第4話「私も一人だったから」
現在ニコは外出中で、狭い家にはペケ一人。ペケはベッドに腰かけて、物憂げに息を吐く。静寂が、空っぽの心に沁み入った。
一人になると胸が痛む。上下も分からぬ闇の中に、ぽつんと取り残されているようだ。拠り所となるものがない。自分のいるべき場所がない。そもそも、自分が何者かもわからない。自分と言う存在がどこにも根を張れずに、空虚な孤独が心を蝕む。
「……いやだよ、こんなの」
今までは、必死だった。見知らぬ森から命からがら抜けだし、動かぬ体を癒し、この世界のことを知った。とにかく目の前のことに精一杯で、余裕がなかった。
余裕ができた今だからこそ、ふとしたときに心の孤独を実感する。胸に触れた鍵の冷たさは、ペケの心そのものだった。
「ペケ、見て見て!」
ドアが勢いよく開け放たれ、静寂はたやすく破られた。息を切らしたニコが、本を片手に駆け込んでくる。
「これ、駆け出し魔女向けの入門書だって! ペケにどうかなって思ったの!」
ニコがそばにいてくれるのはありがたい。だがいくらニコが近くにいようと、肝心の自分がここにいない。それでは心の距離が近づくはずもない。ペケには、ニコの存在がどこか遠くに感じられていた。
「……ありがと、ニコさん」
返答までのわずかな間は、果たしてニコに気付かれただろうか。窓の外に見える空は、相変わらずの灰色だった。
ペケはベッドに座り直すと、受け取った本へと目をやる。『新米魔女の
ペケはぼんやりと思いを巡らせながら、ぎこちない手つきで入門書のページをめくっていく。そして、ニコから教わったことをひとつずつ反芻する。
ここは異界。元々無人の不思議な世界に、ゲートをくぐった魔法使いたちが移住した。
魔法使いは三属性。
また、異界も三つある。
そして最後に、もう一つ。それは魔法使いの象徴であり、異界を渡る通行証でもある。
「門を開け、繋げる『鍵』……か」
〝X〟と刻まれた白銀の鍵に目をやる。この鍵は、目覚めた時から首に提げていたものだ。
「そうだ、ペケの鍵もじっくり見せてよ! もしかしたら、何か手がかりがつかめるかも!」
いつの間にか隣に座っていたニコが、身を乗り出した。いつものように目を輝かせ、ペケの鍵をそっと手に取る。だが〝X〟の鍵を覗きこむと、ニコは眉をひそめた。
「ねえ、ペケ。いまさらだけど、これって何に見える?」
「バッテン? エックス? ……あ、もしかしたらローマ数字の一〇かも」
そこでようやく、ペケは事の重大さに気付いた。体が治ったら近くの街で張り紙や聞き込みをすれば何とかなると、今までは考えていた。森に散歩に出かけたとき、転んで頭を打つなどして一時的に記憶が飛んだだけの間抜けな魔女が自分なのだと、ここ数日でどこか楽観視している部分もあった。
しかしペケの不安が的中していたなら、事態はそう単純ではない。
「ニコさん。異界は、三つあるんだよね? ゲートとかいう移動手段もあるんだよね?」
震える声で、問いかける。ニコは、真顔で頷いた。
自身のモチーフが『バツ』『エクス』『テン』のどれなのかわからない。それはつまり、記号か文字か数字かがわからないということだ。
「私は、魔法少女? 魔導士? それとも、魔女? 私は、一体どこから来たの?」
そんな中で、果たして手がかりを見つけることができるだろうか。
視界が黒く塗りつぶされていくのを、ペケはどこか人ごとのように感じていた。
「……そっか。看病してくれて、色々教えてくれて、いままでありがと、ニコさん」
ゆっくりと、立ち上がる。脚の震えは隠せなかった。
「私なりに、適当に探してみるよ。お世話に、なりました」
ふらふらと、扉に向かう。そんなペケを、ニコが慌てて呼びとめる。
「大丈夫だよ、ペケ! 記憶喪失って大抵、数日とか十数日とかで戻るんだってさ! 歩けるようになったんだし、まずは近所に聞きこみに行こう! 外をいろいろ見て回ろうよ! そしたらきっと思い出すよ!」
「でも、もう、一週間も経つんだよ」
今まで、何かを思い出せそうな気配は一切なかった。森で目覚める前の唯一の記憶は、二つの人影が話し合う短い場面のみ。それ以外は、元からなかったかのように真っ白だ。
時間が経てば自然と思い出すなどとは、とても思えなかった。ニコもそれを分かった上で、励まそうとしてくれているのだろう。
「なら、明日一緒に
「でも、魔女じゃなかったら、どうするのさ!」
「だったら、
「そんな簡単に言わないでよ! 私の気持ちなんて、何も分かってないくせに!」
もはや恩人に向ける言葉ではなかった。
どこにぶつければいいかもわからない、行き場のない不安。このままここに自分がいれば、それだけニコに迷惑をかけてしまうというという焦燥。ニコに世話になってばかりで、何もできない自分自身に対する苛立ち。ペケの弱った心には、罪悪感と自己嫌悪がいつしか積もり積もっていた。
そして気付けば、その鬱積した感情を、あろうことかニコに向けている自分がいた。ペケの目からは、大粒の涙がこぼれていた。
「違うよ、ペケ! 簡単になんか言ってない! 簡単じゃないから、大変だからこそ、一人で抱え込んでちゃダメだよ!」
「でも! ……だけど!」
言いかけて、ようやくペケは気付いた。
――まずは近所に聞きこみに行こう! あと、明日一緒に
――だったら、魔法少女や魔導士の世界にも行こうよ!
どうすればこれ以上ニコに迷惑をかけないで済むか、ペケはそればかり考えていた。だがニコは、それが当然であるかのように、ペケの記憶探しに同行するつもりでいる。
「なんでさ。なんで、見ず知らずの私に、そこまでしてくれるのさ」
「私も、一人だったからだよ」
虚を突かれ、ペケの口が止まる。ニコは照れくさそうに頬を掻いた。
「だから、かな。放っておけないんだ、ペケのこと。……やーめた。恥ずかしいから、これ以上は教えてあげない」
ニコはいたずらっぽく微笑んだ。その目はどこか悲しげで、ペケはそれ以上聞くのをやめた。
「とにかく、一人で抱え込まないで。きっと大丈夫だよ。だって、ペケってなんか魔女っぽい見た目してるもん。きっと、魔女だよ。すぐ見つかるよ」
ローブのように柔らかなスカートを、リボンがあしらわれた黒のコルセットを、先端に宝玉が埋め込まれた身の丈ほどの杖を、ボロボロの黒いマントを、首から提げた〝X〟の鍵を、寝ぐせだらけのショートヘアを、そしてペケの黒い瞳を、ニコは一つずつ見つめて、頷いた。
「うーん、でもその杖は魔導士っぽいかな。あと、リボンは魔法少女っぽいかも。……あっ、大丈夫だって! トータルで見て魔女っぽいから、へーきへーき!」
その根拠のない言葉に、ペケは思わず笑みがこぼれた。
「こんなに迷惑かけちゃって、これからもっと借りを作っちゃって、本当にいいの?」
「うん、大歓迎! だけど、その分はこれからちゃーんと返してよね。全部が終わった後でゆっくりと、ね?」
ニコはその金髪に負けない眩しい笑顔を浮かべて、手を差し出した。
「うん。これからもよろしくね、ニコ」
ニコ、と呼ばれたことに気付き、ニコが白い歯を見せた。ペケはなんだか気恥かしくて、誤魔化すように、差し出された手を慌てて握り返した。
こうして、三つの異界を股に掛けた記憶探しの冒険が始まった。
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