3-18 禁呪

 五十階建ての転職の塔パレットタワーで、クララ先生の持ち部屋は二階にあった。

「……」

 階が低いのはとりあえず気にしないとして、入り口に掲げられたこの看板はなんだろう。

〝ステラおばさんのクッキー教室〟。

「……」

 うん、今の先生ならいかにもおいしいクッキーが焼けそうだ。

「先生、一応確認ですけど、俺はクッキーの焼き方じゃなくて魔法を……」

「わかってるわかってる! これは生活のためにやってるだけだから!」

「ああ、そうなんですか」

 中に入ると、ふわりと甘い匂いが押し寄せてきた。

 中央に焼き窯があり、左右に組まれた木の棚にはお菓子づくりの材料や道具が並んでいる。

 クッキーの食べ過ぎで太ったのかな? と、先生を見ると、先生は痩せていた。

「あれ?」

「じゃーん! さっきのは変化トランスでした!」

「……なんのために?」

「約束してくれる?」

「え、なにを?」

「話を聞いても帰らないって」

「聞いたら帰りたくなるような話なんですか?」

「その可能性は否めないわ!」

「……では、あの、聞かずに帰るのが無難かなと……」

「そんなこと言わないで! それなら、最後まで聞いてくれたら帰ってもいいから」

「……本当ですか?」

「本当よ! でもきっとエバンス君は私に教わりたいって言ってくれると思う!」

 俺は先生に押し切られるような形で、椅子に腰かけた。

「じゃあ、手短に説明するわね! 先生はの!」

「……」

変化トランスを使ってたのもそういうわけ! クッキー大好きステラおばさんというのは世を忍ぶ仮の姿よ!」

「帰ります」と、俺は立ち上がった。

「ちょちょちょちょっと待って! え、うそ。帰るの?」

「はい」帰りたくなる要素しかなかった。

「どうして?」

黒魔導士メイジを目指すとは言いましたけど、禁呪はちょっと……」

「エバンス君は禁呪を誤解してるわ!」

「いや、先生さっきって言い方したじゃないですか」

「それは言葉の弾みよ! ホントは禁呪って世間で思われてるほど悪いものじゃないから!」

「悪いものだから禁じられてるんじゃ……」

「じゃあ聞くけど!」と、先生は素早く火球パイロを作って、指の上でくるくる回した。「火球パイロは悪いものじゃないの?」

「え」

「人に向けたら危ないでしょう?」

 びしっ――と、俺の鼻先に突きつけられた火球パイロがじりじりと音を立てている。

「ちょ、あの、熱いんですけど」

「危ないなら禁じるべきじゃない?」

「いや、でも、魔物と戦うのに必要で……てか、熱いんですけど」

「魔物との戦いに必要なら禁呪ではないということね?」

「……」まぁ確かに、魔物なんかいない世界だったら、火球パイロも禁呪だったかもしれない。

「毒とか酸を操るみたいな、なんかグロい系の魔法が禁呪扱いされてるのは先生もわかるわ。でも先生は、認可されてる魔法を改良しようとしただけなの」

「え、そうなんですか?」

「そうよ! なのに指名手配ってひどくない?」

「えっと、具体的には……」

「知りたい?」

 あ、これは誘導尋問だ。イエスと答えたら入門が決まってしまう。

「知ってしまうと俺も指名手配になるんじゃないですか?」

「うーん、たぶん、そうね!」

 力強く認めた。この素直さが先生のいいところではある。

「でも先生はこれが禁呪扱いされてることに納得してないわ! だから出頭しないで逃げ回りながら研究を続けてるの!」

「はぁ……」

「ところでエバンス君は、どんな黒魔導士メイジになりたいの?」

「なんですか急に」

「いいから」

「えっと、最低でも極大火球テラ・パイロは覚えなきゃと思ってます」

「ほう?」と、先生は変な顔をした。

 あ、そうか。この人俺が火球パイロ覚えたこと知らないんだ。

「ああ、実は、卒業してから使えるようになりました」正確にはだけど。

「おお、そうだったんだ! おめでとう!」

「今度六番目の山エッダ山に挑戦するんで、特に火球パイロ系に力入れるつもりです」

「お? エッダ山? なんか解散したって聞いたけどどうなってんの?」

「えっと、今は別のパーティーにいまして」もうこういう説明でいいや。

「はー、そうなんだ! 大したもんだわ。私の教え子の中でも五番目の山ウルヌカス火山登頂クリアした子って何人もいないわよ!」

「……」ウルヌカス火山どころか四番目ナバル島登頂クリアしていないのだけれど、そのへんの話はややこしくなりそうなのでやめておこう。

「で、目標はエッダ山ね! 極大火球テラ・パイロが使えれば、極光竜オーロラドラゴンとも渡り合えるとも言われているわね」

「はい」

「渡り合える、で、いいの?」

「……え?」

「いい勝負する必要ある? どうせなら圧勝できたほうがよくない?」

 ……えっと。「……」

「お上の言い分としては、強力すぎる魔法は戦争に使われかねないから禁じるってことになってるわ。でも、極大火球テラ・パイロ拡散型ショットなら民間人の虐殺ぐらいできちゃうでしょ? 〝強力すぎる〟の線引きがおかしいと思うの」

 なんだか丸め込まれているような気もするけれど、言っていることはわかる。

「先生はさらにもう一歩踏み込んで考えたわ。七大魔山セブンサミッツが出現してもう十五年でしょう? それなのにまだ全制覇コンプリートした人がいないのって変じゃない?」

「変、ではないんじゃないですか。現に俺は十年かかって三番目レガリア山までしか行けなかったわけで……」

「ん? レガリア?」

「あ、前のパーティーではってことです」

「あ、そゆことね。うん、ごめんね! 楽な世界じゃないってことはわかってるの。でも、アーク中将のパーティーはたった二年で五番目ウルヌカス火山まで行ったわ」

 アーク中将――冒険者でその名を知らない人間はいない。七大魔山セブンサミッツが出現してすぐ、軍の精鋭三人を連れて調査に乗り出し、世界最初の旅行記を書いた。ウルヌカス火山で仲間の一人――英雄サンドバル――を失い、残る三人も帰還後、行方不明となった。

 七大魔山セブンサミッツを決めたのもアーク中将とされている。正確には、中将が決めたのは一番から五番までで、六番はその後の調査から、七番はの難しさから決められたのだけれど。

「中将はいわゆる天才だったんでしょうね。でも、十五年よ? もう二、三人、別の天才が現れてもよさそうなものじゃない?」

「そう……ですね」

「北冒が禁呪を制定したのは七大魔山セブンサミッツの出現から三年後。魔法を習う人が増えたからってことになってるけど、本当の狙いは天才の出現を未然に防いで、攻略を遅らせることなんじゃないかしら?」

「……」

「ふふふ、〝何のために?〟って顔してるわね?」

「いえ、戦争を回避するためですよね」

「あ、わかってたのね! 子供扱いしてごめん! そっか、もうエバンス君ももう大人だもんね!」

 七大魔山セブンサミッツに注目が集まったおかげで、キース教をめぐる戦争は回避された。この状況をできるだけ長く維持したいっていうのは、施政者にとっては自然な考え方だ。

 制覇者が出ても、報酬リターンが採れる限りは、七大魔山セブンサミッツに入る人間がいなくなることはないだろう。けれど、一番乗りの栄光を目指していた冒険者たちのテンションはガタ落ちするに違いない。

「でも、悪いことじゃないんじゃないですか? 戦争を防ごうっていうのは」

「……エバンス君はそれでいいの?」

「え?」

「だらだら遊んでろって言われてんのよ?」

「それは、そうですけど……」

 少し、癇に障った。

 あの十年間、俺なりに精一杯やっていた。だらだら遊んでいたつもりはない。

 ただ、矛盾するようだけれど、真面目に働いていたとも思わない。

 冒険は、楽しかった。夢があって、だった。

「では、こちらの資料をご覧ください!」と、先生はだしぬけに一枚の紙を広げた。

 それは、アーク隊の肖像画だった。

「よく見慣れたものよね!」

「はい」学園アカデミーの階段の踊り場など、あちこちで見かけた絵だ。「これがどうかしたんですか?」

「それぞれの体を光みたいなものが覆ってるように見えない?」

「見えますけど、これ加護プロテクションじゃないんですか?」

加護プロテクションというのが定説よね! でも、加護プロテクションかけて戦うなんて当たり前でしょ? わざわざ絵に描くようなことかしら?」

「……」言われてみれば、そうかもしれない。

「先生はこの絵にアーク隊の強さの秘密が隠されてるんじゃないかと思って、色々調べたの。そして一つの発見に辿り着き、追われる身となったわ!」

「先生、あの、いつの間にか授業始まってません?」

「バレた? バレちゃったらしょうがないわ! お願いエバンス君、もう一度私の生徒になって!」

「……」

 どう考えたらいいだろう。

「迷うことなんかねーだろ」と、ドラ子ならきっと言うだろうけれど……

「あ」

「どうした?」

 ……そうだ。俺はドラ子が畑から現れた時、通報をしなかった。あいつがすでに禁呪みたいなものじゃないか。

 毒を食らわば皿まで。今さら怖がることはない。

「よろしくお願いします、クララ先生」

「そう言ってくれると信じてたわ!」と、先生は俺の手を取って強く握った。

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