第39話 未来

 なんでそんな簡単なことを思いつかなかったんだろうと、一瞬希望が見えた気がしたが、いきなり言われてしまいどう答えるか迷う。

「いいじゃないかー。結婚よりハードルが低い分、オッケー出しやすいだろ」

鷹野のニヤニヤした顔が思い浮かぶ声色がイヤホンから聞こえてきた。

もしダメなら同棲を解消すればいい。分かっている。分かってるけど、それでいいのかとためらってしまう。


同棲したとして、それはただ結婚という決断を先延ばししているに過ぎない。慎重に判断しているだけだと言い切ってしまえばそれで済む話かもしれない。でも、2年の付き合い、友達関係から換算するなら11年の付き合いになる。

長い期間を過ごしているのに、まだ足りないと思ってしまう自分がいる。

結婚したとしても、全てが変わるわけじゃない。全てが変わったとしても、今までの日々から来る想いがあるはずだ。

来美は膝の上に置かれた自分の手を愛撫して握った。

そして、前嶋を真っ直ぐ見つめて口を開いた。


「同棲は考えさせて」

「おい!」

鷹野は異議を唱えている。隣のおじさんは独り言をしゃべる鷹野を不審げな目で見つめるが、鷹野はまったく気づいてない。

前嶋は残念そうに笑った。

「うん、じゃあ考えてみて」

「ありがとう」

気まずい空気になってしまい、会話が滞る。前嶋はそれを繋ぐように肉を食べる。

来美は前嶋に気づかれないように息を吐く。

「慶」

「なに?」

「慶は、私のこと好き?」

来美は熱っぽい視線で問いかける。前嶋は笑いながら戸惑う。

「今更だな。もちろん好きだよ」


「私も好き。でも、1人でいるのも好きなの。自由気ままな暮らし、そういうのがしたいの」

「えっと……どういうこと?」

「例えば、自分でできることは自分でして、2人じゃないとできないことは2人でする。家事は自分でできるでしょ?お互いの洗濯物は自分で洗って、食べたい物もお互いにそれぞれ好きな物を食べる。役割を決めて、やらなきゃいけないみたいなことはしない。ゴミはリビングとか、ダイニングとか、共有のスペースは仕方ないけど、自分の部屋の物は自分で捨てる、みたいな」

来美はたどたどしく説明する。


「自分の部屋がほしいの?」

「お互いに自分の部屋があって、好きな時に共有スペースに行く。そういう感じがいいの」

「シェアハウスみたいな感じ?」

「うん、そういう結婚生活なら、きっと今の関係のような、結婚生活ができると思うの」

前嶋は悩ましい表情で肘をつく。

「想像と違ったでしょ?」

来美は眉尻を下げて聞く。

「まあ、正直ね」


「慶は、どうしたい?」

前嶋は難しい顔で黙っている。

「慶、結婚するなら、ちゃんと話し合った方がいいことは話し合った方がいいと思う。結婚後に話し合えることもあると思うけど、結婚前に話し合わないといけないこともあると思うの。だから、本音で話してほしい」

前嶋は渋々重い口を開く。

「俺は一緒にいる時間をできるだけ持ちたい。自分の部屋を持つのはいいと思うけど、それは仕事部屋とか、趣味の部屋とか、そういうもので、基本的には共有スペースで、一緒に過ごす生活を想像してた」

「そう……」

あまりに違う未来だった。でも、こうなると想像できていたから今まで言えなかった。

問題はこれからだ。

来美は落ち込んでいる場合じゃないと気持ちを切り替え、肉をしゃぶしゃぶして食べて、一間置く。

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