第8話 パラダイス

 来美は鷹野の発言をどう捉えるか悩んだ。

「俺には嫁候補がたくさんいるんだ。1人に選べ、なんて俺にはできない」

「じゃああんた浮気してんの?」

「浮気じゃない。全員と交際してる」

来美は思わず笑ってしまう。


「いや、全員と交際って、意味が分からないんだけど?」

「だから、俺は複数の女性を愛してるんだ。もし日本が一夫多妻を認めてくれたら、俺はすぐにでもプロポーズする」

来美は威張るように断言した鷹野に眉を顰める。

「あんたの付き合ってる女性に隠れて付き合ってるってことでしょ?女性はお互いにそのことを知らない。それで、複数の女性にプロポーズする。数打てば誰かに当たるっていう作戦で乗り切ろうって魂胆なわけだ」


 鷹野はため息を零す。

「分からない奴だなぁ。女性も全員知ってるよ。同意した上で、俺と付き合ってるんだよ」

「そんなことあるわけないじゃん」

「ふふっ、君には分からないだろうなぁ~。ま、結婚できなくて酒場で毒づいている君じゃ、生物の本質を理解できるわけがないとは思ってたがな」

鷹野は不敵に微笑む。


「それで結婚してないの?ずっと」

「いや、一度結婚したけど離婚した。つまり、君よりは上ってことだ」

「全然羨ましくない」

来美はムカムカした様子でビールを追加する。

「俺からすれば、結婚したくないなんて考えられないね。生物の根幹から逸脱しているとしか言いようがない」

「人を結婚廃止論者みたいに言わないでもらえますか」

「生物的ではないと言っただけだ。俺は結婚廃止論者とは言ってない。君の誇張した解釈だ」

鷹野は澄ました様子で反論する。


「他の生き物は婚姻というかしこまった手続きはないものの、お互いにシンパシーを感じれば、子供を産み、子孫の繁栄に努める。父と母は役割を担い、子供の成長のために生活を共にする。もちろん、自分のためにもね」

「そういう考えが古いのよ。まるで女性が子供を産むための製造機械みたいな感じ。私があんたの彼女にそれ言ったら、全員にフラれるわよ」

来美はバイト君の持ってきたビールに手をつける。

「ほらまた、君はすぐに話を盛る。感情的な論理を感情的に話せば、真理を見えなくさせるぞ」

「はいはい、鷹野教授のご鞭撻は耳が腐るほど聞いたんで、少し黙っていただけますか!」

鷹野は肩を竦めておどける。


 殺伐とした空気を察してか、店主のおじさんが来美と鷹野の席の前に立たないようにしている。

鷹野は本当に黙って食事をしている。来美はどんな様子で食べてるんだろうと思って鷹野の顔を見てみる。

平気そうな顔にも見えるし、ちょっと機嫌悪くも見える。

来美は視線を外し、パーマをかけた自分の襟足に触れて、てもちぶさたな間を潰し、温生豆腐を食べきる。


「でも、彼氏さんは結婚したいんじゃないの?」

鷹野は凝りもせず話してくる。

しかもよりによって現在進行形で気にしていることを聞いてきた。

無視するという選択もできる。ただここで無視するのも大人げない気がした。

「まあ……そうだけど」

来美はため息交じりに呟く。

「なら、婚前契約を結べば?」

「婚前契約?」


「結婚前に、条件や家庭のルールなんかを記載した契約書を作成して、相手に署名捺印させる。なかなか合理的だろ」

「そんなまどろっこしいことすると結婚前に嫌われそうじゃないですか」

来美は顔をしかめる。

「そんなことでいちいち文句言う男は結婚に向いてないね。結婚は契約。契約書があるのはこの社会の現実から照らしてみても当たり前であるとも言える。そもそも、決まりごとをうやむやにしているから3組に1組の夫婦が離婚するなんていう社会になるんだ」

「そんなことしても離婚する夫婦は離婚しますよ。契約が逆に仇になってトラブルがより一層増えそうですよ」

「そうかなぁ」


 鷹野は納得いかない様子で顎を擦る。

「契約書の内容でここは嫌だ。アレは嫌だってなって、言い争いになってあなたとはやっていけない。さよなら~ってなる。離婚は減るけど、結婚するカップルが減っていく」

来美はやさぐれ感満載で吐き捨てる。

「結婚中だったら子供がいるしとか、まだ結婚して日も経ってないし、あんなにみんなから祝ってもらったのに離婚したら恥ずかしいって思うから、それが逆にストッパーになる。徐々に分かっていった方が穏便に済ませられるんじゃないですか。ま、それで本人達が幸せかって聞かれれば、私ははっきりノーと答えますけどね!」

「今日初めてまともに見えたよ」

「そりゃどうも」


「結婚の何が嫌なの?詳しく聞かせてよ」

来美は鷹野の食いつきぶりに変な人と訝しむ。

「結婚生活するにあたって、お互いの価値観をぶつかり合わせないといけない時もあるでしょ」

「そうだね」

「でも、恋愛関係なら生活は生活、恋愛は恋愛。恋心だけを共有できてさえすれば満たされるし、お互いの価値観がぶつかっても、相手の生活習慣の部分は私には関係ない。恋愛としての体裁さえあれば、それでいいじゃんってなる。距離感もちょうどいいのよ。私には」


 来美はビールを一口飲んで、カウンターに置く。口周りについた泡を指先で拭う。

「もっと親密になりたいってならないの?」

「それやるから別れるんじゃん。誰だって譲れないことはある。下手に踏み込み過ぎてもしょうがない。何もかも理解して親密になろうなんて、どこかの甘々シミュレーションゲームですかっての」

来美はしかめっ面のまま唐揚げにかぶりつく。

「言うねぇー!どこかのママかと思った」

「それ友達にも言われたわ。今の仕事できなくなったらそういう仕事に就こうかなぁ」

来美はしみじみと呟く

「ああ、向いてる向いてる。ビシッと言えるそのずけずけしい感じは間違いないね」

鷹野はニヤけてそう皮肉った後、明太子の味を残した口にビールを注ぐ。


「ムカつくわー。絶対学生から嫌われてるでしょ?」

「そんなことはない。俺の講義はいつも満席。スタンディングオベーション、拍手喝采、講義の後には学生達から質問の嵐。一度招待しようか?」

「職権乱用じゃないですか。もしかして、歴代の彼女にもそういうことしてるんですか?」

来美は不快感を示した視線を鷹野に向ける。

「まさか、してるわけないだろ。……いや、学生の子は俺の講義受けてたな。まあ、彼女が自分で講義を取ったから、完全白だけどね」

「どうだか」

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