ダイアモンドフロストのせい


~ 八月二十六日(土) 27℃ ~


  ダイアモンドフロストの花言葉 君にまた会いたい



 まだ、何かが引っかかる。


 そんなに大切ではない物をどこかに置き忘れてきたような感覚。

 懸命に思い出す必要もない。

 でも、思い出せるまで気が気でない。


 誰かと約束を交わしたような気もする。

 でも、それがこの海だったのかどうなのか、それすら分からない。


 曖昧な気持ちを確かめようとして、記憶のかけらを探してみたけれど。

 地球をカラフルに覆いつくす星空を眺めているうちに諦めてしまった。

 こんな沢山のかけらの中からなんて、見つけられるはずないよ。



 ――線香花火が揺れる。

 朱の花を雪のように散らす夏の結晶が、その冷たさで霧を生み、溶けて消える。


 燃えさしを手にしたまま、星空を仰ぐ浴衣の少女。

 和装に合わせて優しく結った黒髪に、ダイアモンドフロストの小花が咲き誇る。

 一つの小花から白くて細い花びらが四つ、五つ。

 不規則に飛び散り、それらすべてが集まって一つの丸を作り出す。



 まるで、白い線香花火だ。



 彼女は、星空に何を見ているのだろう。

 ……誰の顔を思い浮かべて、寂しいため息をついたのだろう。


 彼女の中にある、おじさんとの記憶。

 それを星空に拾い集めて、星座にしているのだろうか。



 線香花火、か。

 俺が探している記憶も、そんなものだったような気がする。


 子供の頃は、凄い凄いとただはしゃいで。

 でも、大人になった今、その神秘的な美に感動するような。


 …………ああ、そうだった。

 あれを見たら何か思い出せるかな?



「穂咲。青いピカピカ、やるぞ」

「うん」


 感傷的になっているのだろうか。

 随分素直な返事。

 緊張するってば。


 並んで歩く穂咲の浴衣。

 その袖が、微かに手に触れた気がして。


 無理に腕組みをしながら早足になった俺の浴衣。

 その袖が、微かに引かれた気がして。


 ……今日一日、炎天下で汗をかいていたからな。

 きっと日に焼けたんだろう。


 顔が熱いや。



 別荘のお風呂から戻ってくる時、車の中に突っ込んであった電池式の蛍光灯用電灯を持ってきておいた。

 もともとはめてあった蛍光灯を外して、ブラックライトに付け替える。


 ブラックライト。

 微かに目に見える紫外線を出す電灯。

 これに照らされた蛍光物質は青白く光る。

 例えば……。


 スイッチを入れると、パタパタと瞬いてからライトが青白く輝いた。

 その光に照らされた穂咲の浴衣。

 白い地の部分だけが青白く輝く。


 輝く青い海の中につつましく花開く、線香花火の赤い模様。

 その幻想的な姿に、俺は心を奪われた。


 美しいから。もちろんそれもある。

 でも、それだけじゃない。


 俺、これをどこかで見たことがある。


 ……そうか。

 きっと、おじさんがこれを見せてくれたんだね。


「綺麗……。これだったのか」

「綺麗……。これじゃないの」


 ん?


 いつもの無表情が俺を見つめる。

 でも、その目はがっかりしてる時のやつだよね。


「え? これだろ? 違うの?」

「全然違うの。もっときれいな青いピカピカが、こう、ざざーって流れるの」

「俺の記憶の中では、満場一致でこれが正解だと言っているのだが」

「よく見るの。あたしが不正解の札を上げてるの」

「怖いよ。俺の頭に入り込まないでください」


 いつから審査員になった。

 しかも辛口だし。


「これじゃないの。青いピカピカ、探して欲しいの」

「勘弁してくださいよ。俺のヒットポイント、さすがにもうゼロです」

「じゃあ、薬草で回復なの」

「燃えさしな」


 穂咲のわがままに付き合うのは慣れっこだけど、今日は力仕事ばっかりでもう動きたくない。

 どうやって逃げたらいいのやら。


「探すの」

「その前に飯を食わせてくれ。すっかり腹ペコなんだが」


 もう、テントの下ではおばさんと母ちゃんがスタンバイ済み。

 炊き立てのご飯の香りがさっきから腹の虫を誘惑してる。


 あとは父ちゃんが戻って来ればすぐにごはんになるんだけど……。


「それにしても遅いな」

「……戻って来たの。おじさんなの」


 ん? どこ?

 夜目がきくね、君。


 目を細めてじっと凝らすと、確かに景色が一部分だけゆらゆらしていることに気が付いた。


「風呂、なげえよ。おなかぺこぺこだ」


 ゆらゆらが、浴衣の手を大きく上げた。

 そして俺たちの様子で気付いたのだろう。

 母ちゃんが鉄板という楽器から、美味しいメロディーを奏で始めた。


「いつも時間かかるな、男のくせに。母ちゃんたちより遅いとか」

「バカもん、男だからこそだ。今にお前にもわかる。シャンプー、コンディショナー、トリートメント、ワカメ」

「気にし過ぎだから。まだまだ球威も制球も衰えてないから」


 頭をいじるなって。

 余計減っちゃうよ?


 そんな父ちゃんが湯上りの赤ら顔を椅子に落ち着けると、穂咲が何かを探して段ボールの中をひっくり返し始めた。

 そして鼻息と共に発見した団扇を持って、父ちゃんの隣に腰かける。


 ぱたぱたと揺れる金魚。

 そよそよとなびく少数精鋭。


 二人して表情が硬いけど、幸せなんだよね。

 母ちゃんの美味しい演奏をBGMに、俺も幸せな夏の名画を堪能だ。


「さあ、お待たせ! ほっちゃんはお箸を……」

「ああ、俺がやります」


 テーブルに並べられた紙皿にはご飯の上に牛の炒め物。

 俺は割り箸を皿の縁に乗せて歩く。


「おお、甘じょっぱい香りがすきっ腹を刺激する! お昼の残りで作ったのか。これはわが家の定番、いつもの牛丼?」

「あはははは! そんな安っぽい品じゃないわよ!」

「じゃあ何? ほい、母ちゃん。お箸」

「これは、ビーフストロガノフ!」

「こんなに甘じょっぱい香りがしてるのにか?」

「………………どっと、JP」


 無視無視。

 さあ、食おう。


 腹を抱えて笑う穂咲のおばさんの横に腰かけて、手を合わせてから箸を取る。

 うーん! やっぱり外で食べるメシは……、びっくりするほどいつも通りの味だ。


「こら。なんだこの平常運転は。ビーフストロガノフに謝れ」

「ん! 美味しいの!」

「ほんと! これ、後でレシピ教えてくれる?」


 俺と父ちゃんの不服そうな表情に反して、藍川家には大好評。

 でもね、おばさん。


「そりゃ無理だ。母ちゃんはレシピって言葉をまだ学校で習ってない」

「失礼だねこの子は!」

「じゃあ、五人前だと醤油はどんくらい入れるのさ」

「いつもよか倍に決まってるじゃない」


 膝を叩いて笑い出しちゃってるけどさ、おばさん、分かってもらえた?

 まあ、美味いこた美味いのでこれ以上いじめる気は無いけども。


 真ん丸な顔を膨らませた母ちゃんも、箸を取ると機嫌が直ったみたい。

 美味しそうにぱくつくなあ。


 母ちゃんの姿を見てると俺もぱくつきたくなる。

 これも調味料ってことなのかな。



 いつもと違う場所。

 いつもと違う顔ぶれ。

 いつもと同じ牛丼の味が、俺の中で思い出の味に変わった。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



 食後のひと時。

 でも、俺、ちょっと足りない。


 体を動かしすぎると食べたく無くなるって、スポーツマンガでよく読むけど。

 今日の俺はまだまだということですか?

 うそだよね?


「お前たち、似合ってるじゃないか、浴衣」


 父ちゃんがビールを片手にそんなことを言うと、穂咲は嬉しそうに立ち上がってくるりと一回転。

 白に花開く線香花火がパチパチと舞い踊る。


 そして笑顔で両手を俺にかざす。

 さあ、あなたも。

 じゃねえ。やんないよ?


 そしてもう一人。

 浴衣を褒められて、笑顔を浮かべた人がいる。

 でも、それはいたずらっ子のやつです。


「道久君の浴衣は、ほっちゃんが愛情込めてこさえました!」

「ちょ……」


 ほほうって顔はやめてくださいよ親コンビ。

 ああもう、勘弁してください。


「あはははは! 照れなさんな! それよりこれ、あの時の?」

「そうそう。アップリケだらけになっちゃったわよ!」

「どういう事でしょう。虫にでもやられたんですか?」

「違うわよ、覚えてない?」

「あはははは! ほら、これよこれ!」


 母ちゃんが楽しそうに焼きそばの袋をバンバン叩く。

 そう、これはかつて、穂咲のおじさんが着ていたものだ。


 浴衣を着ちゃったからもう動かないと宣言したおじさん。

 でも、遊び足りない穂咲は焼きそばをぶちまけて、無理やり着替えさせたんだ。


 その染みを誤魔化すために、穂咲が花のアップリケでデコレートした浴衣。 

 いろいろあって、俺が貰い受けたもの。


 桜に江戸縞模様。

 俺にはちょっと不相応かな。

 恥ずかしい。


 ……もちろん、全身を覆いつくすアップリケが。


「じゃあ、焼きそばも作りますか。ほっちゃん! いつものお願いね!」

「うん。焼きそばにはあれが無いといけないの」

「あれってなんだよ穂咲」

「内緒なの。道久君でも、何が乗ってるか当てられるはずは無いの」

「乗せちゃってますよね。だったら分かるよ」


 なんだ、いつもの絶品目玉焼きか。


 今まで数限りない数の目玉焼きを作ってきた穂咲。

 それも、今思えばおじさんとの思い出探しのようなものだったな。


 しかし、おばさんがたすきを掛けて袂と袖をカバーしてるけどさ、焼きそばのソースが跳ねまくるんじゃないかな?


 まあ、その場合はアップリケ付ければ済む話か。


 そんな穂咲に、焼きそばが出来るまでの間、手持ちぶさたになった母ちゃんがニコニコと視線を送る。

 母ちゃんも、穂咲のこと随分好きだよね。


「穂咲ちゃん。ごはんの前、道久と何してたの?」

「青いピカピカを探してたの」

「ん?」


 でたよ、穂咲語。

 早く和訳しないと、大人三人が固まったままだ。


 慌ててどう説明したものか考えていたら、みんなが予想外な反応を示した。


「それ……、ねえほっちゃん。なんだったっけ。どっかで聞いた覚えがある」

「分からないから、道久君が見つけてくれるの」

「おい」

「あはははは! あれよあれ! …………えっと、なんだっけ」

「おい」

「思い出せないわ! 飲むか!」

「おーい! いい加減だな!」


 途端に笑い声と盛大な鉄板の音で満たされたテントの中。

 父ちゃんだけはいつもの無表情でビールをチビチビ飲んでるけど。


「……父ちゃん。何のことか分かるか?」

「ん? にぶい奴だな。穂咲ちゃんがお前に浴衣をあげたってことはだな」

「ちげえ! 青いピカピカってなにさ?」

「さあな。赤いピカピカならそこに沢山あるようだが」


 父ちゃんが顎で示した先に転がるビニール袋。

 ああもう、口を広げたまんまじゃ線香花火がしけっちゃうよ。


「……あれ? 道久君。もう一袋なかったっけ?」

「一つだよ。なに言ってるのさ」


 首を捻りながら鉄板に顔を戻す穂咲。

 あのね、世の中には思い出さない方が幸せなこともあるんだよ?


 実は俺にもあるんだ。

 幸せの為に、思い出さないでおこうと思っていること。


 さっきスーパーで思い出した微笑ましい映像。


 幸せで、懐かしくて、嬉しくて。


 なんとも君らしくて可愛らしい、線香花火を引きずっておじさんの後ろを通り過ぎて行く姿。


 ……どう考えても、レジ打ってないよね、それ。


 いや違った。

 幸せの為に、俺は何も思い出していないんだった。


「まあいいの。これ食べたら、続きをするの」

「そうだな……、って。もうどんだけ遊んだの? 半分になってないか?」

「だから言ったの。ふた袋だったのに、ひと袋に……」

「じゃなくて! 楽しみすぎです!」


 あればあるだけ遊んじゃうタイプなのは知ってるけどさ。

 いくらなんでもです。


「もっとゆっくり遊びなさいよ。観察したりとか……」


 そんな俺の言葉に、勢いよく振り返る穂咲。

 珍しく凛々しい顔。

 ……不安しか。


「それなの!」

「どれなの?」


 また変な事思い付いたんじゃないだろな。

 俺は線香花火を握り締めながら、返答次第ではこれを掴んで逃げ出す覚悟をした。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



 闇夜の海岸。

 懐中電灯で照らされたノート。


 潮騒の心地よさはまるでゆりかご。

 疲労。お腹いっぱい。

 幸せのまま、世界の上半分が落ちて行きます。


「ちゃんとノートを照らすの。書けないの」

「お、悪い」


 穂咲が思いついた理科の課題は、線香花火の観察だった。

 呆れた話だと思っていたら、意外なところで意外な人がこれをフォローした。


「よし、テストだ。では、この、ぶわーっとパチパチしてるのが?」

「松葉なの」

「そうだ。そのあと、線が綺麗に流れ落ちるのが柳。ここまでの秒数を測りなさい」


 知らなかったよ、線香花火の燃え方に名前があるなんて。

 穂咲は父ちゃんに言われるがまま、時間を計測したり、得意の絵にしてみたり。

 やれやれ、子供じみてるけど、まあ形にはなったろ。


 それに、穂咲があんなに真面目に取り組むなんて。

 真剣な表情。素直な返事。

 予想外。


 ――線香花火が揺れる。

 朱の花を雪のように散らす夏の結晶が、その冷たさで霧を生み、溶けて消える。


 夏のお嬢さん。


 赤く輝く横顔は凛々しくて。

 でも、ほんのりと柔らかな笑みが差していた。



「よし、宿題終わったの! じゃあ本題!」


 ノートを勢いよく畳んで、父ちゃんに深々とお辞儀をした穂咲が俺に振り返る。

 そんなテンションに合わせて返事をしようとしたけど、あくびしか出てこないよ。


「本題は今終わったでしょう。ああ眠い。浴衣になったんだから、後は寝るだけだ」


 テントに置いたタオルを持って、後は布団に直行だ。

 そう思いながらのたのたと歩く俺を、穂咲が勢いよく追い抜く。

 どうして君はそんなに元気なのさ?


「おばちゃん! 焼きそば一丁!」

「え? 鉄板にまだ残ってるけど……」


 屋台じゃないんだから自分でよそいなよ。


 目を丸くしながら紙皿に焼きそばをよそった母ちゃんに三百円渡してるけど。

 なんだよその適正価格。


 さすがに眠いから、ツッコミは頭の中だけで勘弁な。


 そう思っていたけど、一瞬で意趣返し。

 テントに入ろうとした俺に、あっつあつの焼きそばがぶちまけられた。


「あっちーーーーっ! 何やってんだよ、この夏のおバカさん!」

「ほら、着替えないとなの。そして浴衣じゃなくなったら、ピカピカを探すの」

「なんて魂胆! ああもう、分かったよ……。でも、こうヒントが無いと」


 まいった、おじさんと同じ目に遭うとは。

 そして思い出したよ。

 あの時、おじさんが着替えて戻ってきたら、こいつ寝てやがったんだ。


 子供ながらに不憫に感じて、おじさんを見上げてた俺に…………っ!


「思い出した……。思い出したっ! キャッチボールしようって誘われた! 岩場のそばで、俺はおじさんとキャッチボールしたんだ!」


 ずっと探していた記憶。

 たった一度だけ、おじさんとキャッチボールをしたのは……、ここだったんだ!


「ふーん。そうなの?」

「えー!? 俺がずっと探してた思い出見つけたのに、なにそのローテンション。がっかりなんですけど」


 他人事はどうでもいいのね、君。


「でも、そんなこともあろうかと、持ってきてるの!」

「前に買ったグローブを? 準備いいなあ」

「ボールは一個なの!」

「準備悪いなあ」


 こうして、俺たちは深夜の砂浜で、思い出をキャッチボールすることになった。



 ……いや、待て。まずは着替えさせてよ。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



「やれやれ。高校生になっても子供は元気なもんだな」

「ありがとうね。ほっちゃんがご迷惑をかけて……」

「いや、楽しかったですよ。それに、花火をしていて思い出したのですが、あの夜に聞いたのではなかったでしょうか」

「何を?」

「青いピカピカ」

「あはははは! そうそう思い出した! 穂咲ちゃんパパが別荘に飛び込んできて騒いでたのよ! すぐに見に来いって!」

「ああ、あったわね。飲み過ぎてたからうるさいってたたき出したけど」

「……今日、あの子たちが同じものを見つけてきたら、見に行くのですか?」

「…………行かないと思うわ。あの子たちの思い出、邪魔しちゃ悪いから」

「ありゃりゃ、あの子らが見つける前から嫉妬しちゃってるじゃない」

「ふふっ。嫉妬しないように、酔っぱらっておこう」


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