第2話 愛は煩わしい
そして無意味だ。それを理解したのは母が私を慰めにしていた頃、私がまだ僕であった時代だ。
仮想現実の企業で勤務していた父。施設の中で、決められた時間に食事を採り、決められた時間に決められた運動をして、長時間の仮想現実への没入に耐えられるよう、肉体を調整し続ける父。決められた全ての現実を終えると、清潔な独房でカプセルに横たわり、仮想現実でまた決められた業務をこなす。
精神を真の自由に導くと謳われた装置は、現実さえも規制する鎖だった。
子供が生まれ、手当てがつくと分かると、父が家に帰る間隔は次第に伸びた。電子の海から無限に零れる快楽と娯楽は、現実の重力から人を飛び立たせるには十分であったらしい。それで問題は無い。既に実用段階に入っていた育児補助ロボットは無料で使えたし、保育園に入るのにも補助金が出た。
しかし、何故だか母はそれらを嫌い、私を家に留めた。もの心ついてから数年間、おぼろげな記憶の中で、いつも傍にいた母と時々視界の端にいる父。それ以外の人間を見たことがなかった。それが社会生活を送る上で少々のハンデになると気付いたのは、小学校で誰とも話すことなく3年経った時期だったか。
私としては大した問題ではない。勉強についていけないことはなかったし、それで十分なのが学校というものだと今でも思っている。だがそのあたりから母は、言い訳のようなよくわからないことを言い始めた。
愛していると言われた。知っている。信じてほしいと言われた。信じているとも。なぜ俺が信じていると信じてくれない。幼い頃、目を見て話しなさいと教えられた。中学生になったあたりから、目を見て話すと怖いわと言われた。大気の圧力は1.013ヘクトパスカル。無味無臭の重さならば耐えられもしよう。だが人の感情は鼻につく。
高校に入る前に、母はロボットを買った。写真の中の幼い私に似ている子供と、母と寸分たがわない、しかし私の目を見て明るく話すドッペルゲンガー。母は私と話さなくなった。最後に母を見たのは
自分の部屋、机の前で壁に焦点を合わせる。微かに黄色味が感じられる白塗りの壁。覗き続ければ2次元の中に発生する無限の奥行きに沈み、二度と浮かび上がれなくなる気持ちになる。
スマートチェアの背もたれに体重を預けると、姿勢が自動で矯正されて負荷が分散されるように腰骨を支えられた。
彼女と帰り道の途中で別れてから何時間経ったのか。あの質問に何と答えたのか。何も、何も思い出せない。気づけば壁の乳白色に意識を泳がせていた。
あの時、記憶に残る最後。和子に感じた不快感。かつて限り無く味わい、さりとて慣れることもできず、しかし今や無縁のものとなった嫌悪。
あれは人間に対するものだった。では彼女は人間だったのか?それとも夕闇と山風が運んだ幻か。
決まっている。彼女はロボット。如何に精巧であっても、コミュニケーションを肩代わりするだけの影に過ぎない。ドッペルゲンガーの誤作動など聞いたこともないが、現実に存在する限り、狂いと無縁でいられる仕組みは有り得ない。
ひょっとするとそういった不具合は表に出ないように操作されているのかもしれない、とありきたりな陰謀論を脳内で唱えてみる。
これほど世の中に普及したものに問題があった所で、いまさら止められるはずもない。ああいった不具合は闇から闇へ葬り去られて、そこには人類を支配せんとする一団の陰謀が。
一昔前のSNSを賑わしそうな与太だ。拡散してみようかと考え、鼻で笑って打ち消す。SNSはコミュニケーションAIの主戦場だ。人の拡散意欲を励起するために生存競争を繰り広げるbot 達が凌ぎを削り、次々に生成されるコピー&ペースト、デマゴーグ、いかに婉曲的に死ねと言うか大会、ホモビデオの合成映像。
人間の理解を超えた表現が生まれて、人間に理解できない情報を検閲するbot に消去されるのを繰り返しているという都市伝説じみた噂もある。ソースはbot だ。
かつて対話能力というものは、社会的動物である人間のみが持つ一種の特権とみなされていた。しかし自然界の研究が進むと、他の個体との情報の取引は決して珍しいものでは無いと分かる。
蜂は一定の規則を守って飛行することで餌の位置を伝えるし、鯨などは低周波で会話 するという。
それはあくまで本能に従って通信しているだけであり、人間のような複雑な感情の交換は不可能であると一般には考えられている。
だがなぜヒトだけが特別と確信できるのか。我々の対話がただ本能の産物であり、尾骨のように捨てさられていく機能の一つに過ぎないとは思わないのだろうか。
電磁波を無限に分解した先の暗号の海を満たす言葉は、活字を混ぜ合わせる猿にも劣る自動タイプライターで代用できるものばかりだ。
いったい現代において建設的な、何かを生み出せる言葉というものは残っているのか。少なくとも先人が言わなかった事を述べることにおいては、人よりもbot の方がよほど優秀だ。 表皮よりも影が、そのものの形を端的に教えるように。
ふと、和子の持ち主のことが気になった。何故私と影を付き合わせる、言ってしまえば奇行を行うのだろう。意味があるかといえば全くの無意味だ。気まぐれでやるにしてもあまりに脈絡がなかったし、一年以上も続けることだろうか。告白を承諾した時は3か月で向こうも飽きるだろうと高を括っていたものだが。
和子の持ち主。思えばこの言い回しもおかしなものだ。澤野和子とは私の横にいた影ではなく彼女そのものである。
にも関わらず、私にとっての澤野和子は、所有者の無垢でありたいとの願望が透けて見える、言ってしまえばキャラ付けされた量子コンピュータのプログラムなのだ。多分中学生位の頃に設定したのかな、と常々思っていたが、そうなると流行り出す少し前に作ったのだろうか。
平均より高い頭脳指数と先見性を持つ、気後れしそうな人物像が浮かんでくる。人より頭が回る故にプライドも人一倍高く、思春期との相乗効果で空回りする女子高生。
どうも『澤野和子』と噛み合わない。いや、そうなるように設定したのか。
誰しもが自分に無いものを求める。人は変わるかもしれないが、その根幹を直すことなど出来はしない。叩き直せぬからこそ性根と言う。
人に出来るのは、
思索は時間と糖質をことさらに消費するが、それに見合った成果を出すのは稀だ。だからこそ考えるという作業を放棄し、他者に自由を預ける戦略にも一定の合理がある。
そこまで捨て鉢にもなれないが、こうやって生存の役に立たない事で熱量を浪費する観点からは、部屋に舞うハウスダスト以下の自分を客観視するのは辛い。
ふと澤野和子に会ってみようという気になった。
外見以外は、いや外見も多少はいじくれたはずーー女性にとっての多少の変化は骨格以外の全てだと私は知っているーーつまり名前と性別年齢以外、和歌山でまた生まれたパンダの赤ん坊より情報が無い女の何が推察できるだろう。
大通りから外れた路地裏に通る側溝の下まで VRで観察できる現代であっても、残念ながら横を歩く少女のパンツの色までは解らない。
つまり有史以来から現時点まで、最終的な確認方法は肉眼で視認することに尽きるという訳だ。もちろん痴漢は犯罪だし卑劣な盗撮行為は撲滅されるべきだが。
しかしながら目下の問題は変質者の検挙ではない。困ったことに私は澤野和子に会ってみたくなったが、澤野和子なんかに会いたくなんてないのだ。矛盾のお手本のような文法だが、これが正直なところだ。
だいいち、この一年人と話したことなんて一度もないのに、ほぼ初対面の女子の家に上がるスキルを持てというのはいささか酷な要求ではないか。
そもそも気まぐれでドッペルゲンガーと付き合わせているだけの男がいきなり面と向かって会いたいと言い出したらどう反応するだろう。
相手の視点に立って考えるなどという高等な真似はミステリ小説の登場人物に任せるとして、例えば澤野和子が今玄関の前で「何となく会いたくなった」などと宣ったら土間にバリケードを築いて公共警備ロボットが来るまで籠城する自信がある。やっぱり行かない方が良い気がしてきた。
そうやって自分で否定しておきながら、既に足はクローゼットに向かい、当たり障りのない服を選び始めていた。
人の目が無い環境で真っ先に退化するのは服のセンスかもしれない。緑の無地のTシャツに白いウエスタンシャツを羽織る。他には鮫柄と仏像プリントしかなかった。制服ばかり着てないで私服も選ぼうと心に誓う。
彼女が特別ななにかだとは思わない。恐らく目を合わせただけでしかめっ面になり、話すとなればいっそ殺してやりたいと叫ぶ腹の虫を宥めなければならないだろう。そうと分かってわざわざ足を運ぶなど、先方にとっては迷惑を超えて災厄である。
甘味だけ舐めれば良いものを、無性に苦さを欲するのも本能だとすれば、やはり人間というものは度し難い。
一応母に出かけることを伝える。もう互いに親子と認めているかも怪しいものだが、万が一事故にでも遭った際に何も知らなかったでは面倒な事になりかねない。言わば業務連絡のようなものだ。
手首の収納器具からシート型モニタを出して、出かけるとだけ打つ。返信は無い。ついに文字を交わすのも億劫になったようだ。
玄関に出る前にダイニングを通ると、小さな人影が椅子に座っていた。歳が随分離れたために、もうほとんど別人の顔だが、それは過去の私とそっくりだった。
母が私の目から隠すように動かしていたので、はっきり見るのは思えば久しぶりだ。生体部品で構成されたドッペルゲンガーをあの姿のまま保有するには、年に一回は交換しなければならないだろうに、不経済なことだ。
ドアを挟んだだけの隔たりしかないにもかかわらず、視線をずらすこともない。対人認識の設定をいじるだけで置物と変わらない。その事実が私を安心させる。
「お母さん、ごはんまだ?」
かつての私、その影は過去をなぞって変わらない日常を再演し続ける。そしてその意識は疲れ切った母を慰めるだけにそそがれて。
「もうすぐできますよ。揚げ物を作っていますから近づかないでくださいね」
「はーい」
「ふふっいい子ですね」
誰だ。
「今日の学校はどうでしたか?」
「うん!あのね、漢字のテストで100点取ったんだよ!すごいでしょ」
「まあ!えらいですね。今日はおやつも奮発しちゃおうかしら」
「ほんと!?」
違う、あれは違う。人間じゃない。母さんじゃない。
影だ。ドッペルゲンガー。私という重荷を肩代わりするために買われた機械だ。私のドッペルゲンガーが私と会話することは有り得ないように、母の影も子供の私をいないものとして動作する。そこに異常が起こるはずがない。
いないものとして扱うというのは、イメージセンサから主電脳に送られた時点で弾かれるということで、万が一そこに居ると判断してもあくまで知らない子供だとおもうはず。
だが食卓の光景は、もう決して戻ることのない母と子の、そうあるべきであった団らんそのもの。ここは彼女たちの食卓だった。醜く歪んだ現実だけが追い出されたような。
ダイニングに入る。ドラマの世界に迷い込んだようだ。台本に従って全ては進み、不要な役者に与えるものは無い。母の形をした、機械かも分からない何かの横に立つ。
「母さん。聞こえるか」
コロッケが揚がる軽快な破裂音。香ばしい匂いが喉の奥まで流れ込む。慣れた手つきで菜箸を使う。
嘘っぱちだ。何年も愛玩ロボットを愛でるだけだった女だ。冷凍食品を温める以外の調理をしていた覚えはない。
「こっちを向け」
「籐悟、できましたよ。いま出しますからね」
「わーい!」
屈託なく笑う少年。こんなに喜びをあらわにしたことはない。大人しい、無口で、つまり可愛くない子供だった。
何もかも作り物。見栄えだけの影絵芝居に過ぎない。だがこれが家族だったのではないだろうか。同じ家に住んでいるだけだった、距離で言うならVRカフェの隣室の方が近い程度の関係。そんなものがまがい物に勝ると胸を張って言えるのか。
出来上がった料理を皿に乗せて運ぶ頭を掴み、無理やりこちらを向かせる。生き生きとした瞳は、しかし誰をも映すことはない。子供が私を見ていた。夕食を楽しみに待つ無邪気な目のままで。
これが正解なのではないか。いったい私はなんだ。ここはどこなんだ。足元が頼りない。頼りないのは私の脚だ。手を離してやる。キッチンを抜け、母の部屋に向かった。
設定を変えるとすれば母の他にいない。なぜこんなことを。人形遊びに空しさを感じたのか。あるいは、私も、彼女も、家族にふさわしくないと結論付けたのか。
母の部屋の前、懐かしくさえ感じるほど訪れていなかった。ノックをする。返事がないことに驚きも、いらだちも無い。あるいはどこかで察していたのか。ノブをひねる。戸板は腕に逆らわず動いた。
母はベッドに横たわっていた。侵入者がいるというのに、胸は閉鎖された工場の旋盤のように静かで、瞼に引っ付いたまつ毛は錆びついた鎖だった。
十秒数えた。動かない。一分待った。止まったままだ。
部屋に踏み入り、母の喉に手を当てる。
「どういうことだ」
それが別れの言葉になった。最後まで家族ではいられなかった。影に隔てられた距離はあまりにも伸びすぎていた。夕暮れの影法師のように。
外傷は見受けられず、病に苦しんだ様子もなく、全ての生命活動が静止していた。それは死ぬ、というよりも生きることを止めたようであった。
すべて落下せよ @aiba_todome
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