むしろ、私が何かお礼したいくらいで……」
「いいのいいの。お金も持ってないのに無理しないの。ほら、選ばないなら私が選んじゃうよ!」
確かに、今のペケは自分の魔女帽を持っていない。買うなら、今以上の機会はないのだろう。
「ねえねえ、これなんてどうかな? えいっ!」
後ろから駆け寄ってきたニコに、不意打ちのように帽子を被せられる。ペケは諦めたように息を吐くと、鏡の前に立った。ニコが持ってきたのは、肩幅以上の大きなつばが特徴的な、黒のとんがり帽子だった。手触りはシルクのように滑らかで、大きさの割に重さは感じない。
「ノビアミ麻の魔女帽だよ。少し破れても、勝手に育って傷が塞がるんだって!」
「これ、気に入ったかも。でも、高いんじゃない?」
「いいんだよ、これからずっと使うことになるんだし。だって、ペケは魔女なんだから」
ニコは、ペケを魔女だと信じて疑っていないのだ。その根拠のない自信がなぜか嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
カウンターでは、店員の魔女が待機していた。〝三六〇〟の鍵を持つ店員は、巻尺を片手にペケの頭まわりを測っていく。そして数分と経たないうちに、帽子の寸法合わせは終わっていた。
帽子は、見事にペケの頭に馴染んでいる。決してきつくはないのだが、どんなに激しく動いてもずれる気がしない。店員のモチーフ通り、まさに三六〇度死角なしの仕上がりだった。
「ねえ、ニコ。ところでこれ、何?」
魔女帽には白いベルトが交差するように巻きつけられ、大きな〝X〟の模様となっていた。
「私がお願いしたんだよ。ペケを知る魔女が、ペケを見つけやすいように。〝X〟の魔女がここにいるよって、どこから見てもわかるように」
自身の衣服にモチーフのデザインを組み込むことは、魔女の間では一般的だ。ここ、ミロの帽子屋でも、魔女ひとりひとりに合わせたオプションが人気を博していた。
「これは、ペケだけの帽子。〝X〟の魔女、ペケ・エクステンドの帽子だよ」
ニコの言葉を反芻するように、ペケは〝X〟の魔女帽を深く被り直した。
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