伝言

伊藤マサユキ

伝言

 僕が小学生だった頃。

 僕の家族は母方の祖父母の家の近所に住んでいた。


 近所というのも、車で十分くらいの距離であったり、歩いて五分くらいの距離であったり、はたまた真隣であったりと様々だ。

 どういった事情でかは知らないが、大体二年間隔くらいで、祖父母の家の回りをうろちょろするような引っ越しをしていた。


 この話は、その祖父母の家の隣に僕の家族が住んでいた時の話である。


 初めに僕の家族構成を説明すると、父、母、兄、僕のいたって普通の四人家族だ。

 家族構成は普通だが皆揃って癖がある。話の本筋から逸れるのであまり触れないが、友人などを実家に呼ぶと「お前の家族、どうかしてる。いい意味で」というようなことを言われる程度のものだ。


 そんな感覚が少しズレた我々だが至って現実的な人間であり、家族仲は良好だ。


 だが、夜が煩い。

 父のイビキは地鳴りのようであるし、母の歯軋りは黒板に爪を立てる音より数倍不快な音がする。兄と僕は「いつか前歯が折れる」と心配している。

 そんな兄は今でこそないが、小さい頃──大体六歳から八歳くらいまで、夢遊病だった。僕は一度寝たら滅多に起きないので知らないが、小さい頃は無意識で起き上がって徘徊し、家の外に出ていこうとする兄を止めるのに必死だったと母は言う。


 残った僕は、イビキも歯軋りも徘徊もしなかったが、どうやら寝言が凄いらしい。

 よくある「むにゃむにゃ」という寝言ではなく、明らかに誰かと会話しているような寝言だ。且つ、たまに笑う。

 学生の時など、横の部屋で寝る母に「こんな遅くにいつまでも電話してるんじゃないわよ!」と何度も起こされたことがある。

 勿論、電話などしていない。とにかく、何の話をしているかが分かるくらいにハッキリとした寝言であるということだ。

 学生の時の合宿で友人から同様の指摘を受けたことが何度もあるので間違いない。


 とにかくそんな家族である。


 丁度、小学生四年生くらいの時だっただろうか。

 僕ら家族は、祖父母の家の真隣に住んでいた。


 これは長い間お隣さんだった祖父の友人が海外に移住するというので、売りに出さずに残した家を、借家として使わせてもらったためだ。詳しい経緯は分からないが、大体そんな感じで合っていると思う。

 ちなみに僕は物心がつくのが酷く遅く、その頃のことはほとんど覚えていない。当時のクラスメイトなど、指で数えられる程度しか挙げられない。


 そんな時、僕はお受験戦争の最前線にいた。

 兄が何を血迷ったか中学受験をすると言い、その流れに巻き込まれた格好だ。

 おぼこい当時の僕が、いつも兄の言いなりになって動くため、兄が面倒に思った宿題をよくやっており、成績が良かったの要因の一つだろう。


 僕は毎朝四時に起きて勉強をし、学校に行き、塾に行く、という日を過ごした。

 物心が付くのが遅かったのは、そんな現実から逃避したかったからじゃないかと文句も出ようものだが、今となってはいい思い出なので、まあいい。

 とにかく言いたいことは、僕がその時祖父母の隣の家で、そんな毎日を送っていたということだ。


***


 次に祖父のことを話そう。

 祖父母は大分高齢だった。僕の母が、祖母が四十の時の子であるから、当たり前と言えば当たり前だ。


 祖父はとても厳格だった。

 商社を勤めあげ、定年退職後の人生を優雅に暮らしていたが、持ち前の厳格さにより要らないことをする父や兄はいつも怒られていた。

 きっと頭が良かったのだろう。感情のままに怒るのではなく論理立てて叱るため、叱られた方のダメージは大きかったという。

 余談だが、祖父が怒ったことのランキング一位は、父と兄共に、裏庭の竹を無断で切ったことだ。何故断りを入れずに竹を切るのかは、幼い僕には分からなかったが。


 そんな祖父に一番可愛がられていたのは僕だ。

 自慢ではないが、小さい頃の僕は可愛かった。とても可愛かった。当時の写真を見て自分でも可愛いと思う。何故そんな目つきが悪くなったのか、とも毎度言われる。


 それに物心の付いていない──所謂アホの子だったので、その可愛さに拍車がかかったことだろう。更に言うことは聞くし勉強はできるし習い事はちゃんとやる、と素行は極めて良好だったため、尚更だ。


 これはもう少し小さい頃のことだが、僕はいつも酒を飲む祖父の膝の上に乗り、自他共に認める美食家であった祖父の酒の肴をぱくぱくと食べていたらしい。

 まさにアホの子冥利に尽きる、である。


 また余談だが僕の兄は割といつも、そんな可愛かった僕の頭を堅いものでぶっていた。ソフビ人形の足の部分とかプラスチックのブロックの角の部分とかだ。

 恐らく自覚なく可愛いこぶる僕に苛立ったからだろうが、酷い男である。


 そんな僕が幼い頃、祖父が突然亡くなった。


***


 怪我をしてか入院した祖父だったが、すぐに退院するような話だった。

 学校から帰宅した僕に、母が「おじいちゃんが帰ってきたよ」と言い、「すぐ帰ってこれて良かったね!」というような返答をしたと記憶している。

 帰ってきた、という意味を捉え違えたのだが、要するにそんな形で訃報が伝わったのだ。その時の母の顔がどんなだったかは覚えていない。


 祖父の葬式はよく覚えている。

 棺の中の物言わぬ祖父。触れずともその体が冷えきっていることがよく分かった。

 母も父も、祖母も静かに泣いていたが、不思議と涙は出なかった。現実感がなかったからだろう。人は、こういう風に死んでいくのだと、それだけがよく分かった。


 葬式もつつがなく終わり、現実に戻った我が家では家族会議が行われた。

 祖父が亡くなったことにより、広い家で一人になってしまう祖母のため、誰かが祖母の部屋で一緒に寝てあげよう、というのが議題だ。


 どういった流れで決まったのかは覚えていないが、白羽の矢は僕に立った。


 その時の気持ちはよく覚えているが、僕は本当に嫌だった。

 祖母と仲が悪いという話ではない。


 その時の僕は毎朝四時起きの勉強をしていたため、祖母の部屋で寝泊まりし、朝四時に起きて隣にある僕の家族の家に戻って来い、と言われたからだ。

 自慢ではないが、僕は幽霊や化け物の類い、それを彷彿させる暗闇などの環境が尋常でなく苦手だ。バス停から家までの歩いて三分程度の暗闇も一人では歩けなかったほどであり、ホラー番組などは即座にテレビを消す。ちなみに、霊感は全くない。

 大人になった今でこそ、腹筋に力を入れれば恐怖に耐えれるという力を付けたが、子供の頃の僕にそんなものはなかった。


 反抗などほとんどしない僕だったが、母に『お前がこっちに来いや』と思ったこともよく覚えている。


 そんな訳で嫌がった僕だったが、基本的に最も地位の低い僕が、決定事項の通り祖母の部屋で毎晩寝ることになった。


***


 祖父の通夜が終わったその日から、僕は祖母の部屋に通い始めた。


 夏とは言え、早朝のまだ暗い中を行き来することを除けば、僕に優しい祖母の横で一緒に寝ることは楽しかった。


 祖父が亡くなってから何度目の夜だっただろうか。

 ある夜、深夜の時間帯に僕は急に目を覚ました。


 その時見たことは今でもハッキリと覚えている。


 目が覚めた僕は部屋の中の灯りに気付き、体を起こした。

 何も変わった様子もない部屋の中だったが、「何で灯りがついてるのだろう」と思った。


 僕の横に寝る祖母、その足元の方──直接足を向けてはいないが、その奥の部屋の隅には仏壇が置いてあった。その横には棚がある。


 仏壇のある部屋の隅の壁が、ぼんやりとした橙色の灯りで照らし出されていたのである。丁度、白熱灯の色が少し濃くなったような灯りだ。


 妙な時間に起きてしまったためぼんやりとする頭で、「あんな所にライトがあったかな」と思ったが、そんなことよりも不自然なものがあることに気付いた。


 橙の灯りで照されるその壁に、大きく影が映っていたのだ。


 不思議と驚きはしなかったのは、その影の形が観音像の形をしていたからだ。頭の上に少し出っ張ったような布を被っているため、影の形でもすぐに分かる。

 仏壇の近くの棚には真っ白な観音像が置いてあったため、それが灯りに照らされて影になってるんだろう、と思った。


 しかし、光の当たっている角度と、像がある位置を見ると、どう考えてもその像の影が壁に映し出されるわけはないことに気付いた。


 この時初めて、僕は少し怖くなった。怖いと言うよりは、驚きに近いだろうか。


 怖くなったとは言え、別にその影が動くわけでもなければ、喋るわけでもない。

 ただただ、そこにある影を僕はずっと見ていた。


 鈍いわけではない僕は「これはまさか、おじいちゃんか」と少しワクワクするような気持ちにもなり、横に寝る祖母に声をかけた。

 不思議と顔は祖母の方を向かず、視線はその影に釘付けとなったままだ。


「ねえねえ、おばちゃん。ねえってば」


 そんなような声をかけ、祖母を起こそうとするが一向に起きない。

 暫く声をかけたが祖母の反応が全くないため、動かぬ影を見続けても仕方がないと思い、再び布団を被って横になったのを覚えている。


***


 朝起きて、僕は祖母にすぐさま声をかけた。

 夜目が覚めたらこんなことがあったとか、何で起きてくれなかったのかとか、そんなようなことを言った。


 そこで僕と祖母の認識が違うことを知った。


 祖母の部屋に影が現れた夜、祖母は起きていたのだと言う。

 逆に寝ていたままだったのは僕の方だったらしい。


 その晩、祖母は誰かが話す声で目を覚ました。

 声の方に目を向けると、上半身を起こして一人でぶつぶつと話す僕を見た。


 目をつぶって寝たままのような僕だったが、明らかに誰かと話している様子の僕を見て、何度起こそうとしても一向に目を覚まさなかったのでそのままにした、ということだ。


 僕と祖母の話は完全に食い違っていたが、その晩の僕は確実に起きていた。

 いくら子供の頃とは言え、夢と、実際に目を覚ましたことの区別はつく。


 祖母はその晩、僕が何を話していたのかを教えてくれなかったし、父も母もいつもの寝言だろうと思い「おじいちゃんが来たのかもね」と言って笑っていた。


 僕が人生で経験した不思議な話というのは、これくらいのものだ。


 でも僕は、あれは祖父が祖母に何かを伝えたのではないかと、ずっと思っている。

 幼い僕がその夜のことを伝えた時の祖母の表情が、そんなことを言っていたようだったからだ。



 今年で、祖母の九回忌だ。

 母から実家に帰ってこいというメッセージと一緒にそれを伝えられ、この話をすぐに思い出した。


 祖母の命日の九月。

 仲の良い夫婦だった祖父が亡くなったのは八月。


 今年もまた、挨拶をしに行く。

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伝言 伊藤マサユキ @masayuki110

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