第2話 暴走する列車の中で①
目が覚めたのは、後幾つか山を越えれば街に着くという頃だった。窓の外に何かの気配を感じた。胸にざわざわとした波が立つ。イメージ で示すなら赤。ぽつんと落ちた絵具が広がって行くようにソルトの胸中を赤い色が締めていく。言い知れぬ 焦燥感に駆られた。
窓に張り付くようにして外を眺める。窓を開けなかったのは気配が直ぐ傍にあると気がついたからだ。
鞄に手を伸ばしながら、ハッと気がつく。人間とは比べ物にならない大きな波、波長が単調で人間とは異なる。これは奇形種によく見られる波長だ。しかし、 人間と違って奇形種には感情の幅が余りない。そのため奇形種の気配は乱れにくく揺れたりぶれたりすることは余りないのだが、奇形種にしては珍しく大きくぶ れていた。
伸ばした手を引っ込める。同時に漏れ出るのは溜息だ。
この気配には覚えがあった。
窓を開けると、風が車内から勢いよく吹き出す。体が外に引っ張られそうになる。窓枠をがっちり掴んで、後方に向けて叫んだ。
「フォルスさん」
赤い霧が窓についてくるかのように広がっていた。中心からはらりはらりと赤い羽根が抜け落ち、それが霧散して霧となっていく。
耳を澄ますが、特に警報機がなっている気配はない。列車の車内には探知機がついていて、一定距離内にDN細胞と呼ばれる特殊な生物がいるとセンサーが作動するようになっている。
そう、この霧を纏う生物はそのDN細胞を有している。ということをソルトはよく知っていた。
窓を開けると霧の中心にいた生物が、羽ばたきとともに車内に転がり込んで来る。
赤く透き通る程に薄い羽根が美しい鳥。万人が美しいと感じると言いきってしまっていいのではないかとソルトは思う。それほどまでに、有り得ない程羽は美 しかったのだ。羽は集合になっても滑らかな曲線を崩さなかった。
窓を閉め、霧が霧散するのを確認すると再度警報機がなっていないのを確認し、嘆息すると派手な鳥と向きあった。
「何のつもりですか」
『心配だったんだ』
悪気のない言葉だという言葉だということは、ひしひしと伝わって来る気配から読みとれた。
呆れたようにソルトは肩を竦める。
「心配してくれるのは嬉しいのですが」
もしこの光景を見ている人間がいたら随分と驚いただろう。鳥が言葉を喋り、少年が当たり前のように答えているのだ。
DN細胞を有する生物は一括りに奇形種と呼ばれている。動物の形をしているものもいれば、人間の姿をしているものもいる。多くは神話や怪談に出てくるような天使や悪魔、怪物の姿をしているものが多い。奇形種は人間にとっては敵だ。強力な力を持つ彼らはどこにいっても危険視される。実際に奇形種の被害で命を失う人間は、数万人にも及ぶ。その為数々の傭 兵組織が奇形種の討伐に躍起になっているのだ。見つかればただでは済まない。
「僕は大学の寮に入って、一人暮らしを始めるだけです。心配されるようなことをする覚えはありませんが、貴方は僕に何が起こると心配しているのですか?」
にこやかに丁寧に説明して答えるが、目は笑っていない。赤い鳥型奇形種――フォルスは申し分けなさそうに頭を垂れた。
「心配して頂けるのは有難いことだと思っております」
語尾の口調を和らげ、眼を細めてそっと俯くフォルスの頭をなでると宥めるように言葉を続けた。
「ルノールの町には【紅の空】の第七部隊本部があるのですよ。【紅の空】は貴方型奇形種の持つ高い戦闘能力に対抗する為に作られた傭兵組織……。ただの人 間に見つかるのも十分大事ですが、【紅の空】の隊員に見つかれば下手をすれば貴方自身が大きなダメージを負うことにもなりかねません」
敢えて直接的な表現は避けて、諭すように言葉を選ぶ。
鳥は全く何も答えない。
「話の途中で寝ないでください」
ソルトは一息つくとフォルスの翼を摘みあげ、壁に投げつけた。ぶつかった鳥の体から羽と一緒に霧が漏れる。
『お前の説教……長いから』
長いという言葉に表情が思わず、笑顔になるソルト。図星をつかれて怒りがこみ上げるなんてことはなかったが、踏まえて欲しい言葉はあった。
「貴方譲りです」
『いや、俺はそんなに長くない』
ソルトは何度めかの溜息をついた。
「自分のことだと気付きにくいものですよ。他人という比較対象がいないと自分がどういう性格か把握することは出来ません。このことは」
再び始まるソルトの説教。
『…………』
「寝ないでください」
再度ソルトは壁にフォルスを投げつけた。
『今は寝てない』
「エネルギーを感知出来る僕を余り侮らないでくださいね。脳が睡眠時と同じ状態に入っていることぐらいは手に取るように分かります」
完全敗北を決し、フォルスは深く項垂れる。
「付いてくるのは構いませんが、くれぐれも――」
言いかけた瞬間、車体が大きく揺れた。フォルスが目を光らせる。アナウンスが車内に響き渡った。同時に響き渡る消防車のサイレンにも似たけたたましい警報音。
『ただいま、下級奇形種による攻撃を受けています。応戦体勢に入りますので、皆様慌てずにアナウンスに従ってください』
「下級奇形種……?」
アナウンス終了と同時に開けていた窓が自動でしまった。ガチャリとロックのかかる音がする。
窓の外を見ると、人間の約2倍の体長を持つ怪鳥が数羽、車体に向かって飛んで来ていた。車体に取り付けられたレーザー砲が作動し次々と撃ち落としてい く。
『ソルト』
フォルスが緊張した面持ちで警告を告げた。一人と一羽の視線は天井に向けられている。
「魔族……しかも上位ですね」
何かが車体の天井を歩き回っている気配を感じ取り、ソルトは箱から赤い半自動拳銃を取り出した。
『ちゃんと手入れはしているのか』
「簡単には」
『銃は定期的に手入れして置かないと暴発のおそれがある。だから私は剣を進め――』
口調が段々早くなり説教モードに入りかけるフォルスにソルトは言葉を返す。
「説教は後から聞きます。フォルスさんはここに。【紅の空】運用車両である以上、下手に動けば【紅の空】の隊員に遭遇しないとも限りません。見付かっても 鳥のフリをしていてください」
言っている間に、上位奇形種の気配は車内に入り込んだ。
天井を壊したのか、溶かしたのか……少なくとも空間を歪めた気配はなかったが侵入している。警報が けたたましい程に鳴り響いた。
廊下に勢いよく飛び出したソルトは巨大な壁にぶつかりそうになり、踏ん張って勢いを殺した。危うくぶつかるところだった。後ろの車両に気を取られ、気配 が読み切れていなかったようだ。
壁は壁では無く、人だった。長身の筋肉質の男がソルトと同じようにして足を踏ん張って勢いを止めていた。横幅も縦幅もある体が立ちはだかる壁のように見 えた。イクシだ。随分と列車では窮屈そうに見える。
銃を握るソルトを見て、対面したイクシの目が鋭くなる。
「エネルギーを感知出来る僕を余り侮らないでくださいね。脳が睡眠時と同じ状態に入っていることぐらいは手に取るように分かります」
完全敗北を決し、フォルスは深く項垂れる。
「付いてくるのは構いませんが、くれぐれも――」
言いかけた瞬間、車体が大きく揺れた。フォルスが目を光らせる。アナウンスが車内に響き渡った。同時に響き渡る消防車のサイレンにも似たけたたましい警報音。
『ただいま、下級奇形種による攻撃を受けています。応戦体勢に入りますので、皆様慌てずにアナウンスに従ってください』
「下級奇形種……?」
アナウンス終了と同時に開けていた窓が自動でしまった。ガチャリとロックのかかる音がする。
窓の外を見ると、人間の約2倍の体長を持つ怪鳥が数羽、車体に向かって飛んで来ていた。車体に取り付けられたレーザー砲が作動し次々と撃ち落としてい く。
『ソルト』
フォルスが緊張した面持ちで警告を告げた。一人と一羽の視線は天井に向けられている。
「魔族……しかも上位ですね」
何かが車体の天井を歩き回っている気配を感じ取り、ソルトは箱から赤い半自動拳銃を取り出した。
『ちゃんと手入れはしているのか』
「簡単には」
『銃は定期的に手入れして置かないと暴発のおそれがある。だから私は剣を進め――』
口調が段々早くなり説教モードに入りかけるフォルスにソルトは言葉を返す。
「説教は後から聞きます。フォルスさんはここに。【紅の空】運用車両である以上、下手に動けば【紅の空】の隊員に遭遇しないとも限りません。見付かっても 鳥のフリをしていてください」
言っている間に、上位奇形種の気配は車内に入り込んだ。
天井を壊したのか、溶かしたのか……少なくとも空間を歪めた気配はなかったが侵入している。警報が けたたましい程に鳴り響いた。
廊下に勢いよく飛び出したソルトは巨大な壁にぶつかりそうになり、踏ん張って勢いを殺した。危うくぶつかるところだった。後ろの車両に気を取られ、気配 が読み切れていなかったようだ。
壁は壁では無く、人だった。長身の筋肉質の男がソルトと同じようにして足を踏ん張って勢いを止めていた。横幅も縦幅もある体が立ちはだかる壁のように見 えた。イクシだ。随分と列車では窮屈そうに見える。
銃を握るソルトを見て、対面したイクシの目が鋭くなる。
何と言っていいものかと考えていると、がしゃんと音がした。さっきまで自分のいた部屋のランプが赤くなっている。これはロックがかかったらしい。他の部 屋にも次々と鍵がかかり車両の後ろと前の鉄の扉が固定され車両間の出入りが出来なくなる。
『車内に奇形種が入り込んだのを感知しました。シェルターモードに入ります』
各部屋と廊下を完全孤立させたようだ。
だが……上位奇形種が入り込んだ車両にいる人間は悲惨だ。閉じ込められては助からない。
しかも入り込んだのは一般車両。能力で探知しているお陰で状況がよく分かる。四十名の人間が一緒に閉じ込められていた。
「後ろの車両へ行くのに、銃は必要か? ……どこへ行く気だ」
疑念の眼差しを向けられ、追求を覚悟する。この状況下で一般人が銃を持って飛び出してくるなんて普通ではないだろう。まず、奇形種が中に入り込んだとい うのは今放送されたばかりだ。そして真っ先に後ろの車両に行こうと扉を確認した視線。それを辿られていたら、何らの関係性を見出されても不思議はない。
だが、追及はこなかった。
代わりにイクシはソルトの腕を掴む。
「来い」
閉まった扉は【紅の空】の隊員のみが開けられる。
イクシがカードを通すと簡単に扉は開いた。連結部も変形する特殊な壁に覆われているため外には出なくて 済む。その連結部でイクシは立ち止まった。ここなら声はどちらの車両にも届かない。
誰も通路にはいなかったのだからわざわざ移動する必要は無かったかもしれないが、イクシなりの気づかいだったのかもしれない。
「能力者か、車内には能力者も反応する仕掛けがあった筈なんだがな」
反応する仕掛け……恐らくは対能力者用の探知装置のことだ。 ソルトは一瞬ためらい、答える。答る事を拒否すれば、部屋には帰れない恐れがあった。
【紅の空】は奇形種対策組織だが、こういった鉄道の運用以外にも他にも色々な仕事を手を出していて、能力者の取締まりにおいては国からもそれなりの権限 を与えられている。
ソルトは能力者として登録を行ってはいない。非登録者には罰則がある。それも罰金などという生易しいものではない。
一度ペテグリュー家の護衛を受けた時 に能力者登録をしているものがいるかどうかはイクシも調べているはずだ。それでも間髪入れず能力者だという疑いを弾き出す辺り、それなりに修羅場を潜っているのだろう。
こういう異常事態で登録されてない能力者が明らかになるのは珍しく無いことでもある。
「協力しろ。そうすれば他言はしない。護衛の時からおかしいと思っていた。まるで他人の考えが読めるような……テレパス能力者なら貴重だ」
「テレパスではありません」
きっぱりソルトは言い切った。
「勝手に人を能力者扱いしないでください。外に奇形種が出たんです。中に入り込んでくる可能性はゼロじゃないと言い切れない。トイレに行くついでに銃を持 ち歩いていてもおかしくはないでしょう」
だが、認める訳にはいかない。認めるという事は能力を隠すという違法行為を認めるという事に繋がる。
「個室に備え付けてあるだろう? 通路のトイレを使う方が不自然じゃないのか?」
「…… 僕、初めてこの列車を利用したんですよ。知りませんよ、そんなこと。通路にトイレがあれば部屋に備え付けてあるなんて考えないでしょう?」
「富豪の息子だろう。個室付きの列車に乗ったことぐらい」
「ないです」
ずっと、講義の声を一定に保っていたソルトの声色を落として、凝視した目を逸らす。誤魔化す事にはなれている。
「あまりあの人は、僕の事が好きじゃないみたいですから」
沈んだ声で呟き、上目遣いにイクシを見つめる。家の事情なんです、分かりますよねという無言のメッセージ。
「え、いや……あの、悪かった」
緊急事態だというのも忘れてイクシはうろたえた。
こういう時に家庭事情というものは役に立つとソルトは思う。誰だって立ち入ったことに関わりたくは無い。大抵の人間はこれで追及を止める。
ソルトはその間も敵の気をさぐり続けた。奇形種が潜り込んだのは最後尾の車両だ。
だが、わざわざ何故最後尾の車両まで屋根を通って行ったのか。普通なら先頭の運転席を狙う。
(そうか、先頭には護衛が……)
重要な場所にはそれなりに強いものを護衛につける必要がある。例えばイクシのような。
そこまで、考えてようやく分かった。
急がなくてはいけない状態なのに、何故『イクシを』このまま行かせてはいけないような焦りを感じるのか。
上級レベルの奇形種が最後尾に入り込んだのならば、この列車内で一番力を持った【紅の空】の隊員、つまりイクシは当然ながら最後尾に向かうことになる。上位奇形種の相手が出来る人間なんてそうそういないからだ。
ソルトは前の車両の気配を探った。一人だけ前の車両に移動している人物がいる。人間の気配だ。イクシが前からいなくなったのでその為の補充隊員だろう か。
違う。
緊張しているのは確かだ、気が強張っている。だが、奇形種の強襲で緊張しているのでは無い気がした。
……それなりに気は大きい。イクシほどではないにしろ、結構腕のたつ『女』だ。やや、気に乱れは感じるが……確実な悪意がある。
「勘違いか。時間取られちまった」
能力者の疑惑が晴れたソルトを残して走りさろうとするイクシの服の裾を掴む。
「何だ坊主、悪かったって……」
「最後尾で四人死にました。この間に四人です。まだ三十六人生きています」
「――っ、坊主」
人名と自分の将来、天秤にかけるまでも無かった。
「おかしいと思いませんか。恐らく最後尾に入った奇形種は上位ランクの中でも最下級でしょう。それでも、四十人程度なら殺し終えるのに五分もかかりませ ん。それなのにまだ四人……まるで、邪魔しに来るのを待っているかのように」
「何故、最後尾に行ってもいないのに状況が分かる」
直後、イクシの胸に下げてある金時計からラジオのザーっという音によく似た音が鳴った。続いて人の音声が入る。
「『破壊者(デストロイヤー)』、何をしている?もう四人の人間が殺されているんだ。早く最後車両へ――」
イクシはゆっくりと視線をソルトに向けた。
「『破壊者』、聞いてるのか?」
「了解だ」
無線機だろうか。一言呟くとイクシは一時をさしていた金時計の針をずらし、金具を入れて固定した。時計から聞こえたザーッという音が完全に止まる。
「何で分かった」
「今、先頭車両に誰か向かっています。多分、よからぬ目的で。僕に分かるのはそれだけです」
イクシの顔色が変わる。一瞬、後ろの車両に目を向けたが直ぐに先頭車両を睨み、髪をかきむしった。判断に迷っているのだろう。ろくに知りもしない、さっきまで白を切っていたソルトが告げた言葉を信じていいものか。
真っ直ぐにイクシの目を見て訴えかける。言葉で信じてくれと畳み掛けたところで疑念が広がるだけだろう。それに下手な言葉は不信感を与えかねない。
「先頭だな」
言葉を信じた訳ではないだろう。最後尾の犠牲よりも先頭車両がやられて乗客全員が犠牲に晒される方が大事だ。もしもの事がある以上先頭に戻らざる得ない。
そう決断するで有ろうことは分かっていた。
「……おい、これ持っとけ」
不意にイクシがソルトに向かって何かを投げた。反射的に掴むとそれは一枚のカードだった。先程イクシが使用したカードキーだ。
「あの、これ」
「問題ない。んなもん無くても、前にはいける『女王蜂(クイーンビー)』には……後で誤っときゃ問題ないだろう。『天空の覇者』には後で始末書を出しとけば……減給ぐらいですむ……といいな」
戸惑うソルトに言い淀むとイクシは前の車両に行く扉に手をかけ、ぐっと横に扉を開いた。大した力を込めたようには見えなかった。が、壊れて外れたならまだしも、ドアは端を固定させたまま形を変えていく。まるで粘土のようだ。鉄で出来た扉があっという間に人一人通り抜けられる隙間を作る。
何と言う馬鹿力だ。これなら確かにカードは必要は無い。
無線機から聞こえた『破壊者』の単語を思い出す。隊長、副隊長には各自二つ名があると聞く。つまり、これがイクシの二つ名なのだろう。
「そうじゃなくて、これ、いいんですか、僕……貴方に嘘をつい」
「行け」
イクシは短く言葉を遮った。
「……何とか出来るんだよな。なら、任せる」
護衛対象だった、しかも嘘をついていた子供に何故そんな言葉をかけられるのか、ソルトには分からなかった。ただ、一つ分かったのはイクシに迷いが無いということだ。
ソルトが戸惑っている間に次の扉を壊し始めている。
ぎゅっとカードを握りしめ、ソルトは小さく頷いた。
「何とか、しますとも」
そして、後方の扉にカードを通し、次の車両、食堂車に入った。
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