第1話 再開の雨

 寂れた人気の無い駅。駆け込んできた少年は時刻表を見ると一息ついて空を見上げた。屋根に穴が空いている。屋根の隙間から空が見えた。

 冷たい雨がぽつりと少年の頬を濡らす。顎のラインをたどり、ぽたりと黒い雫が罅割れたコンクリートにしみを作った。広がる染みはあたかも頭上の空のよう。分厚い雲に幾重にも覆われ、間もなく訪 れる大粒の雨を思わせた。

 にこりと少年――ソルトは笑った。

 ソルト・ペテグリュー。大富豪ゴード・ペテグリューの一人息子である彼が何故廃墟に近い駅のホームに座り込んでいるのか……それを説明しようと思ったら 数日前まで遡ることになってしまう。


「坊主、お前も列車待ちか」


 声をかけられて少年は振り返った。見えるのは胴体だ。かなり大柄な男が立っている。首を持ち上げてようやく顔を見ることが出来る長身。大袈裟に言うなら腕の太さはソルトの胴回りに近かっ た。一度でも会ったことがあれば二度とは忘れないだろう。


「また、お会いしましたね」


「奇遇だな」


 男は眉を寄せ若干驚きの意を示したが、ソルトは眼を細めて笑うだけで直ぐに穴のあいたホームの屋根に目を戻した。


「雨だな」


「そうですね」

 ぎりぎり雨が降りこんで来ない位置ではあったが。気まぐれに飛び込んで来た雫に顔や肩を濡らさる。天井を見上げたままソルトは動かなかっ た。男はそれを不思議に思ったのだろう。


「何か見えるのか」


 ただ懐かしむような目で空を見上げているだけだったソルトの瞳が微かに揺れた。


「ええ」


 白い手を空へと伸ばす。


「何も」


「何も?」


「そう、何も」


 にっこりと顔を男の方に向け繰り返した。


「何も無いのに見ていて楽しいか」


 大きく息を吐きながら男はソルトの隣に腰掛ける。ソルトは相変わらず空を見上げ、男のことなど気にも止めていないようだった。


「イクシだ」


「僕はソルトです」


 会話は長くは続かなかったが、返答はあった。お互いそれで満足したのか何も喋らない。ソルトは相変わらずイクシが来る前と同じように天井を眺め、イクシ もまた空を見上げた。

 雨が降っている。空は相変わらず灰色のベールに包まれていた。


「ところでどこで会った?」


「覚えてないんですか」


 静かな口調は咎めるようなものではなかったが、若干イクシは慌てたように声を揺らした。


「い、いやそういうわけじゃないが」


 覚えていないと断言しているようなものだ。突然咳き込んだと思えば目を泳がせてやけにもたついた手つきで煙草を取り出す。

 少年は暗い表情を作って言った。


「以前僕は貴方に殺されかけまして……」


 呟かれた台詞にぎょっとした顔で振り向くイクシ。思わずソルトは吹き出した。


「冗談ですよ」


 そういって鞄から朱塗りの箱を取り出す。箱の表には金の紋章が施されていた。


「それは……大富豪ペテグリュー家の家紋。じゃあ坊主は」


「貴方が二年前に護衛をしてくださったペテグリュー家の一人息子です」


 イクシは思い返すように眼を細める。記憶に覚えがあったのだろう。口元が綻ぶ。


「あの坊主か。銃が得意だったよな」


 極めて好意的に男は返したが、ソルトの返事は単調だった。


「名前を聞いて気付かないなんて、相変わらずですね」


「悪い」


 髪の合間に覗いた瞳が細められる。深い森を思わせる緑の宝石。ソルトは何かを言いかけたのかけ、唇を一度閉じ合わせ、結局「気にしていませんから」と言っただけだった。

 ちらりとイクシは瞳を盗み見た。緑の髪と同じ色の瞳が妙に気になった。大陸でも珍しい色、ペテグリュー家の人間以外に見かけたことは無い。

 たった一人を除いて。

 イクシの脳裏に過ぎる幼い緑の髪の少年が浮かんだ。痛々しいほどの笑顔がイクシの記憶にはあった。二年前、いやずっと以前に一度見かけたきりの少年。何故ここで思い出したのかは分からなかった。

 雨の粒を弾き飛ばしながらホームに列車が入ってくる。ソルトはゆっくりと立ち上がった。


「貴方とはまたお会いする気がしますね」


「同じ列車だからな」


 顔を見合わせて笑いあう。列車は緩やかに速度を速めて廃村を後にした。



 ソルトは空を見上げる度に思う。

 この空は自分をどこに連れて行こうとしているのか、と。

 奇形種討伐組織【紅の空】の運営している鉄道。獣を遥かに凌ぐ奇形種からの襲撃に耐えられる対策を施した車両であるということは聞いてはいる。だが、聞 くと見るとでは 雲泥の差が有った。

 ホームに入ってきた時の物物しい外装、銃やレーダーらしきものが装備されていて壁も厚い。黒光りする車体は何者も寄せ付けない強固なイメージがあった。


 中に一歩踏み込めば鉄の壁。頼もしいことこの上なかったが、殺風景だった。部屋の入口にはカードリーダーがついており、事前に購入したカードを通すと個 室への扉が開いた。

 列車の個室は思ったよりも広い。そして、壁紙が張られており、ホテルと変わりなかった。と、いっても部屋が広いことは大して嬉しくもなかった。ソルトに はベッド、或いはは椅子が一つあれば十分だったからだ。

 ベッドに横になって鞄から分厚い本を取り出す。しかし、すぐに読むわけではない。

 暫くは仰向けになったまま窓の外を見ていた。

 まだ列車が動きだしていないので、窓から見える電線や駅のホームに変化はない。ふり続ける雨が、窓の外に見える世界をゆがめていた。

 取り出した本を読み出したのは列車が駅を出発してからだった。眼鏡を掛けて、本を開く。

 本を読んでいたが、何度か行を見失った。

 どれだけ自分の心が揺れているのか、それを自覚してしまいそうで必死になって字を追うが、理解には程遠い。分厚いといってもいつも読んでいる本に比べれ ば半分にも満たない本だ。それでも投げ出すのに一時間はかからなかった。

 そっと目を閉じると色んな音が聞こえて来る。レールを走る金属音、車体のきしむ音、自分自身の吐息。そして『見えてくる』『感じる』生命のエネルギー。

 比喩ではない。

 親にも身内にも人間にはけして話したことがない。ソルトの秘密。

 この世界には能力者と呼ばれる不思議な力を持った人間がいる。能力者は能力の報告が義務付けられ、監視の元、能力に応じた職種につくのが常となっているが、稀に能力者であることを周囲に知られていない者が存在する。

 ソルトもまたそんな、能力を知られていない者の一人だった。

 目を閉じなくても開いていても『見える』し『感じる』。

 それがソルトの能力。

 人や動物の生命が生きる際に常時発しているエネルギー。呼吸のように生命の維持には欠かせな いそれを感じ取ることが出来る。だから幼少期、かくれんぼで友達を見つけられないことは一度もなければ見つけられることもなかった。

 当然だ。今、友達がどのあたりでどんな感情で自分を探しているのか、どこに行くのかがエネルギーを読み取りさえすれば手に取るようにわかるのだから。お 陰で、目に頼ることが余り無かったため視力は然程良くは無い。目を閉じると、完全に視力を閉ざしてしまうのでより超感覚が研ぎ澄まされる。

 列車に乗っている人物の中で、一際大きな波を放つ男がいた。周りの人間の生命エネルギーを蝋燭に例えるなら、この男は太陽にも近い。

 それは、イクシに違いなかった。

 このぐらい大きなエネルギーを持っている人間は大抵、何を言われても動じることがない。人間性の一部を力と引き換えに欠如させているとでもいうのだろう か。

 何故、声をかけてしまったのか考える。

 それによって自分が平静を保て無くなっていることは明らかだった。では、後悔しているのかと聞かれてもソルトはイエス とは答えないだろう。

 誰のエネルギーよりも今一番乱れているのは自分のエネルギーだ。鼓動も穏やかならば、表情もこれといった変化はない。それでも、ソルトははっきりと自分 のエネルギーが乱れるのを感じていた。いや、一人……同じように落ちつかない女性が乗っているか。

 がたん、ごとん。

 疲れているのか、乗客の騒がしいエネルギーの妨害にあうことなくすんなりと夢の中に身を任せる事が出来た。

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