第18話 泣けるほど好きだった

 来美は半ば強引に金井を部屋へ招き入れた。家にあった紅茶を振る舞った。

「さ、食べて食べて」

「こんなに食べないよ」

お菓子がローテーブルに並んでいる。どれもこれも茶色い。ぬれせんべいやカステラ、どこかのホテルの焼き菓子の詰め合わせなどなど。

「さすが社長だよね。こんなおしゃれな部屋に住めるなんてさ」

金井は部屋の中を見回す。

「引っ越したの最近だけどね」


 4つのスポットライト型の照明が天井から吊るされた棒に沿って横に並び、優しいオレンジ色の光が周りを彩っている。

「で、何があったの?」

ソファの下の床に座る来美は、ライムグリーンのクッションを脚の前に押しつけ、早速本題に入った。

金井は神妙な顔つきになり、ローテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばした。目を瞑って紅茶を飲み、ティーカップを口から離して吐息を漏らす。


金井はボーっと宙を見つめると、ゆっくり口を開いた。

「私、彼氏にフラれたの」

なんとなく予想はしていた来美だったが、実際本人の口から発せられて戸惑った。

「え、……なんで?」

金井はティーカップをローテーブルに置いた。

「彼氏と話してたの。子供は何人ほしいとか、こんな家で一緒に住みたいねとか。でも、思い返してみたら、全部私からだった」

「今の彼氏は、婚前契約書にサインしてくれたんでしょ?」

「うん。でも、逃げられたら終わりだし、彼にすがったって、彼は私と結婚するのが嫌になったんだから、そのまま結婚生活をしても、きっと心の底から笑えない。ギクシャクして終わるに決まってるでしょ」

「あ、だから婚前契約書持ち歩いてたの!?」

「うん」

金井は薄く笑みを浮かべて頷いた。


「でもね、内心スッキリしてるの。彼のこと、分かってなかったんだなって、最後に気づけたから」

「彼氏がまだ、結婚したくなかったから?」

「私と結婚することよりも、子供といるのが嫌みたいだった。家の中で一緒に子供と過ごすのが嫌だってさ」

金井は笑っているが、全ての言葉に悲しみが纏っているようだった。来美は慎重に言葉を選ぶような素振りで、ゆっくり聞き出す。

「歳は、30代だっけ?」

「37。子供嫌いって、初めて知った。お互いを理解するって、簡単じゃないよね。これで私も少し賢くなった」

「私もちゃんと考えないとね……」


 来美と金井は無言になる。それに代わって湿る音が聞こえた気がした。カジュアルな掛け時計が時を刻む。

金井は岐路に立たされ、決断した。いつか来ると分かっていた岐路は想像と違うものだった。手を取り合って、大丈夫と言ってくれるだけでいい。それが好きな人の言葉なら、たったそれだけでどんな不安も吹き飛ぶかもしれない。


 自分はどうだろうと考えていると、鼻を啜る音が聞こえてきた。金井を見ると、少し俯いて泣いていた。

来美は何も言わずにローテーブルの脚元にあったティッシュ箱を金井の前に置いた。

金井はティッシュを取って、頬に伝う涙を拭う。しかし、瞳からどんどん涙が溢れてくる。声も出さないで泣いている。今も必死に堪えていた。


 昔からそうだった。人のことを思いやるけど、強がり。自分がしっかりしなきゃと意地を張る。弱いところを見せるのが嫌で、他人に優しくすることで自分を押し込める。自分の気持ちを上手く表現できない自分が嫌いで、高校の頃はよく悩んでいた。

大人になって、少しずつ変わっていったけど、根っこはあの頃の金井のままだった。


 来美は金井を見つめて口を開く。

「ここ防音だから、この時間でも結構騒げるんだよ。今度は私の家でお泊り会しようか。まっつんも呼んでさ」

金井は涙を流しながら笑ったが、すぐに泣き顔になってしまう。すると、たがが外れたように声を出して泣いた。来美は側に寄って、金井を抱きしめた。

「好きだったのに……なんで……」

金井は切ない言葉を漏らした。来美は強く抱きしめた。

「頑張ったね。しのぴー」

来美は少しだけもらい泣きをして、金井が泣き止むまでこのままでいようと思った。

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