第38話 加速

 来美は一度行ってみたかった人気のしゃぶしゃぶ店の中で前嶋を待っていた。前日に前嶋から行きたい場所がないか聞かれて、いい機会だと思い、この店を注文した。

しゃぶしゃぶの調理方法に適した食材を使い、温野菜とミネラルを多く含んだ果物と麦を食べた豚肉、腸の活性化を促す乳酸菌やビフィズス菌を含んだ汁。

至れり尽くせりな商売文句につられて、人がまた人を呼ぶ人気店となり、通路をひっきりなしに店員やお客が通っている。


「まだか?」

来美のイヤホンに鷹野の声が聞こえてくる。

「当たり前ですよ。待ち合わせ時間まで10分ありますから」

来美は小声でネックレスに化けたマイクに話す。

鷹野はカウンター席で1人食事をしている。鷹野には制裁として、適時アドバイスと意見を窺うサポート役として、こっそり同行してもらうことにした。未だ答えが出せない中、客観的な意見が欲しかった。

しかし、がっつり食事を堪能しているようで、時折ハグハグと食べる音が聞こえてくる。

「デートは10分前に来るのが男ってもんじゃないのか」

「彼はいつも5分前です。そんなこと言って、鷹野さんは10分前に来てるんですか?」

ただ食事を楽しんでいる鷹野にイラつきながら答える。

「当然。俺はジェントルマンだからな」

「どこからその自信が来るのかさっぱり分からないんですけど」

「君にはまだ俺の良さが分からないんだよ。もう少し大人になったら分かってくるさ」

「考えたくもないですね」


 5分後、来美がいるボックス席にひょっこりと前嶋が顔を出した。

「久しぶり」

前嶋は頬をほころばせて来美の前に座った。

「うん、元気そうだね」

「ああ、瀬理も元気そうで良かった」

前嶋の顔を見てから妙な緊張が襲う。柄にもなく食事で緊張するなんて思ってなかった来美は、緊張を誤魔化すようにテーブルに置かれたメニュー表を前嶋に渡す。

お礼を言ってメニュー表を見る前嶋は、お腹を空かせた子供のようだった。こんな顔してたなと遥か昔のことを懐かしんで、今まで共に過ごした日々に想いを馳せる。


2人で食べたい物を言いながらオーダーした。豪華絢爛な数々の食材が泡を立てて消える汁の中につけられ、2人の口に運ばれる。

互いに仕事やプライベートのことを報告し合い、談笑に花を咲かせる。

「整理はついた?」

突然前嶋が切り出してきた。来美は口の中にまだ残っていた食べ物を飲み込む。

「ううん、まだ……。でも、もうすぐ決められると思う」

「そっか」

前嶋は苦笑を浮かべる。

「じゃあ結婚する前に、同棲してみるか?」

「え?」

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