3-12 出発
「忘れな、エバンス」
姉貴の遺言を、当時十歳の俺はうまく飲み込むことができなかった。
両親は考古学者。六つ年上の姉貴は考古学者の卵。
六月十九日、事件当時、俺は小学校にいた。俺を除いた家族三人はガシェバ遺跡で発掘調査を行っていた。
親父たちの調査は、信仰とは無関係の、純粋に学術上のものだった。けれど、キース教過激派はガシェバ遺跡を邪教の象徴と見なし、標的とした。
巨大な火の玉――暴走した
親父とお袋は即死だった。
姉貴は、俺が駆けつけるまで、どうにか息をしていた。そして「忘れな、エバンス」とだけ言った。
なにを?
憎しみや怒りを――だろう、きっと。
いつだか親父が言っていた。「やられてもやり返すな」。
キース教にも虐げられた歴史がある。復讐の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。
そうしなければならないのはわかる。でも、そんなこと、できるわけがない。
事件直後、叔母夫婦に引き取られた俺は、姉貴の遺言に反して、キース教をぶっ潰すことばかり考えていた。
ガシェバ事件以降、世界の緊張はみるみる高まっていった。
キース教と反キース主義。キース教を支援する大国と、それと敵対する大国。
あわや全面戦争かという時、いきなり現れたのが、
世界は、見事に釣られた。両陣営の交戦力はぶつかり合うことなく、
開戦に向かって突き進んでいた軍部や首脳陣もみんな、心のどこかで立ち止まる理由を探していたんだろうと思う。
舞い降りた「理由」に、俺も飛びついた。
ガシェバ事件の孤児として生きるのはやめて、小さい頃に憧れていた冒険の世界を目指した。
憎しみを忘れたことで、しばらくは楽に生きられた。
でも本当は、忘れてなんかいなかった。
壁の汚れをペンキで塗り潰しても、汚れは消えるわけじゃない。そこにある。あり続ける。
ただ目をそらしただけだった。きちんと向き合おうともせずに。
ガシェバ事件の孤児であることを、やめることなんてできなかったんだ。
過去は変えられない。
憎しみは確かに生じた。
俺は、キース教が、レオンが、憎い。それはもう否定しても仕方がない。
地下に封印してしまうのではなく、目に見えるところに置いて、飼い慣らすこと。それが、本当の意味で「忘れる」ということなんじゃないだろうか。
マンドラゴラの弁償だったはずなのに、店長はバイト代をくれた。「餞別だよ」とおばあさんが言い、それから「すぐ帰ってきたら承知しないからね」とオオカミが言った。
酒場のマスターは、
役場の受付嬢に転出届を提出すると、やはり淡々と処理された。転居先の欄は、空白。これでもう後戻りはできない。
約一年前、俺が村に来た時は歓迎の宴が盛大に開かれたけれど、今、送別の宴は開かれない。
当然だ。日夜真面目に働いている村人たちは、若者が冒険者から足を洗ったことを喜んでくれていたんだ。
そんな遊びの世界に再び手を染めようとしている俺を、村人たちが祝福してくれるわけがない。
夜明け前にそっと家を出た。坂道を下り、広場を抜ける。雑木林には霧が出ていた。修復された
南へ二日歩いて、カナビア半島突端のキケロ港に到着。そこから定期船で城塞都市ラファームに渡る。
ラファームの武器屋で、折れた
行商人や他の冒険者たちと共に、セントナバル行きに乗合馬車に乗車。一昼夜で目的の場所に辿り着くはずだ。
幌の中で地図を開き、なんとなくドラ子のことを考える。
あいつは今どこでどうしているだろうか。
約束の場所はエッダ山の麓、機械の町ベルゲンゼリアだけれど、あいつが一年もぼーっと待っているわけがない。
とりあえず、村を出てからラファームまでは俺と同じルートを辿ったはずだ。そこからどこ行きの馬車に乗ったか。
情報収集が目的なら、人口の多い都会へ出るのが一番だろう。
ただ、俺は実のところ、あいつの目的がよくわかっていない――というより、あいつのことは強さと性格以外ほとんどなにも知らない。
人間に敵意を持たない魔物。ドラ子はなにか特別な使命を持って生まれてきた存在なんじゃないだろうか? そして、それを本人が把握していないということは十分考えられる。把握しているなら、俺の相手なんかせず、粛々とその使命を果たそうとしたはずだ。もしかしたらあいつは今頃、自分が何者なのかを探している最中なのかもしれない。
まぁ、今どこにいるかわかったところで、会うのはエッダ山を
「……?」
あれ?
「お前、こんなとこでなにやってんだ?」
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