O山の殺人未遂

佐々城 鎌乃

O山の殺人未遂

     一


 新湊川が新湊川になる場所には、一本の橋が架かっている。さして長い訳でもなく、幅が広いわけでもないその橋は、菊水橋と名付けられた。海藤 傑(かいとう すぐる)自身はその由来について考えた事は1度もなかったが、隣を歩いている連れの男にふと問われて、はて、と頭を捻っていた。


「さあ、何でなんでしょう。楠木さんは知っとるんですか?」


 男の名は楠木 弥治郎(くすのき やじろう)。背は低く、それにもまして猫のように曲がった背筋のせいでより低く見える。本人はイカしていると思っているが、かえって不快な心象を与えている八二分けの髪型が、彼の目印である。黒縁の大きな角めがねを、いつもカッターシャツの胸ポケットに引っ掛けていて、口元に含んだ歪んだ笑みは、知的な性格とは裏腹に、詐欺師のような雰囲気を醸し出していた。時々眉間を右手の中指で小突く癖がある。


「別に。ちょいとばかし気になって。いやね、ここを下っていくと熊野橋いう橋があるやないですか」


「ええ」


「あっこは東山町なんです。んで、その二つ手前に洗心橋いう橋がありますやろ?」


「ええ」


「あっこも東山町なんですよ」


「それは知っとりますよ」


「やったら、何でここは菊水橋いうんでしょう」


「普通に考えたら、町の名前から取ったんやないですか?さっき通ったんは菊水町やったですし」


 すると、彼は気付いたようにあっと口を開いた。


「菊水町で思い出した。そう言えば2年ほど前に豪邸が火事で全焼しとりましたな。確か、ご夫妻は両名とも焼死したとか」


「そうでしたな。相当な豪邸やなあって新聞の写真見ながら思っとったのを覚えてます」


「新聞やと、使用人の青年と両夫妻のご息女は助かったようですが、この事、君はどない思います?」


「そりゃあアレでしょう。その使用人の青年とご息女がデキとったんですよ。それで、夫妻に反対されて家に火を放った。さしずめ、遺産やら保険金目当てでしょう」


 しかし、楠木は傑の見当を「それは無いでしょう」とあっさり却下した。


「火事は、大抵の場合保険がおりますが、後片付けでほとんど使ってしまって、最終的に残るんは僅かです。死亡保険も、周りの家への慰謝料やら何やらで結局使ってまいますよ。あの豪邸は通りがけに見た事がありますが、相当な広さでした。それが全焼した訳ですから、瓦礫の撤去やら何やらで、1の後ろにゼロが10個くらい付く額はかかりますやろな」


「そないにですか」


 傑は頭のなかで数えてみて、少し感嘆した。


「せやけど、豪邸持ちやったらそれなりに資産はあるんやないです?」


 と意地悪く聞いてみた傑だったが、


「あの家の資産はとうの昔に尽きてますよ」


 と、またもやあっさり斬り捨てられた。あまりにもことごとく却下されるので、傑は少し怒気を含みながら問うた。


「なぜ判るんですか」


「やって、あの広さの豪邸に使用人は青年一人だけですよ?あの大きさやったら五、六人くらいは居てもおかしない」


 言われてみれば、記事には使用人と夫妻の娘しか助からなかったと。そして、両夫妻の遺体が見つかったとしか書いてなかったのを傑は思い出した。


「流石は推理小説愛好家なだけありますねえ」


「いやあ、君の読書量と独自の見解は見事なもんがあるやないですか」


 楠木は傑をおだてると、ニヤニヤと笑いながらそそくさと歩いていって道脇にある、古びた一軒の古本屋へ入った。


 古本屋とは言ったが、これがまた一風変わった店で、主人がコーヒーに詳しく、棚が置いてある場所とは別にカフェスペースなるものを設けて、小金を稼いでいる。今のご時世、古本を売るだけでは暮らしていけないとみて始めたものらしいが、これがなかなか繁盛して、主人には願ったりかなったりなのであった。


 店に入り、いつもの場所に陣取ったところで、メニューにある『冷やし紅茶』を注文して、傑たちは粛々と話を始めた。今日この店に来た理由は、あることを議論するためである。


     二


 事の発端は先週末に遡る。大学を抜け出して、傑たちは何か事件やら謎やらは無いものかと、いつもの帰りに町の中を散歩していた。推理小説に対しての熱い議論をし、あの作品は駄作だ、とか、あの作品は傑作だ、などと話していた時に、ふと町内にある小さな神社の鳥居が新しいのに気付き、寄ってみることにした。荒田八幡神社というその神社は、平安時代末期に安徳天皇の別荘があったことで名が通っており、さぞや往来盛んなのかと思いきや、人っ子ひとり居ない寂しい社である。石の鳥居には大正5年という文字が彫られている。


「楠木くん。この鳥居、比較的最近建てられた新しいもんですね。察するに今年の4月頃でしょうか」


 傑は自慢気に言った。


 すると「何故判るんです?」と楠木。傑は舌で唇を舐めた。


「この辺の神社で一番古いんはこの神社です。そして、今年で建立1200年です。僕はこの辺には図書館に通うときによく通るんで、大体の事は判るんですが、ここの神社、実は4月に鳥居を燃やす祭りがあったんですよ。明治から使っとった鳥居を改める良い節目や言うて、町内会で決まったんです」


「それはそれは。よう知っとりましたなあ」


「まあ、普段から細かい事には気をつかうようにしとるんです。何か事件に出会ったとき、役に立つかも知れませんからね」


 と、傑はベラベラと自分の推論でもない話を話し終えたあと、暇なので楠木と共に小さな境内をあちらこちら見ながら時間を潰した。だが、帰り際、賽銭を投げて願掛けをした時の事である。二人は、一礼して振り返ろうとしたときにその動きをぴたりと止めた。


「気付きましたか」


「君も気付いてましたか」


 そして、二人は口を揃えた。


「変な臭いがしますね」


「ええ、この拝殿の中からのようです。ちと覗いてみますか」


 傑は沸き上がってくる妙な興奮を唇を噛みしめ、拳に力を込めて抑えた。楠木はおずおずと扉を開け行きかけたが、傑に確認するように振り返った。傑は唇を噛みしめたまま、こくりと頷いた。


 楠木は賽銭箱をぐるりと後ろへ回り、観音開きの扉に手をかけると、ひと呼吸置いて、戸を引いた。


 中は、昼間の外の明るさと対照的に、まるで深淵の底を覗き見るように暗闇であった。楠木は、ワイシャツの袖で鼻を覆って拝殿に一足踏み入れると、後ろを向いて傑に来るよう手招いた。


 傑もゆっくりと中に足を踏み入れた。


 ぎしりぎしりと床板が音をたたてる。入れば入るほど明かりは遠く感じられて、狭い部屋なのに心細く思う。


 ふと、足元を見て進んでいると、楠木が急に止まるものだから、傑は楠木にぶつかった。


 「どないしたんですか」と傑が問うと、楠木はじっくりと振り向いて「何か足に当たりました」と言うのである。傑は視線を楠木の足元にストンと落とした。暗くてよく見えないが、確かに何か杉の丸太ほどの太さの物が転がっている。楠木と傑はお互いの目を見合わせた。不思議とお互いが神妙な顔をしているのに気付いたが、そのまま傑が頷いて、二人は同時にしゃがみ込んだ。そして、ええいままよ、と、その得体の知れない物を突いてみたのだ。


 柔らかい。人肌のような柔らかな感触が指先から脳裏に伝わった。


「なんでしょうか」


「ちょい持ち出してみますか」


 傑は了承して、楠木と共に拝殿の外へその物体を持ち出した。


─────────────


 氷がカリンとグラスに響いた。


 楠木は音を立てて冷やし紅茶を啜る。


「あのときのあれって、どう見ても"猫"ですよね」


「ええ、間違いなく、ですね。腐敗具合からして3日くらいとちゃいます?」


楠木と傑が持ち出したのは猫の死骸であった。触った時に毛の感触を感じなかったのは、腹の毛が丁寧に剃られていたからだ。傑はてっきり死体の一部なのではないかと不謹慎にも心躍らせたが、猫であったことに落胆した反面、安堵した。


「お堂の中に猫が住み着くんはようありますけど、腹の毛ぇむしられるんは聞いたことないです」


傑は、最初は近所の素行不良な輩が憂さ晴らしにやったものだと


「宗教的な場所ですし、なんかの儀式やったりしませんか?」


「儀式?」

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O山の殺人未遂 佐々城 鎌乃 @20010207

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