すべて落下せよ

@aiba_todome

第1話 影が起き上がる

そして歩き出す。私の目の前で話し、冗談を言って笑い合う。

大乗藤悟。高校3年18歳。誕生日は5月8日。誕生日に五月病を患う厄介な生まれだ。裏日本の地方都市に住まう、普通の高校生というやつである。


しかしこの普通の高校生。現代では論理的に矛盾した言葉かもしれない。

例えば、何処にでもいる普通のアメリカ大統領なんてものは存在し得ない。アメリカ大統領という地位は地球上で無二のものだし、テロリストやら宇宙人と戦ってパワードスーツで宇宙に行くような連中が普通の、と名乗るのは土台無理がある。

流石に自分を大統領なみの希少種と言い張るつもりはないが、今となっては律儀に通学路で自転車を転がす十代なんてものはすっかり少数派だ。もしかしたら卒業後には絶滅しているかもしれない。


カゴを外したママチャリで、車道の白線内をのんびり走る。食パンを咥えた女子が角から飛び出すには早い時間帯だ。

そもそも家から徒歩で5分の立地の学校に遅刻するなんてのは、入神の域に入ったドジっ子でもなければ不可能だろう。世の中何にだって才能はある。

通学路には制服を着た十代の男女が、各々のペースでコンクリートの箱に運ばれていく。みな3、4人、あるいはさらに多くの人数で集団を作り、談笑していた。

一人寂しくペダルをこいでいるのは私だけだ。友人はともかくとして友達がいないわけじゃない。これは本当だ。ぼっちの強がりではなく、通学路で固まって歩く必要性を純粋に感じない。

だいたい移動しながらきつい冗句をとばすなんてのは人間には荷が重すぎる演算だ。運動とは黙ってやるもの。ながら運転は厳禁である。


誰に言い訳しているのか。脳内に浮かび上がる無駄な言語を振り払っていると、前を歩いていた5人くらいの集団から声が聞こえた。

「あ、とーくんだ!おはよーとーくん。お久しぶりです」

「3日前会ったばっかじゃないか。何十年たってもつい昨日会ったように話しかけるネイティブアメリカンを見習ったらどうだ」

「彼女に向かってそれはしどいよ!とーくんの鬼!悪魔!天狗党!」


人様を攘夷志士呼ばわりするけしからん女の横に自転車をつけ、歩くのに合わせてスピードを落とす。 澤野和子。私の彼女だ。she の方ではないし、二次元でもなければ寄せ目にすると飛び出す3Dでもない。彼女である。

くりっとした目に肩甲骨あたりでふりふり揺れる三つ編みのおさげが一本。小動物の表現がしっくりくる、小柄でふっくらとした体をセーラー服で包んだ少女。

可愛らしい顔を精一杯しかめて怒っていることを表現しているが、内またの姿勢はアリクイの威嚇ポーズのようで、見る者をほのぼのとさせるだけだ。


「おいおい大乗くん。持たざる者に見せつけてくれるじゃないの。革命だよ?これはもう革命しかないよ?」

固まって歩く仲間の1人、癖っ毛の男子がやたらからんでくる。こいつの名前はなんだったか。富なんとか、確か富塚だ。名札にも書いてあるから間違いない。

「お前は女子と見たらすぐ口説くから引かれるんだ。一途でない男には、何一つ大業は成し得ないぞ」

「ひどいこと言うな!?俺だってさ、ただ青春を清く正しく送りたいだけなのよ?嘘じゃないよ?だから博愛の精神で皆様に声をかけているだけなのよ?」

「うーん、富くんはみんなに優しいけど、女の子は特別が好きだから。でもきっといい人が見つかるよ!」

 邪気0パーセントの輝かしい笑みに、心臓を穿たれたかのように胸を押さえる富塚。

「オブラートにくるんだ言葉が優しく心を抉ってくるぜ……!」

「浄化の痛みだ。耐えろ」


無為な言葉を浪費しながら学校の敷地に入る。グラウンドでは部活なのか、サッカーボールを追いかける体操服の男子達。朝早くからこんな事をさせるとは、ずいぶん暇なものだ。

学校の窓から反射した陽光が額に当たると、肌に唐辛子をふりかけたような感触がする。仰角を上げた太陽は、今やそのガンマ線流で大地から生命を弾きだそうとするプラズマ球だ。

冬には頼んでもいない雪を目で楽しむには過剰な程に送りつける雲は、必要とされる時期になって休暇をとったらしい。蝉が群がる木々はアンプのようで、不協和音の大合唱を響かせる。夏がまぶしい日差しと一緒にやってきていた。





午前中の授業が終わり、安物の椅子に座らされる苦行から解放された生徒たちが炒めたゴマ粒みたいに跳ね飛ぶ。静かだった教室はあっという間に喧騒に包まれる。

その中でも一等元気に飛び上がった和子は、素晴らしい加速で動き出した。左右左と人混みを避けつつ並んだ机をすり抜ける。そのままの勢いで私の机の前に来ると、古いカートゥーンじみた挙動で停止した。

「とーくん!今日は一緒に帰ろうよ。私公園に行きたい!」

私はおよそ人間というものがことごとく大嫌いだ。しかしこいつのことは気に入っている。どんな時でも良く笑うし、うるさいけれど変にてらった物言いはしない。行動と中身に矛盾がない。わざわざ一人称まで変えて仮面を作る私とは大違いだ。

まあ当たり前なのだが、その当たり前が私には心地よかった。


「ああ、寺山公園か?それなら帰るついでに寄るか」

「うん!今日は晴れてるから、夕日が綺麗だよ。きっと」

「熱いなこのやろう!羨ましいな沸騰しやがれ!」

  富塚が後ろから噛みつかんばかりに嫉妬ウェーブを送り込んでくる。効果はあまりない。

「わこちゃん、そのままホイホイ家について行っちゃ駄目だよ!?こういう奴ほど人がいないとこでは獣なんだから!」

ドアの前で伏見がいらん忠告を投げつけてきた。相変わらず不愉快な女だ。自身も彼氏持ちのくせに何を言っているんだか。

「ええいうるさい。あと人を指差すなフェイクニュースをばらまくな」


放課後デートの約束を取り付ける男女に、クラス中からからかい混じりの声援が降りかかる。しかしその中には嫉妬も、軽蔑も、人の黒々とした情念は何一つ無い。心地良い空間。美しい箱庭だ。それこそ人間の集団ではありえないほどの。


このクラスに、私以外人間はいない。


クラスメイトの頭蓋骨をこじ開ければ、脳みその代わりに握り拳大の量子コンピュータと、脊椎に繋がるケーブルが覗くだろう。

" ドッペルゲンガー"

そう名付けられたアンドロイドの一種。ポリティコノイドとも呼ばれる対話機械。現在10億近い人間のコミュニケーションを肩代わりし、その数は最盛期よりは減速した今でも、一年間で8.3 パーセント増加するだろうと見積もられている。


機能はただ一つ。人間そっくりに振る舞い、会話する。それだけだ。百万馬力のパワーは無いし、空を飛ぶことも、片手でショットガンをぶっ放すこともなければ液体金属の体を自由に変形させることもできない。

クローン培養された人工細胞を整形して理想の自分を作り上げ、望みのままの性格を設定し、完璧な触れ合いを可能にする。そのためだけの人形、いや影だ。


アメリカのどこかで開発されたこの製品は、初め凄まじい非難に晒された。理由なんて言うまでもない。非倫理的。子供の健全な発達を阻害する。その他ポリティカル的批判がグロス単位で一通り。

だが一部の、正式にコミュニケーション能力に障害があると認定された者達が使用すると、その威力は世界中に知れ渡った。

ドラマでも今時出てこない好青年。嫌味の無い、明るく清らかな美少女。ユーモアと余裕にあふれたナイスミドル。何でもありで、その全てが映像から抜け出したかのように魅力的だった。


識者の警鐘を無視して、若者たちは自らの妄想を、肉体を持つアバターに託した。しばらくすると批判していた者達が我先にと注文し始める。

何しろドッペルゲンガーは失言をしない。叩かれる態度なんかおくびにも出さない。自説をもっともらしい言い回しで分かりやすく解説出来る。これまで飾り立てた言葉や良識を売っていた人種にとって無敵の武器となったのだ。

 初めはドッペルゲンガーに頼る弱者を笑い、影に対して挑発したり、自分はああなりたくないと声高に会話する、所謂リア充もいた。

しかし人との会話を楽しむ彼らのような人種は、会話の苦手な者がいなくなると途端に精彩を欠き、一ヶ月もすると彼らもまた影になっていた。考えてみれば当然である。学校という狭い世界でカースト上位に位置していた支配階級に、人間を遥かに超えるコミュニケーション能力を常時発揮する黒船が来襲したのだ。

彼らのアイデンティティは粉砕された。

結局人と話すことそれ自体よりも、それで相手の上に立つ快感、劣る者を嘲笑う優越感が好きな連中だったのだろう。馬鹿げた話だ。将棋でコンピュータに勝てる人類がいなくなって10年は経つのに、本気で機械に口先で勝てると思っていたのだから。

マスコミが手のひらを返すと後は真っ逆さま。中学に入った頃は見かけなかった影は、高校に入学した時点でクラスの半分を占め、大学が視野に入る今ではクラスに人間は私1人だけになってしまった。


 ではなぜ私が未だ学校に通っているのか。別に人間の尊厳の為、などと高尚な世迷い言をほざくつもりはない。かといって惰性で無意味な事を続けている、というと少し違う。まあ生活リズムが狂いにくい利点は有難いが、ここにいるのは単に心地よいからだ。


 私はおよそ好ましい人間というものに出会ったためしが無い。自分自身は?と聞かれれば、自分以上に憎たらしい存在なんていないと答えるだろう。自我が消えるのはぞっとしないので生きているだけだ。この矛盾した思考も嫌いな理由の一つ。

 人間は矛盾する存在だし、論理の破錠を徹底して排除する自然界であえて摂理に逆らう行為は、生物に与えられた権利だとも思うが、できれば最初から物理法則の奴隷でいさせてほしかった。実にこれこそがアダムとイヴの失楽園が示唆する悲劇なのか。まあどうでもよいことだ。


そんな私にとって、精神など存在しないが故に、またその脳内にきずを持たない影たちとの学校生活は、実に楽しいものだった。同級生は例外なく不愉快極まる連中だったが、速やかに影に乗り換えて私の視界から消えてくれたことと、今の快適な環境を作り上げて頂いたことは感謝にたえない。


和子と付き合うことになったのは去年の夏、ちょうど1年前になる。人間のクラスメイトも5,6人残っていた時期だった。当然話もしなかったが。

 本日行くことになった寺山公園の夕日は綺麗だと、たわいもない話をしていた所、なぜかそのまま流れで一緒に行くことになり、会話していた時に告白された。

ドッペルゲンガーは基本的には自律して動くが、行動パターンは設定されたものに沿っている。他人に時間を取られる恋人関係を作るには、わざわざ外部から操作しなければならない。

ドッペルゲンガーの視界と同期したVR画面から指令を送る本物の澤野和子に呆れながらも、お決まりの青春的な刺激を体験するのも悪くないと承諾したのだ。


つつがなく全ての単元が終了し、影達が家路につく。それぞれが好き勝手に動いているように見えて、教室に意味もなく残ったり、しょうもない理由で寄り道する者は一つもない。

量子脳に刻まれたスケジュールを柔軟に行動しつつ分単位で守る所は、人間との差異が大きく出ていて面白い。この無駄の無さも好きな点だ。こちらも時間を気にする必要がない。


「とーくん!早くいこ!はやくはや」

「うるせえ!という単語を脳内で出来るだけマイルドに変換しつつまず黙れ。いやさ静かにしろくださいわかりましたね」

「はい」

「よし」

 いけないいけない。焦るとつい感情が高ぶるのは人類の悪しき性向だ。こういう所はどうにかして自我から切除できないものか。

 ただの人間にとって影たちの手際の良さについて行くのは難しい。いや、ロボットといっても加速装置が付いている訳でもないのだ。

ただ普段から片付けている側とその反対との差でしかないのだが。しかし今どき紙の教科書で授業を受けて整理は人力とか明らかに無駄だしだが機械が肩代わりしているのだから本質的には問題ないいやだけどこうして困っている人間の生徒が好きでやってるなら文句いうなってうるせえそれとこれとは。


「とーくん大丈夫?ぎくしゃくして、昔のロボットみたいだよ?」

「ああいや、問題ない。ちょっと考え込んでいただけだ」

 ひどい冗談だ。もちろん和子に悪意があるわけもないのだが、機械に人間らしく無いと心配されるホモサピエンスとは。まあ実は私自身がドッペルゲンガーでないかと妄想に囚われた事は一度や二度ではきかないが、それこそ我思う、故に我ありコギト・エルゴ・スム。考えても仕方がない杞憂であろう。

「うむ、良し。じゃあ一緒に帰るか」

「うん!」


 寺山公園は、一般の遊具を置いた小さな空き地といったものではない。帰り道の脇にそびえる山に、道を通して花などを植えたハイキングコースのようなものだ。市街から海までを一望できる景色の美しさから、現在では少なくなった生身の人間が集まる場所の一つでもある。

 だからデートといっても、持ち主に負担がかからないように、石段を上った山の中腹から下界を見渡すだけだ。ドッペルゲンガーにも栄養液の補充が必要だし、あまり長く拘束するのは、本物の澤野和子が許可していても褒められたものじゃない。親しき中にも、会ったことはないが、礼儀ありだ。


 何十段、百段以上あるかもしれない石段の上から落ちる太陽を見る。夕焼け、とその現象を呼ぶが、焼けるという表現は誤解を招くものだと思う。オレンジの光にに赤みが差していき、やがて紫、藍色、名前があるかも知れないが、私の語彙では表し切れない色彩の綾が街を包む。どんな化学物質を混ぜたってこんな色は出せないだろう。

 しかし夕焼け以上の言い回しを思いつかないのも確かで、結局夕焼けは夕焼けでしかないのだろう。それは落陽の瞬間を切り取った心の中にしか無いものだ。


 そうなると私の横に立つこの少女の中に夕焼けはあるのだろうか。映像データと辞書の文字列ではない、瞬きする時間も待たずに変わっていくこの、言語にできるはずもない色の移り変わりは。

私が眼球を九十度左に回したことにも気づかずに、彼女は一心に夕日を見つめている。この集中力は機械由来のものか、あるいは細やかな設定の賜物か。


 いつも思うのは、人間の認識というものの狭さだ。山の上から見下ろすと、眼窩の街が世界の全てで、空とくっついた海の先からは無限の虚無が世界を断ち切っているようだ。青少年のたわごとかもしれない。しかし地球という銀河系の端の砂粒を世界と呼び慣わしている大の大人も、実際のところどんぐりの背比べではないか。肉体に映るのは器相応のものだ。人が本当に世界の果てを知る術はあるのか。あったとしてそれを知った時、知りえた者はは人と呼べるのか。


 黄昏は心を乱す。自他ともに認めるコミュ障の私が、やけに饒舌になるのはこんな時だ。我ながら気持ち悪い特徴をしている。そういえば去年彼女と何かを話したのだったか。そうだ、確か夕焼けについて2,3分ばかり。その後告白されたのだった。

 となるとそのことについて話すのだろう。ドッペルゲンガーの会話は混乱をよばないよう、演繹的にある程度推察できる。予想外はあっても発想外は無い。ぶっ飛んだ発言は大抵相手を不快にさせるからだ。


 だからここで一年間の感想のようなものを聞くのだと予想した。彼女はこれまでの2人の時間に満足していると、決まりきった台詞を述べて、私もまた心にもない感慨を呟き、それで今日のデートは終わるのだと。


和子がこちらを向く。体ごと回転させるのが妙に行儀良く感じられた。顔は赤と黒に滲み、口の動きしか見えない。

彼女の口が、開いた。


「ねえ、とーくん。人間ってどこにいるのかな?」


なんだ。

それは。

何を言ったのか。

聞き取れなかったはずもないのに、彼女の言葉が理解できない。目を見開いて顔を覗く。


誰そ彼たそがれ時。藍色が強まる空に塗りつぶされて、顔の形が掴めない。正に影そのものだ。


その浮かび上がる人型の像に、なぜだろうか、言い様の無い不快感を覚えた。

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