第26話 手がかり
来美は忙しない仕事を終え、3日ぶりに行きつけの居酒屋『角米』へ足を運んでいた。酒に溺れて失った記憶の間、自分の行動が気になって集中できなかった。
また不思議系と言われてしまうと自分を鼓舞し、忙しい3日間を過ごした。このモヤモヤからの決別を胸に宿して、居酒屋に入る。
引き戸を開けると、おじさんの声がいつものように飛び込んできた。
しかし、カウンターには肝心の鷹野がいなかった。
来美は早くも目的を達成できないと知り、不満げな様子でカウンター席につく。
「おじさん、味付けキャベツとビール」
「はいよ。味付けキャベツとビール!」
バイト君が持ってきたお冷とおしぼりに「ありがとう」と小さくお礼を言って、口の中を潤す。
「この前、大丈夫だった?」
珍しくおじさんが声をかけてきた。
「ああ、やっぱり迷惑かけました?」
「男のお客さんが起こそうとしても起きないから、タクシー呼んで男の人と一緒に乗って行ったよ」
「すみません。今度から気をつけます」
来美は苦い顔をして謝る。
「ふふ、でも珍しいね。あんたが酒に酔わされるなんて」
「いやー、あの時はどうかしてました。その……大丈夫だったって言うのは?」
おじさんは「あぁ」と声を漏らし、唇を歪めて話す。
「お客さんのことを疑いたくはないけど、あの男の人に来美ちゃんを送らせて良かったのかなって心配してたんだよ。複数の女性と付き合ってるって公言してるしさ」
バイト君が運んできたビールと味付けキャベツがカウンターに置かれる。
「家着いたら普通にスーツだったんで大丈夫だったと思います」
来美はバイト君の手元が狂わないように少し体を退いてあげる。
「そう。なら良かった。数少ない常連さんだから、嫌なことがあったらもう来てくれなくなると思ってたから」
「大丈夫ですよ。女に見境ない変人ですけど、悪い人じゃないみたいですから」
「そうかい?まあ、あんたが言うなら大丈夫だと思うけどな」
「人を見る目だけは自信ありますから」
おじさんに聞けば良かったんだと今更ながら気づき、結果オーライと思ってビールを飲み始める。
「それからその男の人、ここに来ましたか?」
「来てないね」
「そうですか。あの人はどれくらいの頻度でここに来てました?」
「ここ最近は大体1日空けて来てたね。空いても2日だったから。今日来るんじゃないかなと思ってるんだけどね」
「店長。つけ麺入ります」
「了解」
おじさんは他のお客さんの注文をバイト君から伝えられ、早速作り出す。
来美はまだ聞きたいことがあったが、もう話かけない方がいいと判断して会話を中断する。
「もしかして、好きになっちゃった?」
なかなかのどぎつい質問が来て、来美はビールを噴き出しそうになるのを堪えた。
「ごほっ、そんなわけないじゃないですかぁー!酔ってたとしてもあの男はないです」
「けっこう話し込んでたから、気が合ってるんだと思ってたよ」
「まあ、飲みながら話すのは基本嫌いじゃないですから」
「飲みながら話せる相手がいるってのはいいもんだよな」
おじさんは手を動かしながら話し相手になってくれる。
「話し相手かぁ……」
「まだプロポーズの返事に悩んでるの?」
「ちゃっかり聞いてますね」
「こう見えても、常連さんの身の上話は大好物なんでね」
おじさんは来美を一瞬見て、不敵に微笑む。
「そうなんですよねぇ……。おじさんは奥さんいますよね?」
「ああ」
おじさんは料理を完成させ、伝票が貼られた掲示板を見て、次の注文の料理に取りかかる。
「年は下ですか?」
「いや、姉さん女房だよ。5歳年上の」
「おじさんがえーっと……」
「俺が48歳だから、53になるな」
「結婚して何年ですか?」
「いつの間にか20年経ってた」
「はぁ~凄いですね」
「ふふっ、凄かないよ」
おじさんは照れたように笑う。フライパンから油が弾ける音が聞こえてくる。
「嫌になったりしませんでした?」
「結婚が?」
「はい」
「そりゃ嫌なこともあるさ。喧嘩なんて何度もあった。
だけど、自分が未熟だったって思わせてくれるんだよ。物怖じせず俺に言いたいことは言ってくれるから、俺は人間として成長できたし、それに、この居酒屋を出す夢を応援してくれたのも、今の女房だった。この人となら、一生を共にしたいと思った」
「いい奥さんですね」
「怒ったら凄く恐いけどな」
来美とおじさんは笑い合い、まったりとした雰囲気に包まれながら長い夜を過ごした。
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