終章 八月の妖精

 一台の軽自動車が、向日葵畑の中を駆け抜けていく。

「ハハハ…ここは相変わらず変わらないなぁ。」

運転手の青年はそう呟いた。

後部座席に座る、赤子を抱いた女性はそれを聞いて微笑んだ。


 夏野という表札の家でインターホンが鳴り響いた。

「ああ葉月くん、いらっしゃい。どうぞ上がって…あなたたちもね。」

玄関先から初老の女性が顔を出し、来客を招き入れた。


「そうだ、子供が産まれたんですよ…女の子で。」

葉月はそれを報告する事も含めて、夏野家に訪れたのだった。

「良かったじゃない。お名前は…日向、じゃないでしょうね?」

「ハハハ、違いますよ。千夏ちなつにしました。」

夏野さんにからかわれ笑いながら、娘の名前を伝えた。

「葉月くんが考えたんですよ。“あの夏が千回でも続けば良いのに”って意味で。」

「うわぁ、それは未練ありすぎじゃない。流石に日向でも引くわよ?」

葉月の嫁も一緒になって笑う。

「あっと…じゃあ僕は墓にでも行ってきますよ。」

これ以上居ても恥ずかしいだけ…逃げるように墓へ向かった。

彼の手には一輪の向日葵が握られていた。


 夏野家から歩いて10分くらいのところに墓場はある。

「日向、久しぶりだね。また咲いたんだよ。」

八年ぶりに、再び咲いた向日葵を手向ける。

「そうそう、子供が産まれたんだよ…って、もう知ってるかな。」

世間話をしようにも、なかなか言葉が続かない。

もしかしたら再会出来るかも…そんな生半可な希望が逆に辛くなってくる。

軽く涙ぐみながら、手を合わせて目を閉じる。


 「葉月!」

後ろから懐かしい声が聞こえた気がして、振り向いた。

そこには白いワンピース姿の、二十代くらいの女性が立っていた。

「相変わらず、だね。」

女性はそう言って僕の頭をなでると、振り返って歩みだした。

だんだん遠ざかっていくその姿は、涙でぼやけて良く見えない。

涙を拭って再び目を向けたが…そこには何もなかった。


「暑いな…そろそろ戻るか。」

手向けた向日葵を見ると、それはもう枯れてしまっていた。

必ず幸せになる…僕はそう心に強く誓い、向日葵は残して元来た道を戻っていった。


8,036文字 終 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

八月の妖精 SaLa @Brad3120

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ