第6話「異界の価値と、渡航の意味と」

 枢機時計塔は、見上げるほどの時計塔が何本も連なった、古城にも似た人工建造物だ。

 蔓や苔で覆われた、黒レンガの壁面。壁面から生えるように突き出した、無数の水晶。それぞれの塔の上部に取り付けられた、巨大な時計。その姿は、荘厳さと優美さを兼ね備えていた。


「とうちゃーく!」

「……すごい」


 手頃なカラスカフェで昼食を済ませた二人は、ついに枢機時計塔へと辿り着いていた。

 正門を抜け、塔の内部へ入る。そこは、聖堂と見間違えるほどの空間だった。レンガの壁面は隙間なく根や蔓で覆われ、複雑に絡み合う木々がゴシック様式にも似た模様を構築している。


「鍵の登録、確認は……ええと、七号塔でいいのかな」


 案内板を、ペケはまじまじと覗きこむ。現在二人がいるのは一号塔と呼ばれる場所で、他の塔とは連絡通路で繋がっているようだ。


「ねえねえ、その前に一か所だけ行きたい場所があるの。いい?」

「いいけど、どこ?」


 ニコはニヤリと口角を上げると、ペケの手を取った。


「ペケ、まだ見たことなかったでしょ? 見に行こうよ、ゲート!」


 ゲートとは、異界と異界、異界と人間界を繋ぐ門。何度も耳にしてきた単語だが、どのようなものかは見当もつかない。ペケは小さく頷くと、ニコに手を引かれるままに進んでいった。



 塔の内部は、商店街に負けず劣らず魔女で溢れていた。樹のトンネルの連絡通路はやや狭く、人の流れに負けそうになる。すれ違うのは魔女が大半だが、魔法少女や魔導士もいるようだ。


 ふと、視界の端を場違いな人影が横切った。ペケの知識が間違いでなければ、あれは人間界の一般的な服装のはずだ。


「ねえ、ニコ。あれって……」


 ペケの疑問は喧騒にかき消され、ニコには届かなかった。


 三号塔は、ゲートのための施設のようだ。簡易的なボディチェックを受けた後、二人は三号塔に入っていく。警備の魔女がそこかしこで監視の目を光らせ、張りつめた空気が空間を満たしている。そして広大な空間には、魔女二人分ほどの高さはある純白のプレートが等間隔で並べられていた。見たところ、百枚近くはあるだろう。


「もしかして、あれって」


 小声で、問いかける。直立する純白の板は、継ぎ目もなく大理石のように滑らかだ。どこまでも無機質な長方形は、巨大な扉のようにも、門のようにも見えた。


「そうだよ、あれは純白の門。人間界へ繋がるゲートだよ」


 そのとき、純白の門の一つが光を放った。門の無機質な表面が揺らめき、まずは腕、次に脚、最後に頭と胴体が、すり抜けるように門から出てくる。

 純白の壁面の向こう側から現れた少女は目をぱちくりとさせると、興奮した様子で辺りを見回す。そして駆け付けてきた係の魔女に連れられて、少女は別室に消えていった。どうやら、そこで魔女としての基礎を教わるようだ。


「どう? 面白いでしょ? 私たちは、あんなふうに人間界からやって来たんだよ」

「すごい。あれが、ゲートなんだ」

「異界のヘンテコは、まだまだ沢山あるんだよ。せっかくだし、他のゲートも見に行こうよ!」


 二階には、同じく魔女二人分の高さはある巨大な鏡が多数置かれていた。これは鏡の門と呼ばれる、魔法少女界アリスへ繋がるゲートらしい。鏡の縁にはきらびやかな装飾が施され、大小様々な宝石が惜しげもなく散りばめられている。その近くには、魔法少女界アリスへ渡ろうとする魔女の待機場所や、やって来た魔法少女の入界審査窓口などがあった。


 続く三階は、水晶の門で埋め尽くされていた。水晶の門は魔女界グリムスへと繋がるゲートであり、継ぎ目のない巨大な水晶だ。その縁には小さな六角柱の水晶が連なり、煌めいている。


「……ここって魔女界グリムスなのに、魔女界グリムスへのゲートもあるんだね」

魔女界グリムスも広いからね。これは魔女界グリムス内の移動に使うゲートだよ。政府の施設同士を繋ぐのがメインだから、私みたいな一般の魔女じゃ使わせてもらえないのが残念だけどね」


 異界に、現代的な交通手段は存在しない。長距離を移動するには、魔女界グリムス内であってもゲートを利用するのが一番確実なのだろう。


 そして四階には、魔導士界ロゴスへと繋がるゲートである石盤の門が立ち並んでいた。全面に細かな紋様が刻まれた黒色の石盤はまさに神秘的で、ペケはしばらく見とれてしまっていた。


「ええと、鏡が魔法少女で、水晶が魔女で、石盤が魔導士で……?」

「あははっ。そのうち自然と覚えるから、そんなに必死にならなくても大丈夫だよっ!」


 必死に『新米魔女の魔女界グリムス入門』のページをめくるペケを見て、ニコは楽しそうに笑う。


「よーし! それじゃ、今度こそペケの目的地に行こっか!」


 そして二人は、ついに七号塔に向かって歩き始めた。




 七号塔は各種事務を行う場所で、鍵の登録確認もその業務の一つらしい。人間界でいう役所のような場所だと、ニコは楽しそうに語っていた。入口で整理券の木札を受け取り、二人は切り株の椅子に座る。どういうわけか切り株は適度に柔らかく、疲れた体にはありがたかった。


「……うー。…………疲れた」


 病み上がりのペケにとっては、突然の外出は少々辛いものがあった。体の使い方を忘れている様なだけで、体力がそこまで落ちていたわけではない。しかしそれでも、疲れは出る。


「ごめんねペケ。ついつい連れ回しちゃって」

「ん、別にいいよ。……楽しかったし」


 ニコは一瞬、口をぽかんと開けて固まった。それを見て、ペケも気付く。楽しかったという言葉が自然と口をついたことに、自分でも驚いていた。


「そっか、そっか。うん、ならよかった」


 はちきれんばかりの笑みを浮かべ、ニコが瞳を覗きこんでくる。それがどうにも気恥かしくて、ペケは思わず目を逸らした。


「……あ、そうだ! ね、ねえニコ。私ずっと気になってたんだけどさ、あの人たちって何なんだろうね? ほら、スーツだよね? あの服装」


 何とか話題を変えようと、ペケは窓口の担当者を指差す。ここに来るまでも、行き交う人々を眺めてきた。だが、そこにいたのは魔女だけではない。魔法少女や魔導士、そしてなによりごく少数だが、スーツ姿の者もいたのだ。


「うん、あの人たちは魔法使いじゃないよ。ただの、普通の人間だよ」


 話題を逸らしたいという意図があからさまだったのだろう。ニコは意味ありげに目を細めたが、丁寧に説明を始めた。余計に恥ずかしいが、心遣いはありがたい。


「魔法がなくても、鍵がなくても、異界に来れるの?」


 ここは魔女の世界だったはずだ。ゲートを通るには、魔法使いの鍵が必要だと聞いた。


「うん、ビザ用の擬似鍵さえあればね。だけど、魔法使いじゃない人はマナ酔いを起こすから、どちらにせよほんのちょっとの期間しかこっちにいられないみたい」


 三界は例外なく、空間そのものにマナが満ちている。魔法使いはマナを魔力に変換し無害化できるため、マナによる悪影響の心配はない。しかし人間が異界に来た場合、高濃度のマナに直接晒されることになり、心身に異常をきたすのだという。それがマナ酔いという現象だった。


「……なら、どうして無理をしてまで異界に来るんだろ。ただの人間が異界に来たって、魔法が使えるわけじゃないのに」


 今度は、話題逸らしではない純粋な疑問だった。


「ねえ、ペケ。前にさ、『私たちは自分の意思でここに来た』って言ったでしょ?」


 そうだ。どんな魔法使いにも、人間界での家族や生活があったはずだ。それを捨ててまで異界に来る目的は何なのか。元は無人の三つの異界を、ここまで開拓した理由は何なのか。そして魔法使いではない人間まで異界に来るのは、いったいなぜなのだろうか。


「異界渡航支援制度。それが、ぜんぶの答えだよ」

「異界渡航の……支援制度?」

「私たちは、この制度で異界に来たの。そしてあの人間ヒトたちは、制度の運営側って感じかな?」


 魔法使いという存在は、マナがほぼ存在しない人間界では意味がない。現に三界が発見されるまでの間、魔法使いは『鍵産み』と呼ばれていた。胸の奥から未知なる鍵を生み出すだけの、価値のない怪奇現象としか捉えられていなかったのだ。

 だが、その状況は四十年前に一変する。とある魔法使いの手によって、ゲートの向こうに存在する三つの異界が観測されたからだ。


「鏡の門、石盤の門、水晶の門。この三つのゲートは、人間界でもごく稀に発掘されていたんだよ。だけど、調べても何もわからなかったの。当然だよね、鍵がなければゲートを通ることはできないんだから。でもあるとき、とある魔法使いが鍵に導かれて、博物館に展示されていたゲートに触ったの。そして、異界に辿り着いたんだよ」


 マナに満ちた異界でこそ魔法使いは真価を発揮するのだと、人々はそのとき初めて知ったのだ。鍵産みの奇病と気味悪がられた存在は、魔法使いという価値を得た。


「そんなことを知っちゃったら、社会も魔法使いも、黙ってはいられなかったの」


 魔法使いと三つの異界。それは、現代科学技術を次のステップへと押し上げる可能性を持つものだ。例え現代の常識全てを破壊する危険性を秘めていたとしても、技術停滞とエネルギー問題に悩まされていた政府や技術者にとって、それは見逃すことのできないものだった。


 その後の度重なる異界調査と議論の末、政府が打ち出した方針は主にふたつ。

 ひとつは、異界で魔法使いの育成を促し、そこで得られた知見を人間界での技術発展に役立てること。もうひとつは、魔法使いの育成のために異界への移住を支援することだ。

 こうして生まれたのが、異界渡航法および異界渡航支援制度だった。


「えーとね、異界渡航支援制度が始まったのが、確か三十年前くらいだったかな?」


 この制度により、異界へ移住する魔法使いとその家族には手厚い支援が行われる。そして人間界に戻った際、魔法使いとしての技量が高いほどその待遇は良くなり、熟練度によっては億万長者も夢ではないという。


「でもさ。いくら異界で鍛えても、マナがない人間界に戻ったら、魔法は使えないんじゃ……」

「覚えてる? 魔法使いはマナを魔力に変換して体内に蓄積するんだよ。だから異界で魔力を溜めこんで、そのまま人間界に戻ればいいの。やっぱり、出力はすっごく落ちちゃうけどね」


 人間界で魔法を使うのは、熟練の魔法使いでも至難の業だ。そのうえ個々人によって魔法の性質も全く異なることから、魔法に関する研究はまだ実用には至っていないという。現時点ではデータ提供や実験に協力し、知見の充実に一役買うのが魔法使いの限界なのだ。


 それでもなお、異界へと渡る魔法使いは近年加速度的に増え続けている。魔法素質の検査方法が確立されたのも理由のひとつだが、制度開始から三十年が経過し、未知なる世界への不安が払拭されつつあるのが、やはり最大の理由だろう。


 優れた魔法使いとなり、人間界での億万長者を目指す者。異界で魔法を楽しむ者。異界の研究に励む者。先人が開拓した異界に様々な思惑がなだれ込み、今の異界を形作っているのだ。


「というわけで、あのスーツの人たちは政府の役人さんだよ。制度の維持管理のために、こっちまで来てるんだって!」


 窓口を担当するのは魔女の嘱託職員が大半だが、その奥ではスーツ姿の女性が書類の処理をしていた。やはり制度を維持するためには、政府の役人も現地に必要なのだろう。


「お次の魔女の方、どうぞー」


 話し込んでいるうちに、順番が来ていたようだ。事務的な声に呼ばれ、二人は窓口に向かう。


「あの、すいません。鍵の照合をしたいのですが」


 経緯を簡潔に伝え、白銀の鍵をテーブルの真ん中に置く。窓口の魔女は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐに無機質な笑顔に戻った。


「分かりました。では、こちらの蝋に鍵紋をお願いします」


 羊皮紙に垂らされた蝋に、〝X〟が刻まれた鍵の頭を押し付ける。鍵の先端は物体に潜り込むこともあるため、照合には持ち手部分である鍵の頭を使うのだ。

 鍵の頭には魔法使いごとのモチーフが刻まれ、その周囲には細かな彫刻が施されている。魔法の鍵は、魔法使いの心から生まれるモノ。心の形が人の数だけあるように、鍵の形も魔法使いの数だけある。例えモチーフが同じでも、その字体や周囲の紋様はひとりひとり違うのだ。


「では、台帳と照合させていただきます。一か月後にまたお越しください」


 窓口の魔女は、あっさりとそう告げた。魔女は魔女界グリムスに初めて来た時、すぐに鍵紋と本人情報の登録を行う。つまりペケが魔女であれば、台帳との照合により身元が分かることになる。


「……はい。お願いします」


 一礼をして、窓口を後にする。手続き自体は思った以上に拍子抜けだったが、ともかくひと段落ついたのだ。ペケの体から、一気に力が抜けていった。


 しかし、一か月という期間が何とももどかしい。自身の意思とはまったく無関係に、ただ事務的に真実は露わになる。そこに努力の介入の余地も、劇的な展開もありはしない。ペケは、祈ることしかできなかった。

 だが、そんなペケの心を感じ取ったのか、ニコが口を尖らせる。


「ねえ、ペケ。結果がわかるまでの間、ただ黙って待ってる必要はないんじゃない? ちゃんと身元がわかっても、記憶が戻るかどうかとは別問題でしょ?」


 確かにそうだ。一人で思い詰めると単純なことさえ見落とすのだと、ペケは改めて実感する。


「せっかくだし、いろんな物を見て回ろうよ。思い出すキッカケになるように、ね?」

「……そうだね。ありがと」


 ペケは、目を合わせないまま礼を言う。ニコのお節介を素直に受け入れつつある自分に気付き、どうにもむず痒くなったのだ。


「それじゃ、帰る前に買い物していこうよ!」

「あ、待って、ニコ!」


 ペケは慌てて杖を背負うと、鼻歌交じりのニコの背中を追いかけた。

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