エリンジウムのせい


~ 八月二十六日(土) 24℃ ~


  エリンジウムの花言葉 光を求める/秘密の恋



 好きなのか嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えることをやめた。



 藍川と秋山。

 出席番号は、ずっと一番と二番。


 幼稚園も一緒。

 小学校でもずっと同じクラス。

 中学時代も。

 そして今、高校でも。


 ずっと隣の席で、俺に微笑みかける幼馴染。

 隣にいるのが当たり前。

 だから。


 好きなのか嫌いなのか。

 俺は考えることをやめた。


 

 同じ日に生まれて、同じものを見てきた。

 同じことで泣いて、同じことで笑って。

 同じものを愛して、そして同じ日に大切な人とお別れした。


 そんな何もかもが同じ二人だから。

 夢は違うものになった。


 賢者の贈り物。


 君はずっと俺に作り続けてきた目玉焼きが夢になり。

 俺は君の為に花とスタイリストの道へ進もうと思っている。


 お互いを想えばこそ生まれた分かれ道。

 俺はまだ、そこに足を踏み入れる心の準備が出来ていない。


 でも、いつかやって来る。

 すぐそこで、俺たちを待っている。


 その時にどう思うのだろう。

 いや、きっと悲しむことだろう。


 途方もない喪失感。

 俺はそのことに耐えうる自信がない。

 だから。



 好きなのか。



 俺は考えることをやめたんだ。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



 星が静かに照らす砂浜。

 儚い光が少しだけ留まって。

 静かに過ごすには辛うじて足りる明るさがそこにたゆたう。


 でも、どたばたと暴れてはせっかく留まった光が散ってしまうのが道理。

 キャッチボールは無理なんじゃないかな?



 こんな夜中に遊んでいては、服が汚れて帰りの分が無くなってしまうかも。

 賢い俺は、水着にパーカーという格好で別荘を出た。


 それを見た穂咲は、自分だけ泳ぐ気かとぶんむくれ。

 バカな穂咲も、水着にパーカーという格好になった。


 おばさんに作ってもらった編み込みには一輪のエリンジウム。

 青白く輝くその花の表す意味は、今の君にぴったりかもしれないね。


 探そうか。


 あの日の思い出を。



「そう言えば、あたし覚えてないの」


 下から放った黄色いボールがふわふわり。

 星の海に隠れて落ちる流れ星。


 二人の間、ちょうど真ん中あたりに落ちたボールを拾い上げて元の位置へ。

 俺も下から緩い軌跡で放って返すと、穂咲はグローブで弾いて、嫌がるボールを追って行く。


「今度は晩ご飯のこと忘れちゃった?」


 返って来たボールは、また二人の真ん中あたりに落ちて。

 ボールが飛んでいる時間より、走ってる時間の方が遥かに長いキャッチボール。


 テントからずいぶん離れて、岩場のそばまで来た俺たち。

 遠くに見えるぼんやりとした明かりは、こっちを見ているやらいないやら。


「ちがうの。キャッチボール、ここでパパとしたんでしょ?」

「ああ、穂咲は寝てたからな。焼きそばひっかけて、おじさんが着替えてる間に寝ちゃったんだ」

「うう、それは最悪なの」

「だから俺をキャッチボールに誘ってくれたんだよ。でも、目が覚めた時に一人だと泣きだすからって言ってさ、背中におんぶしたままキャッチボールしたんだ」


 言葉だけはテンポよく。

 二人の間を行ったり来たり。


 でも、ボールはうまく届かない。

 うまくグローブで掴めない。


「ねえ、上から投げてもいい?」

「やめてください。御祓いが済むまであれは禁止です」

「べつに呪いじゃないの」

「十分呪いです。なんで君が上投げすると殺人豪速球になるのさ」


 構えてるとこお構いなしに顔面に当たる呪いの魔球。

 試しにグローブを顔面に構えてみたら下半身に直撃したから二度とやらない。


 ふてくされた穂咲が、また定位置へ戻ってボールを投げる。


 下から放った黄色いボールがふわふわり。

 星の海に隠れて落ちる流れ星。


 砂浜に落ちた星のかけらを拾うと、穂咲の寂しそうなつぶやき声が聞こえた。


「いいな、道久君。……ずるいの」

「うん。……でも、焼きそばひっかけといて寝ちゃった穂咲の方が酷くないか?」

「そんなこと無いの。いい子なの」


 ボールを拾い上げると、グローブで顔を半分隠しながら上目遣いに俺を見る、夏の図々しい子ちゃんが身をよじっていた。


「いつも廊下に立たされる道久君の方が、よっぽどワルなの」

「うそでしょ? その理由のほとんどが穂咲のせいなのですが」

「そんなことないの。ほとんど道久君のせいなの。例えば……、えっと……」


 穂咲は星空に手伝ってもらいながら、過去の記憶を辿っていく。

 そのうち、指を折って何かを数え始めたんだけど……。

 ねえ、凄い勢いで指折ってるけどさ。

 それまさか、全部俺のせいにしてないよね。


 ……明後日には、学校が始まる。

 また、おかしな事ばっかりする君を庇って、廊下に立たされる日々が始まるのか。


 全部こいつのせいなのに。

 俺はなんにも悪いことしてないのに。

 学級日誌に、俺が立たされた理由を書く欄が存在するとか。

 ほんと度し難い。


 しかもそこに書かれる内容について、穂咲に情状酌量が過分に与えられていることも腹立たしい。


 未だに何かを指折り数える夏のお嬢さん。

 いったい、いくつの悪行を俺に擦り付ける気なのやら。


 潮騒がゆっくりと。

 一つ鳴り。

 デクレッシェンド。

 そして長く息を継ぐ。


 この星空が織りなす長い長い時間の中の、ほんのひと時。

 君は今、一体何日にわたる旅路を駆け抜けているのか。


 ピンクのパーカーが遊んでほしそうに大きめのポンポンを揺らす。

 星の海が瞬いて、穂咲を急かす。

 すると、ようやく過去から砂浜へ戻ってきたこいつは、図々しい結論を出した。


「…………ぎり」

「ぎりぎりどっちが勝ったかは聞かないでおこう。どっちにしたって、俺はこんなにくたびれてるのに今夜は悔しくて眠れそうにない」


 それでも半分は反省してくれることだろうし。

 まあ、いいか。


 苦笑いと一緒にボールを穂咲のグローブに入れて、元の位置まで戻る。

 そして振り返ると、穂咲は妙にモジモジしながら俺にぺこりとお辞儀した。


「……いつも、ありがとうなの」


 顔を上げて、はにかむ少女。

 優しいタレ目を俺に向けて、右手でグローブを恥ずかしそうに胸に抱いて。


 どういたしまして。

 そんな言葉が口をつきそうになったけど、俺は素直な気持ちそのままを、静かな潮騒に乗せた。


「何を言ってるのでしょう。……昔からの、いつも通りです。俺は別に特別なことしてるわけじゃないよ?」

「うん。……そうなの。だから、いつもありがとうなの」


 この星明りでは、穂咲の顔なんか見えやしない。

 だからきっと、ほころんでしまった俺の顔にも気付かれないだろう。


 ありがとう。

 いつもありがとう。


 その言葉があれば、俺はいつだって君の事を受け止めてあげることが出来る。


「だから、感謝の気持ちをこの球に込めて届けるの」

「それ受け止められないやつだから! 魔球のフォームはやめて!」


 上投げ! って言うか、どうして君は右手と右足が同時に前に出るの!?


 そんなことを考えていられるのも一瞬。

 おそらく人類では絶対に目で捉えることのできない豪速球が、俺の額を貫いた。


「べひん! くおおおおお!」


 おでこでバウンドしたボールなんか目で追えやしない。

 一体どこに消えたのやら。


「だから上投げはやめとけって言ったのに……。あれ一個しかないんだよな」

「ボールならあっちに行ったの。取ってきて欲しいの」


 穂咲が指差す先は、俺の背後の岩場だ。


「さすがにそれは……」


 ……そう言いかけて、胸にチクリと痛みを感じた。


 穂咲が言った言葉。

 ……昔、口にした記憶がある。


 岩場を見上げる俺の立っている位置。

 ここから見えるのは、あの時俺が見ていた景色。


 そして岩場を背に立っていたおじさんは苦笑いと共に後ろを向くと、穂咲を背中におぶったまま……。



 見えるはずの無い二人の背が進む。

 岩場を慎重に進む姿がそこに見える。


 ゆっくりと、ゆっくりと。

 大した高さでもないのに、じっくりと足元を確かめながら。


 俺はその影を目で追っていた。

 おじさんと、その背に眠ったままの穂咲の姿を追っていた。


 やがて岩場に上り切った背中が振り向いて、大きな声が俺を呼ぶ。


「おーい! 道久君! こっちに来てごらん! 凄いぞ!」


 間違いない。

 おじさんの声だ。

 優しくて力強い、おじさんの声が耳に届いた。


 体が自然とあの日を思い出す。

 俺はこのでっぱりに足をかけたんだ。


 岩場を進む俺の足が、歩きにくかった場所すら覚えている。

 飛び越えることが出来ない溝がこの先にあって、遠回りしたことも覚えている。


 呼吸をしている感覚がない。

 でも、鼓動だけは早鐘のように、次第にドラムのようにどんどんと打つ。


 顔を上げれば、おじさんの笑顔。

 でも、その影がゆっくりと消えていく。


 待って。

 もう少しだから。

 今、おじさんのところまでたどり着くから!








 ……………………あの日、立った場所だ。


 おじさんの隣。


 やっとたどり着いたのに、今は一人だけ。



 一つ涙が零れたけれど、俺は知っている。

 涙を流してちゃいけない。


 約束したのに、俺が不甲斐ないから手を貸してくれたんだよね。


 ……大丈夫。

 おじさんとの約束、今、叶えるよ。




「おーい! 穂咲! こっちに来てみろ! 凄いぞ!」


 俺の声に疑いも抱かずぽてぽてと近付くピンクのパーカー。

 でも、岩場の手前でぴたっと停止。


 うーん、確かに君にはハードル高いか。

 しょうがない。

 おじさんの代わり、俺がつとめなきゃ。


 岩場を降りて、グローブを外させて、強引に穂咲を背負う。

 長い黒髪が頬をくすぐって、俺の胸にかかる。


 さて、さっきと違うからね。

 慎重に足を進めないと。


 おじさんも同じ気持ちだったんだろうな。

 絶対に転ばない。

 慎重に、慎重に。


 静かに身をゆだねる穂咲から、さっきの俺と同じよう、とくんとくんと音がする。

 その理由は、俺が背負っているからなのか。

 それとも、過去の思い出がよみがえる胎動なのか。


 ……どちらでもいいか。

 だって、どちらにしたって、俺は嬉しいんだから。


 ざらりざらり、岩場を進む。

 すると、穂咲の唇が小さな弾けるような音を鳴らして開いた。

 俺の肩を握る小さな手に、力が込められた。


「あ……」


 穂咲、見えるかい。

 あの日、おじさんと三人で見た景色だよ。




「青い……、ピカピカ……」




 岩の岬に挟まれた小さな砂浜。

 コの字の枠に押し込められた小さな海。


 真っ暗な世界の中。

 その四角い海だけが眩しいほど青く、白く光り輝いていた。


 輝く海の中に、蛍のように丸い輝きが無数に浮かぶ。

 まるでネオンライトを海に沈めたよう。

 そんな光が、波と共に岸へ押し寄せる。


 地球が俺たちの為に、誰にも内緒で作ってくれた青い宝石箱。

 空に浮かぶ星空を切り取って、海に張り付けた神秘の輝き。

 これは……。


「夜光プランクトンだ。赤潮のあった夜に出ることがあるって聞いたことがある」

「……すごいの。綺麗……」


 去年の夏の自由研究。

 海をテーマに本でいろいろ調べていた時に知った知識だ。

 大量発生した青い輝きが海全体を光らせる。


 でも、文字で俺の記憶がよみがえることは無かった。

 だってこんな幻想的な光景、あんな説明じゃ伝わらないよ。


「信じられない。本当に綺麗だね」


 ため息と共に呟いた俺の左肩に、ぱたりと雫が落ちた。

 穂咲の小さな手の甲に落ちた涙は、肌を滑って俺のパーカーを湿らせる。


「これ……、こうやって、背中で見たの」

「ん?」

「パパの背中で。こうして、見たの」


 寝ぼけてうっすら開いた君の瞳は、ちゃんと覚えていたんだね。

 おじさんの背中と、この幻想的な景色を。 


 でも、君が覚えていないものもある。

 俺だって、ついさっき思い出したばかりだけど。



 ……その時、約束したんだ。



 大きくなった穂咲を背負った俺の目が、隣に立つ姿を見上げる。

 すると、小さな穂咲を背負うおじさんが、優しく俺を見つめてくれた。


「穂咲、寝ちゃったからこれを見れないなんて残念だな」

「…………そうですね」

「じゃあ、いつか道久君が穂咲にこれを見せてやってくれ」

「…………はい」

「おじさんとの、秘密の約束だぞ?」

「…………約束。叶えましたよ、おじさん」



 頬を熱いものが伝うと、おじさんが優しく拭ってくれた。

 その太い腕が、また静かに消えて行く。


 笑顔を浮かべたおじさんが、口を動かす。

 その、最後に伝えようとした言葉。

 

 ほ、さ、き、を…………。


「…………またこの場所で、秘密の約束ですか」


 その約束を果たすのは、俺なのでしょうか。

 それとも、他の誰かなのでしょうか。


 俺はこいつの事を好きなのか嫌いなのか。

 いまだに分かりかねているのですから。



「ねえ、そばまで行ってみたいの」


 鼻声が、肩から聞こえる。


「当然。降りようか」


 だからそっくり真似した声で、俺は返事をしてあげた。



 慎重に、慎重に。

 岩場を降りて、穂咲を下ろす。


 そこは地上に降りた神様が作った秘密の砂浜。

 海に駆け込んだ穂咲が足を動かすたびに、青い光が波紋のように広がって。



 まるでネモフィラの花畑を歩く妖精のようだ。



「道久君も来るの!」


 誘われるまま海に走り込む。

 すると、穂咲に両手を握られた。


 そしてお辞儀?

 なにする気?


「ちょうどよかったの。盆踊りの練習が役に立ったの」

「……ああ! オクラホマミキサー!」


 バカなこいつが盆踊りの練習をしているうちに間違えて覚えたフォークダンス。

 まさかこんな形で役に立つなんて。


 俺は苦笑いでお辞儀をして、穂咲の背中に手を回した。


 海を蹴るたびに白い輝きが広がって。

 青い花園で舞う二人。


 いつまでも、手に手を取って青い光の中を踊り続けた。



 そしてまた一滴。

 穂咲の頬を滑り落ちた滴が、輝く海に沈んで消えた。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



 好きなのか嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えることをやめた。


 こいつが学校でもめちゃくちゃをするせいで、いつもそれを庇う俺が代わりに立たされてきた。

 俺は悪くないのに。

 いつもいつも立たされてきた。


 そのことを当然と思っているかのような穂咲だけど、俺は知っている。

 こいつは底抜けに優しくて。

 こいつは愛に溢れていて。


 今日、頼ってくれたように。

 きっと、いつも俺の事を頼りにしているのだろう。


 今日、ありがとうと言ってくれたように

 きっと、そのことを嬉しく感じているのだろう。




 好きなのか嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えることをやめた。



 ……いや。



 まだ時間はあるさ。

 もう一度、考えてみようか。


 こいつの事を。




 好きなのか。




「ねえ道久君」

「……なにさ」

「学校、もう始まるの」

「そうだね。またみんなに会えるね」


 海を蹴るたびに白い輝きが広がって。

 青い花園で舞う二人。


 そのダンスは、急に終わりを迎えた。

 手と手を握り合って、正面を向いたままで。


「あのね? 学校が始まっちゃう前に……。一つだけ、お願いがあるの」


 穂咲の瞳が、俺を見上げる。

 潤んだ瞳が、俺を見つめる。


 透き通るように青く輝く波が足に当たって二つに割れると、水面に沢山の光の輪が生まれて俺たちの代わりに回り、踊る。


 足元の潮騒が遠くに聞こえて。

 穂咲の吐息が、はっきり聞こえて。



 エリンジウムの花言葉。秘密の恋。


 穂咲の髪から、透き通るような青さを持つエリンジウムの花びらが一枚、水面に落ちる。


 すると、まるで花の色が海に溶けるように青い波紋が広がった。



 秘密の恋に終わりが告げられて、違う形の恋に生まれ変わるのか。


 俺を見つめる穂咲の瞳。

 青の光が反射して、俺の心を貫いて離さない。


「穂咲…………」


 鼓動さえ水面へ伝わって、青い波紋がとくんとくんと広がって。



 そして穂咲は、光り輝く唇に想いを乗せて、そっと近付けた。



「……いつも廊下に立たされてるけど、みっともないの」



 …………え?



「友達として恥ずかしいの」

「あのさ。さっき、半分くらい自分のせいって反省してたよね。もう忘れたの?」

「何のこと? それより、ちゃんと約束するの。立たされないように気を付けるの」


 ……………………

 ……………………

 ……………………

 あは………………。



 あは、あははははははは!



 この期に及んで! いつも通りか!



 俺は万感の想いを込めて、夜空に吠えた。




「……………………それは全部、穂咲のせいだーーーーーっ!!!」




 こいつの事を、好きなのか、はたまた嫌いなのか。


 俺は今度こそ、考えるのをやめた。





 約束の、青いピカピカ ~秋立2.9冊目~

 おしまい♪

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