第5話「魔女の時計屋の小さな出会い」

 翌朝、ペケはニコに連れられ、中央街セントラルへと向かっていた。

 魔女界グリムスの太陽は気まぐれで、今日は早めに朝が来た。どうやら機嫌がいいのだろう、いつもより元気に輝いている。


「ねえ、ニコ。やっぱり、近所の聞きこみじゃ分からなかったね」


 寝不足のせいか、頭が痛む。毎日のように悪夢にうなされ、どうにも疲れが取れないのだ。


「仕方ないよ。うちの近所、街のはずれだし住んでる魔女も少ないもん」


 七頭の羊に牽引され、四輪の簡素な木造車両が坂を駆け上がる。大地は波打つように大きく隆起し、皺だらけの布地のようだ。

 突然車輪が小石に乗り上げ、車両が大きく左右に揺れた。ペケは思わず悲鳴を上げ、とっさにニコにしがみつく。


「羊車に乗るのは初めてかい、お嬢ちゃん」


 手慣れた様子で羊の手綱を取りながら、初老の魔女がペケを見る。


「……はい、たぶん」

「この辺りは、良質の羊が実る木が多いからねえ。うちほどの羊車は、よそではそうそうありゃしないよ!」


 未舗装の道の左右には、枯れた大樹がまばらに立ち並ぶ。捩れた幹には扉と窓が取り付けられ、渦巻く枝にはランタンがぶら下げられていた。


 これらは『カラミキの樹』と呼ばれる大樹でできた、魔女の家だ。カラミキの樹は象の足にも似た下膨れの幹が特徴的で、幹の内部は大きな空洞になっている。それをそのまま利用した住居が、魔女界グリムスの田舎では一般的なのだ。


「ところでお嬢ちゃん、帽子はどうしたんだい? 駄目じゃないか、魔女なんだから」


 つばの広いとんがり帽子、そしてマント。この二つは、どうやら魔女の正装らしい。常に身に付ける必要はないが、これらの片方がないだけでラフな格好と見られるようだ。


「きっと、森のどこかに落としちゃったんだと思います」


 森で目覚めるまでの間に、帽子はどこかへ飛んで行ってしまったのだろう。とても、見つけられるとは思えなかった。ボロ布とはいえ、マントが残っていただけでもありがたい。


「そうかい、そりゃ悪いことを聞いたね。ほら、景色でも見てりゃ嫌なことも忘れるさ」


 波打つ大地の向こうでは、天まで届く豆の木や、雲を貫く天樹達が、悠然と大地に根を張っていた。ほんの少しの気まぐれでいつ天地がひっくり返ってもおかしくない、ここはそんな場所なのだと、世界そのものが主張していた。


「……おー、すごい」


 魔女界グリムスの風景に圧倒されて、つい気の抜けた声が漏れてしまう。


「どう? 何か思い出せそう?」

「わかんない。どれもこれも、全部が新鮮だよ。でも、なんか懐かしくて、不思議な感じ」

「そっか。無理しないでね、ペケ」


 爽やかな風が、寝ぐせだらけの黒髪を優しく揺らす。中央街セントラルの入り口につくまでの二時間ほど、ペケはずっと外の景色を眺めていた。


     ×××


「あいよ、到着だよ! すまないねえ、羊車じゃ街の中までは入れないもんでさ。帰りは、午後八時過ぎでいいかい?」


 初老の魔女に礼を言い、銅貨を払う。そして二人は、中央街セントラルへの門をくぐり抜けた。


 中央街セントラルは見渡す限り、どこも魔女で溢れていた。つばの広いとんがり帽子の人影が盛んに行き交い、活気に満ちた声が飛び交う。その熱量に、ペケは思わずたじろいだ。


 石で舗装された道の脇には、木造やレンガ造りの店が隙間なく並ぶ。カラミキの樹もところどころに生えていたが、このような密集した都市部では、好きな場所に建てられる人工の建築物が主流のようだ。


「ねえねえ、ペケ、あれ見てよ! 浮きカボチャだよ!」


 ニコに袖を引っ張られ、ペケは空を見上げる。くり抜かれたカボチャがそこかしこで宙に浮き、広告と思われる垂れ幕をぶら下げていた。

 垂れ幕には『浮きカボチャ菓子専門店、モココパンプキン』『ソラの森の名産品、ぜひ一度ご堪能あれ』といった宣伝文句が書かれている。


「浮くのもすごいけど、すっごく美味しいんだよ! ペケ、ちょっとアレ買っていこうよ!」


 こういうときのニコは素早い。返事をしようと振り向いたときには、ニコはすでに店の前に並んでいた。

 そしてすぐに、ニコが両手にカボチャパイを持って戻ってくる。


「やった、久々の浮きカボチャパイ! ねっ、すごいでしょ、中央街セントラルって! 魔女界グリムス各地の夢とヘンテコが揃ってるんだよ!」


 浮きカボチャのパイを食べながら、二人は街の中心部へと歩いていく。目指すは、枢機時計塔。魔女界グリムスの各所に点在する時計塔の本部であり、この世界の中枢機関だ。


「それにしても、やっぱり魔女しかいないんだね、この世界。……あ、これ美味しい」


 浮きカボチャのペーストは、フワフワと口内でほどけていく。齧った瞬間に口全体に広がる甘みと、サクサクとしたパイの食感のハーモニー。軽やかに口内を駆け抜けていく濃厚な味わいに、ペケは早くも虜になっていた。


「一応、少しは魔法少女や魔導士もいるみたいだけどね。ほら、あそこにも!」


 枢機時計塔には、異界間を繋げるゲートが設置されている。そのため、旅行や冒険に訪れる魔法少女や魔導士も中央街セントラルではよく見られるのだという。


 ペケは行き交う人々を眺める。とんがり帽子の人ごみに紛れ、リボンやフリルをあしらったドレス姿の少女や、ローブを纏い杖を持った少女などがちらほらと見受けられた。

 帽子とマントは魔女の正装で、リボンとドレスは魔法少女、ローブは魔導士の正装だ。『新米魔女の魔女界グリムス入門』にも、そう書いてある。


「……何というか、ものすごく分かりやすい見た目してるんだね」


 道端では、ピンクのドレスを着た魔法少女と、茶系のローブを纏った魔導士が親しげに会話していた。奇妙な光景ではあったが、これが異界の常識なのだとペケは自然と納得できた。



 中心部に近づくにつれ、活気はさらに増していく。水晶屋、時計屋、果物屋、帽子屋、土産屋、甘味所。大半が魔女界グリムスの特産品を扱う店だが、別の通りには人間界や他の異界の専門店もあるとのことだ。


「さあ、寄ってらっしゃい! キラリの森で収穫された、天然ランタンだよ! そこらの畑ランタンとは、油の持ちが段違い! 今なら三つで銀貨二枚! どうだい、そこのお嬢さん!」

「深層樹海の水晶でーす! 買って下さーい! ビリビリ痺れる、痺れ水晶もありますよー!」

「ノビアミ麻の帽子だよ。多少破れても数日あれば元通り。大気中のマナで勝手に育って穴が塞がる、一生モノの帽子だよ。しかも、麻でもシルクの肌触り。……どう?」

魔女界グリムス名物、水晶時計! 魔女、つまり『数字』を象徴する逸品、ぜひお土産やご自宅に!」


 洪水のように押し寄せる情報に、ペケは眩暈さえ感じていた。興奮しっぱなしのニコは、ペケの手を引き店から店へと駆けまわる。


「な、何も考えてないわけじゃないよ。ほら、色々見てたらペケも何か思い出すかもしれないでしょ? そうだ、次はあの時計屋に行こうよ!」


 数ある店の中でも、特に人気があるのが時計屋だ。魔女界グリムスは、森と水晶と魔女すうじの世界。だから木製の水晶クォーツ時計は、この世界のシンボルなのだ。中枢機関が時計塔だというのも、そういった経緯から来ているのだろう。


 その中でもここ、クオウ時計店は別格だ。赤いカーペットと水晶のシャンデリアに彩られた店内には、大小様々の時計が並ぶ。値段は文字通り桁違いだが、その精巧なつくりは何も知らぬペケにも十分伝わった。


「ここ、一度でいいから来てみたかったの! 見て見て、この懐中時計!」


 ニコが指差す先にあったのは、水晶クォーツ式の懐中時計。しかも、ボディに天樹を利用した最高級品だ。商品説明の木札には『天まで伸びる大樹の強度』『何があっても壊れない』『魔女が降っても壊れない』の宣伝文句が大々的に刻まれている。

 ニコは懐中時計をうっとりと眺めていたが、その値段を見て肩を落とす。


「やっぱりすっごく高いんだよねー。あ、そうだ!」


 ニコは辺りを見回すと、ペケの後方に店員を見つけたらしく、大きく手を振った。


「店員さん、すいませーん! この時計の型落ちとかってありますかー?」

「はい、ただいま伺いま……」


 後ろから聞こえた声が、唐突に途切れる。直後、息を呑む音がはっきりと聞こえた。


「……え? うそ……。……テンリ?」


 テンリ。声の主は、ペケのことをそう呼んだのか。ペケは弾かれたように振り返る。そこには、目を丸くして立ち尽くす、気弱そうな魔女の姿があった。


「知ってるんですか!? 私のこと!」


 魔女の店員はハッと我に返ったようで、目を何度かしばたたかせた。


「……す、すいません! 人違いでした! 大変申し訳ありません!」


 店員は赤面し、アワアワと長髪を振り乱す。だが、ペケは引き下がらない。


「待ってください! 何でもいいです、教えてください!」


 どんな情報も、今は貴重だ。店の奥に引っ込もうとする店員を、やっとのことで引き止める。


「――私は、私を探しているんです」


 その様子にただならぬ物を感じ取ったのか、店員はおどおどとした口調で語り始めた。


「〝テン〟の魔女、テンリ・デクテット。テンリは、私の大切な友達だったんです」


 彼女がテンリと出会ったのは二年前のことだった。出会ったときから何か通じ合うものがあったらしく、二人はすぐに意気投合したのだという。


「テンリと私は、それからいつも一緒に居ました。だけど、三ヶ月前にテンリは行方不明になっちゃったんです。ソラの森に二人で散策に行ったときに……」


 ソラの森の危険度は低く、駆け出し魔女でも安心だと評判だ。しかし、ほんの一瞬目を離した隙に、テンリは姿を消したのだという。そして、その後いくら探しても、テンリは見つからなかった。だがいつかテンリが帰ってくることを信じて、彼女は今も待ち続けているのだ。


「私、記憶喪失なんです! 〝X〟なんです! ソラの森で、倒れていたんです!」


 三ヶ月という時期のズレこそ気になったが、とても無関係とは思えなかった。自身の置かれた状況を、ペケは早口で説明する。だが、店員の魔女はゆっくりと首を横に振った。


「ごめんなさい、私の人違いです。後ろ姿が似ていたから、つい……」

「そんな、でも……」

「違うんです。テンリはもっと背が低くて、幼い顔をしていました。あなたも小柄だけど、それよりずっと。そして、瞳も黒じゃなくて茶色だった。泣きボクロが素敵だった。八重歯が愛らしかった。鍵も、澄んだ赤色だった」


 挙げられた特徴は、どれもペケとは一致しない。うなだれるペケを見かねてか、隣にいたニコが割り込むように身を乗り出した。


「何かの間違いってことは? 偶然にしてはできすぎだよ! そう思いませんかっ?」

「……何より、テンリは歩けないんです。あの日も、私が車椅子を押していました」


 二人とも、言葉を失った。ペケがテンリだという可能性は、完全に潰えてしまった。


「本当にごめんなさい。勘違いさせるようなことを言ってしまって。不思議と、雰囲気がそっくりだったんです。全然違うのに、テンリの面影を感じるんです」


 彼女の目には、涙が浮かんでいた。誰を責めることもできなかった。そもそも、こんなに都合よく答えが見つかるはずもない。早とちりをしたあげく感情的になった自分が恥ずかしくなり、ペケは目を伏せた。


「……話してくれて、ありがとうございます。辛いこと、聞いてしまってごめんなさい」


 魔法使い同士でモチーフが被るのは、決して珍しいことではない。ペケが魔女であるという最大の希望まで否定されたわけではないのが、せめてもの救いだった。


「いえ、気にしないでください。一瞬でも、またテンリに会えた気がしたので」


 長髪の魔女は涙を拭くと、柔らかく微笑んだ。


「私、モモカっていいます。〝一〇〇〟の魔女、モモカ・ハンドレッドです」


 モモカと名乗る魔女は二人へと歩み寄ると、桃色の鍵を取り出した。鍵には、ローマ数字で〝一〇〇〟を意味する、〝C〟の紋様が刻まれている。ペケとニコも応じるように鍵を掲げ、モモカに見せる。魔法使いの間での、友好と信頼を意味する行動だ。


「ここで会ったが百年目……じゃなかった、ここで会ったのも何かの縁。ペケさんの情報をどこかで聞いたら、すぐにでも連絡しますね!」


 モモカに見送られ、二人はクオウ時計店を後にした。

 枢機時計塔は、すぐそこまで迫っていた。

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