第9話 利己的な慈悲
来美はおぼつかない足取りでマンションの廊下を歩く。玄関を開け、スタイリッシュな革靴を脱ぎ捨てる。
ふわふわと心地良い感覚が絶え間なく体を満たす。電気をつけ、ソファへ一直線。
「いてっ!……つ!」
床に積まれた雑誌に足をぶつける。積まれた雑誌は床にばらけてしまう。
来美は雑誌を気にすることなく、ブランドバッグをソファのアームレストに立てかけ、ソファに腰かける。コートを脱いで、ブランドバッグの上に放り投げる。ローテーブルにあるリモコンを取って、エアコンに向ける。エアコンが鳴いて、ゆっくり口を開く。
リモコンをローテーブルの定位置に置いて息をつき、ソファの背にもたれかかる。
鷹野とだべっていたら居酒屋の閉店時間まで居座ってしまった。鷹野は奢ってやると粋がっていたが、鷹野に貸しを作るのも嫌だったので、頑なに断った。
あの居酒屋で1人で飲むことはたまにあり、見知らぬ客のおじさんと話すことはある。ただ、あそこまで感情をむき出しにして、話し込むことは今までになかった。
適当にあしらうか、簡単な相槌を打って話を途切れさせる。そうやっていれば、大概の人はつまんなそうな顔をして話してこなくなる。
鷹野は人間的に嫌いだ。しかし、なぜあんなにも話し込んでいたのだろうか。嫌悪感こそあったものの、不思議と彼と話すことに夢中になっていた。
アレが鷹野の魅力……それで現在の嫁候補が何人もいるんだろうか。
寒気が急に来て、体を擦る。
来美は立ち上がり、シャワーでも浴びて気分を変えようと思った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
来美はキルト素材の紺色の長袖とボーダーの長ズボンになっていた。誕生日に松本に貰った紅茶を作り、深い夜をゆったり過ごそうとソファに向かう。
ローテーブルに紅茶を置き、ブランドバッグから光沢のある水色の携帯を取る。数時間ぶりに見る携帯の電池は40パーセントを切っていた。
後で充電しようと頭の隅に置いて、ネットを開き、世間で起きていた時事ネタを流し読む。世界情勢や政治のニュースを中心に読んでいく。独り言を呟きながら画面に食いつく。
一通り最新のニュースを読んで、冷めきった紅茶を飲み干す。後はどうでもいいニュースしかない。誰かが結婚したとか、離婚したとか、不倫とか浮気とか。友達や自分の会社の従業員とかは別だけど、ただの有名人なら本当にどうでもいい。
結婚ならおめでとうくらいにしか思わない。それが好きなタイプのイケメン俳優とかでも同じだ。
誰もが結婚という選択肢を持っているし、年齢を重ねれば結婚だって意識する。画面やステージなどしか会えない人が、自分と結婚するなんてことはない。大体近しい関係の中で結婚相手を選ぶし、向こうはビジネスでやってる。それを妄想したとしても、一時的な快感の後の空しさたるや恐ろしい。
集団で共有すれば微塵も感じなくなるけど、それを傍から見たら痛々しいと思ってしまう。そんな姿を晒すくらいなら、お酒飲み過ぎてゲロ吐いちゃったと自虐した方がマシだ。
もっとどうでもいいのが離婚。ああ、離婚したんだと思いはする。その後の離婚理由の推測合戦の何が面白いのか分からない。
情報は大体人づて。行く先々で事件に巻き込まれる名探偵達が、確証のない情報でこぞって事件の謎を解こうと群がっているみたい。
この人は可哀想、あの人が悪い。だから何?って話。
吊し上げて可哀想な人が報われるのかもしれないけど、実質的な問題は何も解決してない。
子供、仕事、財産。そして、これからどうするのか。
それは2人が話すことだし、遥か外野の人間が身勝手な親切心でアドバイスすることじゃない。
2人の実情の全てを知っている気になって、何もかも断定するのは自己満足。
でも、みんなそういうのが大好き。お互いに関わりのない名探偵達は主義主張を言い合って、仲間を見つけ、湧き上がる怒りと不満を用意された的に向かって撃っている。
射撃場は混雑状態。よく飽きないよなぁと外から見物して皮肉交じりも感心する。無慈悲かなと思ったりもしたけど、2人のためにならないと結論に達した。
自分と大して関わりのない人間がどこで不埒な不倫してようが、どんな最低な浮気をしてようが知ったこっちゃない。
いい商品を提供してくれさえすれば、それでいいのだ。
結婚とか離婚とか見てしまったせいで自分の抱える問題を思い出してしまった。来美はネットを閉じて、連絡先一覧から彼を探す。前嶋慶の名前とその下の一言欄に『大好きな人』と表示されている。
浮いていた親指が前嶋慶の名前に近づいていく。
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