2-5 再起

 岩の上から、透明化トランスペアを解いたドラ子がこちらを見下ろしていた。

「お前、捕まってたんじゃ」

「んなドジ踏むわけねえだろ。テメェが一人でどれだけやれるか隠れて見てたんだよ」

「なるほどな。感想は?」

「あとで言うわ」

 ほめられる気は微塵もしない。なにしろ俺自身が呆れ果てている。

「とりあえずこいつら片付けるぞ」と言って、ドラ子が目覚まし槌ウェイクアップハンマーを構える。

 イモ状態のこいつが持つとでかい。体の五倍はある。もとい、本来は味方に使う状態回復魔法なのだが、鈍器としてお気に召したようだ。

「よく見とけ」

 ドラ子が消え――いや、岩を蹴って飛んだのか。また透明化トランスペアかと思うほどの瞬発力。

 次の瞬間、百羽蝙蝠ハンドバットの群れの中に、激しく回転するコマのようなものがあった。コマは唸りを上げながら高速で不規則に飛び回り、触れた相手を次々に弾き飛ばしていく。

 百羽蝙蝠ハンドバットが全滅するまで、おそらく十秒もかからなかった。


 安堵の訪れと入れ違いに興奮が去り、アドレナリンの影に隠れていた痛みが襲ってきた。

 簡易回復魔法クイックキュアでざっと応急処置をし、歯を食いしばって立ち上がる。今夜の風呂が思いやられる。


「あたしがいなきゃ死んでたな」

 と、ドラ子が冷たく言い放った。

 その通りだ。決して大袈裟ではない。

 一年のブランクでここまで衰えるとは思わなかった。

「一年のブランクでここまで衰えるとは思わなかった、とか思ってねえだろうな」

「え」

「ブランクもクソもねえ。いいか、はっきり言ってお前は〝冒険〟なんかしてなかったんだ。つーかほとんどの〝冒険者〟がそうだ。肩書きが独り歩きしてやがる。誰も〝冒険〟なんかしてねえ」

 ドラ子の口調は今までになく真剣である。

「どこにどんな危険が潜んでて、どういう準備が必要で、どのルートを進むのが効率的か、親切丁寧に書いた旅行記が世界中に出回ってる。下調べって言やあ聞こえはいいが、要するに攻略本だろ。書いてある通りに冒険するって、それのどこが〝冒険〟なんだよ」

「そういうことは……俺も薄々、いや、常々思ってた。同じように思ってる奴もきっと少なくない」

「だろうな」

「……でも、使える情報を使わないのも不自然だと思わないか?」

「まあな。旅行記があるなら、そりゃ読むだろう。けど、読んでから行くなら〝冒険〟じゃねえ。思案する楽しみや発見の喜びがそこにあるか? 本当の意味で〝冒険者〟って呼べるのは、旅行記を書いた奴らだけだ」

 からといってとは限らない。例えば、白霧竜ミストドラゴンが実体化するのは吐息攻撃ブレスの直後だと知っていることと、その隙を突くことは別々の話だ。とは言え、そんなことはドラ子も承知の上だろう。

「お前、曲がりなりにも三山は登頂クリアしたAランクだろ。Dランクのザコに手こずる、っつーか負けそうになるなんておかしいじゃねえか。さっきの百羽蝙蝠ハンドバットは甘めに評価してもせいぜいCランクだ。つまり、お前ら〝自称冒険者〟は七大魔山セブンサミッツでしか力を出せねえ井の中の蛙で、協会の査定は外じゃ全然通用しねえってことだ」

「……そうだな」

「立ち上がるなら今だぞ」

 立ち上がる――って。

「いや、俺はもう」

「志した日を思い出せ。お前はもっと、息つく暇もない純粋な〝冒険〟を思い描いてたはずだろ。それがいつの間にか、賢明なセコいやり方で妥協するようになって、人間関係に振り回されやがって、まったく実につまんねぇ十年間を過ごしたよ。取り返したきゃ、今すぐ立て」

「……」

七大魔山セブンサミッツだけが冒険の舞台だなんて誰が決めた? 世界は広いんだぜ。エバンス、お前にその気があるなら、あたしが手を貸してやる」

 その言葉に、俺は涙ぐんでいたかもしれない――ドラ子があんな体勢でなければ。

「ドラ子は、立てるのか」

「は?」

「いや、そろそろ立てるのかな、と」

「なに言ってんだテメェ。どんな体勢で喋ろうがあたしの勝手だろ」

「……」

 ぐったりと横たわっていたドラ子は、立ち上がり、よろめいた。

「んだよ。見んじゃねえよ」

 あの回転攻撃のあとは目が回ってしばらく動けなくなる。今後、ドラ子と共に戦うことがあるなら、肝に銘じておくべきだろう。

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