第42話 足跡は歩んできた道にある
粗い模様の洗面台。自動で蛇口から水が出ている。来美の手が水に触れていく。
「なんで同じ物を買わなかったんだ。いい年してペアルックなんて恥ずかしいとか思ってんのか?」
鷹野の声が優しく問いかけてくる。
「指輪のペアルックなんて普通だろう。恥ずかしがることじゃない」
「そんなんじゃないわよ」
来美は洗面台に両手をついて、顔を下に向けている。
「遠慮してんのか?」
「違いますよ」
「じゃあ何なんだ?」
来美は口を噤む。鷹野の呆れたため息が聞こえた。
「何か気に障ることでもあったのか?」
来美は洗面台の前にある大きな鏡に顔を向ける。
「……私達のこと、どう見えますか?」
「は?」
「アドバイスするんでしょ?」
「どうって……普通のカップル?」
鷹野は迷いながら言葉を絞り出す。
「普通って何ですか?具体的に言って下さいよ」
「だから、どこにでもいそうなカップルってことだよ。仲良くて、お互いのことを大事に思ってそうな、そんな、感じ……」
鷹野はたどたどしく説明するが、言葉尻にかけて声が小さくなっていく。
「鷹野さん」
「なんだ?」
「私はあの人と結婚した方がいいですか?」
鷹野は驚いた表情で床を見つめる。来美の声はいつもより弱々しく聞こえた。柱にもたれていた背中を離し、顎を擦って考える。
鷹野は間を空けて、言葉をゆっくり吐き出す。
「悪いが、その質問には答えられない」
「鷹野さんの個人的な意見でいいですから」
「嫌だ」
「嫌だってなんですか」
来美は口を尖らせる。
「君は他人に大事な人生の選択を委ねるのか?」
「アシストしてやるって大口叩いてたのはどこの誰ですか」
「アシストはするが、決定権は君にある。核心的な質問には答えない。それが今回の俺のスタンスだ」
来美はため息を零す。
「じゃあどうすればいいんですか」
「君はいつだって自分で人生を切り開いてきたんじゃないのか。君1人で成し遂げてきたとは思わない。だが、君は決断し、そして歩んできた道がある。君の後ろには、君が残してきたものがあるはずだ。君が残してきたものは、君自身で拾い上げ、決断する。それが君だろう」
来美は浮かない表情で鏡に映った自分を見つめる。
「俺は君の決断を支持する。俺が言えるのはそれだけだ」
鷹野は最後にそう言って、口を閉ざした。
受信しなくなったイヤホンは何も音を発しなくなった。
来美は鞄からポーチを出し、化粧直しにかかる。
前嶋に催促され、来美は指輪を買ってもらった。来美が選んだのは安価な銀を使ったシンプルな指輪だった。一方の前嶋は15万円のガーネットとダイヤが中央にある指輪だった。前嶋にはそれを一緒に買おうと言われたが、軽いノリで買ってもらうような物じゃなかった。来美は断り、必死に安い方の指輪をせがんだ。
この価値観のズレを認めなければならない。本来、結婚前に高い買い物をしようとする前嶋に対して意見するべきだった。
でも、それをできなかった。腹を割って話すことは難しいけど、話し合わなければならないこともあるのも事実だ。言い方次第でどうにかできるのはなんとなくわかっていたが、それを具体的な言葉で、かつ瞬時に発することができなかった。
来美は臆病な自分に失望しつつ、ピンクベージュの口紅を塗り終えた。
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