第36話 ストーカー退治
慣れてしまったせいか、来美は恐怖よりも怒りを強く感じた。来美は気づかないフリを装い、一定の速度で歩き続ける。
足音は少しずつ近くなっている。来美は前方の角を曲がった。家の陰に隠れて、ストーカーを待ち構える。バッグの手元を握りしめ、足音に耳を澄ます。
人の足元が見えた瞬間、来美は角から飛び出してバッグを振った。
「ぬおっ!?」
バッグは人の頭に当たる。ストーカーは変な声を出して怯んだ。
来美はバッグで力いっぱい何度も殴る。
「待て!俺だ!」
そう言われ、来美はストーカーを見る。
ストーカーは両手で頼りない防御姿勢を取っている。その男は来美の様子を窺う。目が合った男は、さっきまで一緒に飲んでいた鷹野だった。
「いきなり殴りかかるなんてどうかしてんじゃないのか!?どんだけ気強いんだよ!」
鷹野はちょっと本気で怒る。
「あなただったんですか!?」
「違う!思い出したことがあったから追いかけてきたんだよ」
来美は疑念を纏って睨みつけ、今にも殴りそうな勢いだった。
「とりあえずバッグを下ろせ。な?」
「証明して下さい」
「は?」
「鷹野さんがストーカーじゃないことを証明して下さい」
鷹野はため息を零し、引き腰だった体勢を整える。
「分かった。すぐに証明してやる」
鷹野は自信満々の様子で笑みを浮かべる。
「スーツの襟裏を触ってみろ」
「なんでですか?」
「そこにストーカーが隠れてる」
「ふざけないで下さい」
「いいから、やってみろよ」
来美は鷹野に警戒を強めたまま、首の後ろ辺りに手を回し、スーツの襟裏を触る。
すると、来美の指に硬い物が振れた。折れた襟の裏に隠れているようだ。こんなところに硬い物があるスーツじゃない。
かなり小さいようだった。指でそれを掴み、強めに取ると、ベリという音がして硬い物が手の中に転がった。
左手を前に持ってきて、手を広げた。
それはダイヤだった。しかし、指輪ではない。イヤリングやピアスとして使えそうな大きさではあるが、裏にマジックテープが貼りつけられていた。
「なんですかこれ?」
「それがストーカーの正体だ」
「はい?」
「それは装飾品じゃない。装飾品に見せたストーカー警戒誘発装置、『SWIA』。その名の通り、ストーカーの警戒を促すものだ」
鷹野は来美から偽ダイヤを取り、来美に見せつける。
「これを首の後ろ、骨が浮き出ているところに触れるように服につける。襟のある服なら襟の裏に、襟の無い服なら服の裏生地につける。マジックテープだから取りつけるのは簡単。
取りつけた後はただ歩くだけ。少し歩いていると、これが振動を検知して電源が入る。装着者の歩くテンポを計測し、骨振動で足音を模した音を伝える。すると、まるで誰かが後ろからつけてきているような錯覚を覚え、装着者は後ろを向く」
鷹野は笑いながら実際に後ろを向く。そして、振り返りもう一度来美に視線を戻す。
鷹野はとても楽しそうだったが、来美は冷めた表情で鷹野を見つめていた。
「装着者が走れば足音は早くなり、ゆっくり歩けば足音も遅くなる。これを一定期間装着させれば、夜道を警戒するようになる習慣が自然と身につくという優れ物だ。
本当はバーチャルリアリティを活用した商品を開発している会社から依頼されて作った物だったんだが、もっと活用できないかと考えていたらストーカー対策を思いついたんだ」
鷹野は自分の頭を指先で数回つつく。自分の頭脳を自慢しているのはあきらかだった。その姿に込み上げてくる物をひしひしと感じる来美。
「まさかここまで効果があるとは思ってなかった。感謝するよ」
来美のバッグが大きく振られ、鷹野の頭にクリーンヒットした。
鷹野はこめかみを押さえて膝をつく。
「なにすんだよー!?」
鷹野はなんで殴られたのか分からないと言いたげに問いかける。
「どれだけ悩んだと思ってるのよ、馬鹿!!」
来美は鷹野に罵声を浴びせる。
「悪かった。君なら大丈夫だと思ったんだ。こうして大柄な男をめった打ちにするほど気が強いから、そんなことに振り回されないと思ったんだよ」
「隠してたの?」
来美は鬼の形相で問い詰める。
「実験だからな。後で説明する予定だったんだが、すっかり忘れてた」
鷹野はうっかりしてましたと笑って取り繕う。すると、来美のバッグが鷹野の頭に飛んだ。
殴られた鷹野は勢いのあまり道路に横たわる。
「ま、待て!と、とりあえず謝る。俺が悪かった」
鷹野はなんとか機嫌を直してもらおうとするが、来美は肩を上下させて、息も荒々しく鷹野を見据える。
「絶対許さない」
鷹野はため息を零し、地面に正座する。
「なんでもするから、許してくれ」
「じゃあ死んで下さい」
「極端過ぎるだろ。何か欲しいものがあれば買ってやるし」
「自分で買えるのでいいです」
鷹野は顔を顰めて頭をぐしゃぐしゃする。
来美は腕組みをして、鷹野を見下げる。
「鷹野教授のやったことは倫理的に問題があります。このことは、東青大学にお知らせさせていただきます。もちろん学会にも!」
鷹野の表情を引きつらせた。
「それだけはやめてくれ。ほんとなんでもする!君の家のトイレ掃除でもするし、君の事業で協力できることがあったらする。この通り、頼む!」
鷹野は両手を合わせて、懇願する。
「そう言われてもですねぇ」
来美は困惑する。どうしようと考えながら視線を散らすと、クスクス笑いながら人が通り過ぎていくのが見えた。中には2人の姿を写真に収めようと、携帯で撮っている人もいた。
来美は恥ずかしくなり、さっさとこの状況をどうにかしたくなった。しかし、このまま鷹野をすんなり許すのは嫌だった。
何かないかと考えること二十数秒、とってつけたようなものだが、やらないよりはいい気がした。何より、この最低な男を野放しにするのはストーカーより危険。弱みを握って、管理した方がいい。
自分の思考も最低な気がしなくもないが、因果応報を教え込むためだと心を鬼にする。
「じゃあ、大仕事をしてもらいます。準備するものと明後日の夜の予定を空けておいて下さい。それができなかったら、必ず通告します」
「分かった。で、何をやればいいんだ?」
「それはまた、明日お話します」
来美は不敵な笑みを浮かべた。
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