第3話 暴走する列車の中で②

 車両に入った瞬間、皆の視線が一斉にソルトに集まった。


「おい、さっきの放送はどういうことなんだ」


「この列車は安全じゃなかったのか」


 この状況で扉の行き来が出来るのは、【紅の空】の隊員だけだ。冷静でないのであろう、でもなければ十八歳、そこらの少年を隊員だなんて思いもしないだろう。口々に事態の説明を求めてくる。 当然、ソルトがそんなことを知るわけがない。


「皆さん、落ち着いてください。今問題解決に総力を上げて当たっております。席について」


「そんな呑気な事言ってられるのか」


「落ち着いてなんていられるわけないじゃない」


「あんたみたいなのに何とか出来るの」


「後部車両の様子を見てきます。ですので、ここで待っていてください。大丈夫です。僕はこう見えても能力者ですので、イクシ隊長もそれを評価して任せてくださいました」


 隊長、そうイクシは第七部隊の隊長だ。仮にも【紅の空】を語るわけにはいかない。語った日には能力者管理法違反に加えて、更なる偽証罪まで背負ってしまう。ここはイクシの肩書を利用した方がいいかもしれない。


「隊長……?」


 その一言で静かになった。


「隊長が、隊長格がこの列車に乗ってるの」


「なら、安心ね」


「隊長が格が乗っているなんて、一度見ておけば良かった」


 車内が沸き立つ。これはソルトにとって若干予定外だった。家の者達は隊長格に護衛をさせても当然のように振る舞っていたので特別な事とは思わなかったが、そうではないらしい。


(……能力者だって名乗るより効果的とは、肩書って怖いですね)


 それとも能力者であるということは然程気にする事ではないのだろうかと一瞬頭を過ぎった。

 浮かぶのは実の親を名乗る男の冷たい視線だ。

 能力者は然程珍しい存在ではない。三十人も人がいれば一人二人は混ざっている。ソルトの家にいる使用人には能力者は雇用していなかったが、出入りするものの中には能力者である事を示す国家支給の首輪をつけているものもいない訳じゃなかった。

 首輪を見るたびにソルトの父親は暴言を吐いた。



(通してくれるなら、どちらでも同じか)


 沸き立つ人々を押しのけ、次の車両に入る。一般車両が続くだけに人に囲まれる。次はもう自分が能力者だと言うことは語らなかった。隊長に任されたと言えばすんなり通してくれるので敢えてリスクを取る必要が無かったからだ。

 そしていよいよ最終車両の扉にカードキーを通す。

 また、人の気配が一つ減っている。奇形種のエネルギーは一段と増していた。

 ソルトはにやりと笑う。こちらに来た決断は間違っていなかった。相手はやはり『イクシを待っていた』のだ。でもなければ、失われた命がそれだけで済んでいる筈がない。

 とはいえ、息を飲む。

 覚悟は必要だ。中の現状を受け止める覚悟。銃を固く握りしめて扉を開く。


(――大丈夫、慣れている)


 人の死にも、惨劇にも。

 確かに乗客は生きてはいた。


「ほう……随分と若い男が来たな。他にも隊員がいるとは聞いていなかったがな」


 黒いマントに黒い服。長い牙を覗かせて、長身の男がそこに立っている。

 足元にはバラバラに引きちぎられた死体が散らばっていた。

  四方から物理的な力でひっぱられたかのように、青白い腕や足の繊維が引き切れ床に散らばっている。血は殆ど出ていない。

 異様な視線がソルトに注がれる。

 何が異様なのか、それは車内にいる人間全てがソルトを見つめたまま顔色一つ変えずに見つめている。というところだろうか。誰ひとりとして床に散らばる手足に目を向けていない。瞳の向きは一方向、ソルトにだけ向けられているのだ。乗客の中には千切れた手足を抱えたものもいた。だがその者達もまた視線を固定したまま表情一つ変えない。


「……悪趣味ですね」


 声ながらもソルトは男の口元から上に視線を持ち上げはしなかった。


「中々に冷静だな。私が何なのか分かっているのか」


「吸血鬼、ですよね。そんなにもあからさまな格好をしている者がいるとはありませんでしたが。ハロウィンの仮装にでも行かれるところだったんですか」


「少しは同様したらどうだ、三文小説でもあるまいし。もしこれが小説なら、読者は感情移入できずに置いていかれるところだぞ」


「なら、その発言は少しメタすぎやしませんか。僕が読者なら現実に引き戻されて良い気はしませんね。小説がお好きなんでしょうか」


 持ってきた銃を構える。標的は見ない。見れて口元だけ。


「……どうやら、私のようなものに会うのは初めてではないようだな。なのに何故、そんなものを構えるのか」


「舐めると痛い目をみますよ」


 胸に標準をあてて、引き金を引く。吸血鬼は微動だにせず、そのまま胸に弾丸を受けた。黒い服と白い肌に穴が穿たれる。

 吸血鬼は不敵に笑った。


「で、どうするつもりなんだ」


 胸に穴が空いたのは一瞬だけだった。周囲の細胞が黒く変色し、蠢き傷を覆っていく。すぐに肌は元通りになった。


「さあ、どうするつもりでしょう」


 標準をそのままに立て続けにソルトは引き金に手をかけようとして、それは阻まれた。ソルトを取り囲んでいた乗客たちが一斉に動きだし、ソルトを押さえつけたのだ。地面に引き倒される。鉄の冷たく硬い感触が服越しに伝わってくる。抵抗を試みたが押さえつけられた手足はびくともしない。そのまま押しつぶされてしまいそうだ。人間の力ではない。

 自分の手足を押さえつけている人々の指が不自然に変形していた。指先が潰れて血が出ている。


「……催眠ですか」


「ああ、だから目を見なかったんだろう」


「……痛みも感じていないんですか」


「試しに銃で撃ってみるか、手を持ち上げることすら出来ないだろうがな」


 挑発に応じて腕を持ち上げようとするが、先程と同じ結果。微動だに動かない。それどころか、本来なら痛みで身体にかかるブレーキが効いていない力で押さえつけられているのだ。徐々に手先が痺れてくる。

 頬を汗が伝った。心臓が大きく波打つ。身体の芯から震えが来た。


「解せんな。【紅の空】隊員にしては考えがなさすぎる。先程の落ち着きはどうした。それとも、それも演技か」


 口を開こうとしたが押さえつけられる腕の圧迫感に負け、声が出ない。視線が痛い程にささる。冷ややかな、感情の籠もらない視線が心を挫く。顔を上げて吸血鬼を見ることすら出来ない。


「楽しめるかと思ったのにこれでは……期待外れもいいところだ。だが、カードキーは本物か」


 ポケットからカードキーがこぼれ落ちているのを見た吸血鬼がゆっくりと近づいてくる、一歩、もう一歩。


「次に引き裂くのは貴様にするか」


 その一言を聞いて、ソルトの口元は綻んだ。

 吸血鬼の手がソルトの首にかかる、ゆっくりと顔を上に向けさせられた。


「床に転がっている連中と同じ目にあいたいか?

会いたくなければ助けを呼べ。通信機くらいは持っているだろう。歯が立ちませんでしたと仲間を呼べ」


 赤い瞳がソルトの瞳を射抜く。内側に深く深く侵入してくるように。頭がぼんやりとしてくる。体内を流れるエネルギーの流れが大きく引っ張られる。吸血鬼と同じ流れに変えられていくのが分かる。


「さあ、呼べ」


 吸血鬼がゆっくりと手を離した。ソルトの身体から人々の手が離れた。体中が怠くて思い。思考が追いつかない。ソルトはゆっくりとポケットに手を入れ、携帯を掴んだまま固まった。呼吸が荒くなる。


「ほう、まだ抵抗出来るとはな。仮にもここを任されただけの事はある」


「残された思考力も奪ってやろう」


 強引に身体を引き上げられ、首筋に痛みが走った。

 耳の奥で、スープをすすり上げるような音がする。血が啜り上げられているのが分かった。

 ソルトはポケットから携帯を取り出し、頭の高さまで持ち上げた。そして携帯を手から離した。


「知っていますか」


 緑の瞳を細め、唇を歪めてソルトは笑う。


「生物ってのは、食事をしている……時が、一番、隙だらけなんですよ」


 血を啜っていた吸血鬼の目が大きく揺れる。そのまま痙攣して倒れ込んだ。同時に乗客達が一斉に倒れる。

 ソルトもまた、軽い貧血を落としてぐらつく頭と身体を壁に預けた。

 目を逸らせば目を合わせようとしてくるのは分かっていた。吸血鬼は目を合わせることで催眠をかける。催眠をかけられると体内エネルギーというものは変化する。気を沈静化させて、思考力が働かない状態にして命令を聞かせやすくするのだ。だからソルトは自分の気の流れを操作して一時的に催眠にかかりにくい体質へと変えたのだ。

 勿論抗う事はいつでも出来たし、その気になれば乗客の催眠を解くことも出来た。が、銃弾も通じない相手にどうやって生身で立ち向かうのかという課題がある。


 だから敢えて、誘ったのだ。


 吸血鬼が自分の肌に直に触ってくるように。


 吸血鬼が目をあわせた相手を催眠状態に出来るように、ソルトもまた触れた相手の体内エネルギーを操作できる。しかも催眠による干渉で相手の大体のエネルギーの流れに検討はついていたので、後は簡単だった。全く違う流れを体内に吹き込むのだ。それだけで、身体には拒絶反応が起こる。


 自分の血に籠もるエネルギーを吸血鬼のエネルギーと反作用起こす流れに変え、加えて頭部から流したエネルギーで大きく相手のエネルギーをかき乱した。当分は起きて来れない。が、いずれは目を覚ます。

 イクシは扉を素手で壊していたが、それが異常だというのは人間の認識で有り、奇形種には当てはまらない。吸血鬼は奇形種の中でも上位と呼ばれるほどの実力を持つ生物だ。その辺の物で縛ったぐらいでは拘束も出来ないだろうし、列車から叩き出しても『追いついて来れる』だろう。逃がすと報復が怖い。

 イクシに引き渡すのが一番だと判断し、ソルトは吸血鬼に歩み寄った。


「……ごめんね、少しの間、零にさせて貰うよ」


 吸血鬼の首元へと手を伸ばす。

 が、ソルトはそこで手を止めた。


「あれ、そういえば何でこの列車」


 窓に目を向けた瞬間だった。人が立ち並ぶ駅を通り越したのは――。


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