2-1 朝食

 小火球リル・パイロでコンロに火をつける。フライパンで油を熱し、肥満鳥コッコトリスの卵を落とす。じゅうと小気味よい音がして、白身の部分がみるみるうちに固まっていく。

 目玉焼きを焼きながら、子守り菜コモリキャベツを千切りにする。子守り菜コモリキャベツは稀に、その中で金甲獣ダイアマジロの赤ん坊が寝ていることがあるので注意しなければならない。誤って切っても殺してしまうことはないが、手がじーんと痺れて包丁が欠ける。そこで、調理の前にまず思い切り揺する。金甲獣ダイアマジロがいたらそれで目覚める。

 戸棚から買い置きの白パンを取り出す。ちょうどストックがなくなった。買いに行かなければ。

 卵と野菜とパン。これが俺の毎朝の朝食だ。

 目玉焼きを皿に移し、食後のコーヒーを淹れるために、同じ火で湯を沸かす。

 情報水晶サンドーブプラス魔法信号パルスを飛ばすと、表面がぼんやりと青白く発光して、受信が開始される。

 タイシャン王国がブランクス共和国に対し、国交正常化十周年を記念して拳闘熊猫ボクサーパンダのつがいを送った――という平和なニュースを聞きながら、子守り菜コモリキャベツの千切りを頬張った時、後頭部に激痛が走って、俺の両目から火花が、口からはキャベツが噴出した。

 何事だ?

 振り返るとドラ子がいた。左手を腰に当て、右手に目覚まし槌ウェイクアップハンマー――起きている人を殴ってはいけない――を持っている。

 姿は昨日の、つまり美女のままだが、髪はぼさぼさで、目がすわっている。

「テメェあたしになにしやがった」と、ドラ子が言った。地獄の底から響いてくるような低い声だった。

 俺は手で後頭部を押さえながら言った。「いや、なにしたかって言えば、連れ帰って寝かせてやったわけだが……」

 昨夜、酒場サボテンで酔い潰れたドラ子は、耳元で怒鳴っても激しく揺さぶっても起きなかった。そういう時こそ目覚まし槌ウェイクアップハンマーの出番なのだが、あいにく俺は習得していない。置いて帰るわけにもいかず、酒場サボテンからここまでほとんど上り坂の道を、ドラ子を背負って帰ってきたのだ。

 背中に柔らかいものが当たる……ということについて、なにも思わないわけではなかった。が、あくまでも正体は人面イモなのだということを、俺は決して忘れなかった。

「寝かせてやっただと? なめんじゃねぇぞこのエロガッパ。こんな美女が同じ部屋で寝てて、なんもしないでいられるわけねえだろ。え?」

「落ち着け。俺はなにもしてない」

「だからあり得ねえっつってんだろうが!」と、ドラ子が槌を振り上げた。

「待て! 誤解だ。俺の過去を見ればわかるだろ」

「ああ、それな、出会った瞬間の一回きりだから」

「……え?」

「お前があたしを引っこ抜いただろ。その瞬間までのお前の過去は全部わかった。けど、それから先のことは知らねえってことだよ」

 そう……だったのか。

「従って、お前はあたしになにかした」

「いや、濡れ衣だ。信じてくれ。本当になにもしてないんだ」

「死ね!」

 ドラ子の両目がギラリと光った。

 やばい、死ぬ。

 ――と思った瞬間、ドラ子の体は白い光に包まれ、元のマンドラゴラの姿に戻った。目覚まし槌ウェイクアップハンマーは消えていた。

「チッ、魔力切れだ。運が良かったなコノヤロー」

 助かった。ちょっと走馬燈が見えた。

 ドラ子の魔力も底なしではなかったようだ。

 それでも、半日以上にわたって完全変化トランジスタを維持していたのだから、少なく見積もっても俺の十倍はある。

 というか、魔力が切れても気を失わないとは、どういう精神力メンタルなんだこいつは。

「しゃあねえ。この落とし前をつけるには、いい酒買ってきてもらうしかねえな」

「まだ、というか、朝から飲むのか」

「いくらでもいつでも飲むんだよバカヤロー。おら、さっさと買い行けや」

「いや、今は持ち合わせが……」

 昨日の支払いも手持ちで足りなかったからツケにしてもらったのである。

「うるせえ! 酒だ酒だ!」

 床の上で人面イモが酒だ酒だと騒いでいる。これは悪い夢なのではないだろうか。いや、後頭部はまだズキズキしているから、夢ではない。

 どうにかドラ子をなだめ終えた時、目玉焼きは完全に冷めてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る