第3話「ニコから学ぶ、三つのこと」

 一人で動けるようになるまでには、さらに数日を要した。その間、ペケはニコから様々なことを教わっていた。この世界のこと、魔法のこと、そして『鍵』のことも。



 まず、ひとつめ。ここは魔女界グリムスと呼ばれる異世界であること。


「異世界? ……ということは、元の世界が別にあるの?」


 晴れた日の朝。記憶を取り戻すきっかけになればと、ニコから本を借りたときのことだった。


「そうだよ。私たち魔法使いは、もともとみんな人間界にいたの。覚えてない?」


 魔法使い。それは、世界に存在する『マナ』と呼ばれる奇妙な力を『魔力』に変えて体内に蓄積し、行使できる者を指す。しかしマナがほぼ存在しない人間界では、魔法使いは意味をなさない。それ故に、自身の素質に気付かぬ者がほとんどだった。


 だが四十年ほど前、とある魔法使いの手によって『ゲート』と呼ばれる門の向こうに存在する三つの異界が観測された。マナに満ち溢れた三つの世界、それは魔法使い達にとって最適な環境だった。そして幸いなことに、どの異界にも知的生命体は存在していなかった。


「そして、私たちは自分の意思でここに来たの」


 元々いた世界から、未知の世界に移住する。それは並大抵の覚悟ではないはずだ。それほどの魅力が、この世界にはあるのだろうか。


「ちなみに私は、半年前にこの世界に来たばかりだよ。駆け出し魔女ってところかな?」


 ニコはとんがり帽子を被り直すと、おちゃめに舌を出した。


「……魔法の世界、か」


 説明をすんなり受け入れられた事実に、ペケ自身が驚愕していた。おそらくこれらの事柄は、記憶を失う前にすでに知っていたのだろう。


「そう、ここは魔女界グリムス魔法少女界アリス魔導士界ロゴスに並ぶ、三界と呼ばれる異界のひとつ。水晶の門の向こうにある、魔女のための世界だよ」


 それはひどくふざけた響きであったが、ペケにはどこか懐かしく感じられた。



 ふたつめ。異界が三つあるように、魔法使いも三つに分類されること。そして、魔法使いは女性しかいないということ。


 まず、ニコ・パラドールは魔女である。そのことについて改めて説明されたのは、三日月が綺麗な夜のことであった。

 カボチャパンツにノースリーブのへそ出しニット、短いマントに黒いとんがり帽子。それがニコの正装だ。だが、魔女というのは外見だけの話ではない。ここは魔女の世界で、住んでいるのもほとんどが魔女。そして自分は〝Ⅱ〟を司る魔女なのだと、ニコは胸を張っていた。


「魔法使いはね、みんなひとつずつ魔法のモチーフを持ってるんだよ。記号とか、文字とか、数字みたいな感じでね。例えば私は〝Ⅱ〟がモチーフだから、〝Ⅱ〟っぽい魔法が使えるの」


 ふと、白銀の鍵の〝X〟の刻印を思い返す。きっと、あれがペケのモチーフなのだろう。そして、あの日森で放った〝X〟型の衝撃波こそが、ペケの持つ魔法なのだ。あまりに微弱すぎる威力だった気がするが、さすがにあれが最大出力のはずがない。あの魔法で何ができるか試してみたいところだが、体が完治するまではしばらく安静にしていた方が無難だろう。


 ちなみに、ニコによると魔法使いの素質を持つのは女性だけらしい。そして、魔法使いはそのモチーフが記号・文字・数字のどれであるかによって、三属性に分類されるという。


「魔法少女、魔導士、そして魔女。それが、三つの魔法属性だよ」

「……へっ? そんなのでいいの?」


 魔法少女界アリス魔導士界ロゴス魔女界グリムスといった単語を聞いた時から予想はできた。しかし属性と聞いて、火属性や水属性といったものを思い描いていたペケは、思わず面食らった。


「いいんだよ、それで。だって、それが魔法使いってものだもん」


 記号をモチーフとする者、魔法少女。

 文字をモチーフとする者、魔導士。

 そして数字をモチーフとする者、魔女。

 人々は、魔法使いをこう呼ぶのだ。



 そして、みっつめ。魔法使いは、鍵を持つ。


「ねえ、ペケ。そういえば私、まだペケに魔法を見せてなかったよね?」


 雨の日の午後。ストレッチをするペケの隣で、ニコが思い出したかの様に呟いた。

 ニコは鼻歌交じりに立ち上がると、懐から鍵を取り出す。手のひらに収まるほどの橙色の鍵には、〝Ⅱ〟と大きく刻印されていた。


「私の魔法は、〝Ⅱ〟の魔法。三つのうち、まずはどれから見せようかな。……決めたっ!」


 ニコは近くの空き瓶をテーブルに置くと、その側面に鍵を突き刺した。鍵の先端は、抵抗もなくガラスの内部に潜り込む。


「いくよっ。――ニコギロチン!」


 ニコが勢いよく鍵を捻る。すると、鍵が差し込まれた箇所から花瓶が縦に真っ二つに割れ、左右に転がった。ニコは何食わぬ顔で、割れた空き瓶の内側を布拭きし始める。


「……え、何それ」

「よしっ、戻れっ!」


 ニコはいたずらっぽく微笑むと、空中で再び鍵を捻った。すると花瓶の左右が磁石のように引き寄せあって、元通りにくっついた。どこにも、継ぎ目などは見当たらない。


「二分割の魔法、ニコギロチン。物を壊さず一時的に真っ二つにする、私の十八番だよっ!」


 どうだと言わんばかりに、ニコが大げさに胸を張る。


「あっ、今、役に立たないって思ったでしょ! そんなことないよ、多分。えーとほら、細い瓶も真っ二つにすれば、奥まで布拭きできるし便利でしょ?」


 ニコは頬を膨らませ、拗ねるようなそぶりを見せる。だが、ペケの注意は別の箇所に向いていた。ニコが持っていたオレンジ色の鍵、それはペケの持つ白銀の鍵とよく似ていた。


「その鍵、なに? ねえ、教えて!」

「わわっ! 突然どうしたの?」


 突然身を乗り出したペケに驚いたのか、ニコの肩がびくんと大きく跳ね上がる。


「えーとね、これは魔法の鍵。魔法使いとして目覚めたときに、ココロの光が結晶化して出てくるモノなの。魔法使いなら、みんなが持っているんだよ」


 魔法の鍵は、『繋げる力』を持つという。魔法使いは鍵の力で、体外と体内とを繋ぐパスを開く。これにより『世界に満ちたマナを、魔力として体内に取り込む』『体内に蓄えた魔力を、魔法として体外に放つ』といった、体内と体外での魔力の流れをコントロールできるのだ。


「あとはね、異界を繋ぐゲートを通るときの通行証にもなるんだよ。だから人間界と異界、異界と異界を行き来するのにも必要なの。とにかく魔法のキモなんだよ、この鍵は!」


 魔法の鍵は、魔法使いのココロの結晶。そして、魔法を使う起点となるもの。ゲートの通行証でもあり、異界に留まるためのビザでもある。


 意気揚々と説明するニコは、〝Ⅱ〟の鍵を誇らしげに掲げていた。

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