1-4 酒場

 分厚いドアをばーんと開け放ち、「とりあえず生二つ!」と叫んで、ドラ子は慣れた足取りでカウンター席の奥の方へ歩いていった。この酒場サボテンの構造も俺の過去の一つとして知っているわけだ。

「いらっしゃいませ」と、マスターはいつも通りの穏やかな声で言いながら、戸棚から木樽のジョッキを取り出した。動揺ゼロ。以前は十字軍テンプルの隊長だったと聞いたことがある。根も葉もない噂ではないのだろう。

 俺はドラ子の後を追いながら、「従妹です」と、訊かれてもいないのにマスターに言った。他の客にも聞こえるように、幾分か声を張った。先回りしてこんなことを言うのも逆に怪しいかもしれないが、無言で変な憶測をされるよりましだ。

 ドラ子はスツールの上で優雅に足を組み、俺に向かってジョッキを差し出した。

 俺が自分のジョッキを手に取ると、「かんぱーい!」と、ドラ子は一方的にジョッキをぶつけてきて、一気にビールを飲み干した。

 こういう女をカジノで見たことがある。外見は美女でも中身は限りなくおっさんに近い。いや、こいつの場合、正体はおっさんでなくイモなのだが。

 空になったジョッキをドラ子がカウンターにどんと置いた時、マスターは既に用意してあったおかわりとすっと差し出した。まるで長年の常連客のようなやりとりに俺は気を取られつつ、「なにかつまむもの、適当に」と言った。

「なんだテメェ、歓迎する気あんのか。もっと豪勢に頼みやがれ。えーとな」と言ってドラ子は黒板に目をやり、「サボテンのピクルスうちわ辛口の腸詰めチョリソー経験値卵ぐったまの燻製、あと白眉猪ダンブルボアの煮込み。とりあえず以上で!」とまくしたてた。

 マスターはあくまでも落ち着いた声で、「かしこまりました」と言った。

 その時、入り口のドアが開く音と、懐かしい声が聞こえてきた。「よぅ、エバンスじゃんか!」

 俺は彼の方を向いて、「おぅ」と、軽く手を上げた。

 ノートンは学園アカデミーの同級生である。細い目、長身、さばけた性格。クラスの副級長を務めていた。

 共に万能型マルチ――器用貧乏ともいう――だった俺たちは、パーティーを組むことこそなかったが――一般に類型の異なる者たちで組むのが良いとされている――ちょくちょく情報交換をしていた。

 卒業後、冒険者として一緒にスタートを切った俺たちだけれど、ほどなくして差が開き始めた。俺のパーティーが一つ目の山頂に辿り着いた時、ノートンのパーティーは既に二つの山頂を制覇していた。俺たちが二つ目の山頂を踏んだのと、ノートンたちが四つ目の山頂を踏んだのはほぼ同時だった。俺は四つ目の山頂を踏むことなく、冒険者であることを辞めた。

「似合うよ」と、俺はノートンの栗色の口ひげを褒めた。最後に会ったのは確か二年前、その時はひげなんか生やしていなかった。

 ノートンは照れたようにはにかみながらも、ドラ子の姿に気づき、俺の隣に来るのを遠慮したようだった。

 その気配を察したらしく、ドラ子はノートンに言った。「こちらへどーぞ。あたしはあたしで勝手に飲んでるから、昔話に花を咲かせなよ」

「従妹だ」と、俺はドラ子の言葉が終わらないうちに言った。少々気が急いた。

 ノートンは俺の隣に座ると、ビールを注文して、「氷結耐性の高い毛皮を買いに来たんだ」と言った。

 現役の冒険者であるノートンがなぜこんな田舎に一人で現れたのか、その言葉で合点がいった。

 俺には活躍の場の限られた音波耐性しかないが、ノートンは汎用性の高い「鑑定特性」を持っている。

 一見まったく同じ円形盾ラウンドシールドでも、なんの付加価値もない普通品コモンと、特殊な力を隠し持った希少品アンコモンとが存在する。それらを見分けるのが鑑定特性保持者だ。

「ってことは、いよいよ六番目の山エッダ山に挑むのか」

 氷結耐性付きの毛皮を求める理由はそれしかない。

 ノートンは意外そうな口調で、「情報水晶サンドーブのニュースを聞いてないのか?」と言った。

 冒険者関係のニュースは聞かないようにしている。どんな情報も俺には無関係だからだ。有害ですらある。情報水晶サンドーブのチャンネルは基本、音楽番組に合わせてある。

 ノートンの言葉で、彼のパーティーの動向は今やニュースとして話題になるほどのものだということがわかった。

「使えそうな毛皮は見つかったか?」と俺は、ニュースを聞いていないのかという質問に答えず、訊き返した。

「ああ。わざわざ出向いてきて正解だった。使える希少品アンコモンは中央にまで流れてこないっての、本当だな」と、ノートンは声を弾ませた。質問に答えなかった理由は察してくれたようだ。

「それはよかった。じゃあ、来年の夏には殿堂入りレジェンドだな」と、俺は努めて明るい声で言った。

 六山を制覇したパーティーを殿堂入りレジェンドと呼ぶ。一方、四山制覇の手前で足踏みしているパーティーは、初心者ノービスと呼ばれている。本当の初心者なら一山も踏めないのだが、これはいわゆる「そこそこ」を揶揄する言い方だ。卓越したものがなくても三山までは踏めると言われている。

 マスターがノートンにジョッキを差し出した。

 ノートンは俺とジョッキをぶつけ合い、半分ほどのビールと飲むと、秘密を打ち明けるように、眼尻を光らせた。

「来年の夏じゃない。今年中にだ。来月から登り始める」

「来月から?」

 ということは、登頂クリアできたとしても真冬。

 一年中気まぐれ吹雪ウィンザードが猛威を振るい、夏ですら遭難者が後を絶たないエッダ山に、なぜあえて冬に挑もうというのか?

 ノートンのひげをたくわえた口もとがニヤリと笑った。「これはまだ非公開クローズド情報ネタだ。誰にも言うなよ」

 俺は頷いた。

 ノートンが低い声で言った。「極光竜オーロラドラゴンは冬眠する。真冬のある時期、ほんの三日間だけ」

 七大魔山セブンサミッツのそれぞれの守り神、いわゆるボス――エッダ山で冒険者たちの行く手を阻むのは、超低温の息を吐く極光竜オーロラドラゴンである。住処となっている九合目付近は、冷凍された冒険者たちの凍死体が立ち並び、さながら蝋人形館の様相を呈している……らしい。

 最大の脅威である極光竜オーロラドラゴンと直接対決せずに済むなら、気候的悪条件に目をつぶってでも、冬のエッダ山に挑む価値は確かにある。

「なるほど。で、お前が毛皮の調達か。準備万端だな」

 嫉妬は感じなかった。

 ノートンをライバルと呼べたのは最初だけで、引退する頃にはもう雲の上の存在だった。こうして隣に座っていることが異様なぐらいだ。

「エバンスは今どうしてるんだ?」

「マンドラゴラを育ててる。ほら、耳がこれだから」

「ああ、なるほど。そりゃ確かに向いてる」と、ノートンが感心したような声を出して、俺は少し嬉しくなった。

「ちょうど今日収穫だったんだ」

「へえ。どうだった?」

「上出来だと思う、初めてにしては」

「そうか。良かったな」

 いの一番に大変な奴が獲れたけどな……と、俺は横目でドラ子を見た。

 ドラ子はマスターを相手になにやら人生訓を垂れている。ついさっき生まれたくせになにを偉そうに……

「一本いくらだ?」

「え?」

「買うよ」

「……気を使うなよ」

「いや、違うって。マジで売ってくれよ。市場で買うよりは安くしてくれるだろ?」

「まぁ、そりゃな」

 商談はすぐにまとまった。十本お買い上げ。ありがたい話だ。

 作るより売りさばく方が大変だろうと思っていた。村の薬屋が全体の三分の一ほど買い取ってくれることになっていたが、残りの三分の二の買い手はこれから探さなければならないのだ。田舎に引っ込んだからとて、結局一人では生きられない。

 俺とノートンはもう一杯ずつビールを注文して、ドラ子の残したつまみをそっと横取りした。

 あれこれ頼んだくせに、一口ずつしか箸をつけていないのである。口に合わなかったわけではないのだろう。不味ければ不味いとこいつはきっと言う。

 ……それにしても、この女(イモ)、もう何杯飲んだのだろう。信じられないほどのハイペースだ。食費(酒代)が足りるか不安になってきた……

「昔の仲間とは連絡取ってるのか?」と、出し抜けにノートンが言い、俺の心臓が強く脈を打った。

 俺は平静を装いながら、「いや、全然」と言った。

「そうか」

「……一切、あれっきりだ」

「……奴らが今どうしてるか、知りたくないか」

 どくん、どくん。脈拍が加速する。酔いは急速に醒めていった。

 知りたくないと言えば嘘になる。意識して遠ざけていた。

 アルベルトは、レオンは、サラは、今どこで、なにをしているのか? 俺が一方的に決別した彼らが、どうなっていたら俺は満足で、どうなっていたらショックを受けるのか?

 分析も追跡も意味はない。なにがどうであれ、彼らが俺の人生に関わることはもう二度とないのだから、なにも知らないままでいるに限る。「住む世界が違った」と、俺が言ったのだ。

 しかし――もしこんな風に、すぐ目の前でちらつかせられたらどうなるだろうと、密かに恐れていた。

 情報水晶サンドーブのチャンネルを冒険者向けのニュースに合わせないことは、物理的に、やればできる。けれど……

「ノートンは、なにか知ってるのか?」

「……まぁな」

 なんだ、今の間は。

 ノートンがなにか知っているということは、あの三人のうちの少なくとも一人、あるいは全員が、まだ冒険者を続けているということになる。

 三人はまだ一緒のパーティーにいるのか?

 だとしたら、俺の後釜には誰が座った?

 サラは――

「なー、ひげのおっさん」と、突然ドラ子が言った。「人間は一生のうちに何回ウソついていいと思う?」

 なにを言い出すんだ、こいつは……?

「あたしは一度だってつかないに越したことないと思うけどな。ま、でも、せいぜい一晩に一つぐらいにしとけよ」

「おい、ドラ子……」

「騙されんな、エバンス。そいつはお前の仲間たちのことなんかなんも知らねえ」

「!」

 そうか、ドラ子は近くにいる人間の過去がわかる。つまり、もわかるということだ。

 見ると、ノートンの視線はジョッキの淵あたりを泳いでいた。

「おいヒゲ、なんとか言ってみろコノヤロー。落ちぶれたクズヤローをからかって楽しいか?」

「悪かった」と、ノートンは視線を落としたまま言った。「その子の言う通りだ。俺がなにか知ってるような素振りをしたら、お前がどんな反応をするか、ちょっと見てみたかったんだ」

「素直でよろしいぞバカヤロー。おら、ついでにもう一つの方も謝っちまえ」

「……」

「言わねえならあたしが言う」

「君は、思考盗聴マインドハックの魔法を?」

「それよりずっとタチの悪いもんだよ。話はぐらかすな」

「ドラ子、もういい」と、俺は割って入った。「別に実害があったわけじゃない」

「そうでもねえよ。下手すりゃお前、死んでたぞ」

「死ぬ?」

「万に一つ、お前がもう一度冒険者を志して、そいつの情報を頼りに冬のエッダ山に行ったらな」

「そんなこと億に一つもない。俺はもうきっぱり諦めたんだ」と、俺は少し語気を荒げた。荒げることで、自分に念を押した。

「ノートン、どんなウソだったか知らないが、忘れてくれ。俺も忘れる」

「いや、言わせてくれ」と、ノートンの目が俺を見た。「極光竜オーロラドラゴンが冬眠するって話はウソじゃない。でも、実は続きがあるんだ。極光竜オーロラドラゴンは冬眠中でも素通りなんかできない。の破壊力は、起きてる間のどんな攻撃より凄まじい。冬眠中が狙い目って話題になったのはほんの一時期だった」

「……」

「俺の冒険は順調だって、エバンス、お前に思われたかったんだ。羨まれたかった。結局、極光竜オーロラドラゴンとは正面から堂々とぶつかるしかない。怖いんだよ俺は。正直、今のパーティーじゃ無理だと俺は思ってる。でもうちのリーダーは、もっと名を上げようと急いでる。来年の夏にエッダ山を制覇すれば、四山目制覇ノービス卒業から史上最短で殿堂入りレジェンドだ。話題性としては文句なしだよな」

 ノートンは財布を取り出しつつ、軽く手を挙げてマスターを呼んだ。

 マスターが伝票を差し出した。

「エバンス、本当に悪かった。マンドラゴラはさっき約束した通り買いたい。売ってくれるよな?」

「ああ」

「じゃあ、明日、受け取りに行く」そう言って、ノートンはマスターに紙幣を渡し、席を立った。

 彼がドアを出る手前で、「ノートン」と、呼び止めた。

 それから、「お前の冒険は順調だよ。俺はお前が羨ましい」と、心を込めて言った。

 ノートンはこちらに背中を向けたまま、なにも答えなかった。

「あと、お前だけ白状させられるのもフェアじゃない。俺も今夜、二度ウソをついた。実はこいつ、従妹じゃないんだ」

 ノートンが振り返り、笑った。

「そんなことわかってたよ。でもお前、二度も言ったか?」

「一回目はマスターにな」

「律儀な奴だ。でも、従妹じゃないなら、なんなんだ?」

 ドラ子は――カウンターに突っ伏して爆睡していた。なんて奴だ。

 神経の図太さと、眠っても完全変化トランジスタが解けないことに同時に驚きながら、俺はなぜか、笑っていた。

 笑いながら言った。「こいつは俺の、新しい仲間だ」

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