タブー

@umebosisuki

第1話

これは、30年程昔の話になる。私がまだ会社に入社して間もない新入社員だった頃の話だ。

 当時、私の会社には「新人潰し」という異名を持つ、坂本という社員がいた。

営業成績は常にトップ。気が強く、上司が相手だろうが容赦なく噛みつくタイプの人間だった。その為か社内には誰も彼に逆らうことができなかった。

部下に対する当たりも強かった。特に新人には厳しく、人格否定から始まり時には手が出ることもあった。何より辛いのは彼の指導には一欠片の愛情もないことだ。

 朝礼後すぐに、社員全員がいる前で1時間以上も説教を続ける。そして、なにか面倒な仕事が入ると全て新人に丸投げして自分は定時にさっさと帰ってしまうのだ。

彼の下についた新人は日々の業務と坂本から丸投げされた仕事に追われ、毎日残業を繰り返し、フラフラになりながら家に帰る。朝が来れば、坂本から鬼のように詰められ、精神を病んでいく。当然、長くは続かない。次々と会社を辞めていった。

 それで坂本についた異名が「新人潰し」というわけだ。運の悪いことに、私はその「新人潰し」の坂本の下に配属されてしまった。

 地獄のような日々だった。家に帰っても、毎日のストレスと明日の不安でろくに眠ることもできずに、ひたすら酒で紛らわしていた。

 そんな生活を3ヵ月ほど続け、ついに限界を迎えた。身も心もボロボロになり、私は会社を辞めることにした。

 だが、狭い業界だったので潰しが効かない。未経験の仕事を探すのには不安があった。そこでふと思い立った。去年、私と同様の苦しみを味わい会社を去った先輩は今どんな職についているのかと。聞いた噂によれば、去年の丁度今頃なんとか再就職先を見つけることができたらしいが、詳しくは知らない。

 その人の話が聞きたいと思った。なにか役立つ情報が手に入るかもしれないし、なにより社内では絶対に言えない坂本の悪口を二人で酒でも飲みながら語り合いたかった。

 そこで私はその人の同期にあたる人に話を聞きに行くことにした。確か部署は違うが1人だけいたはずだ。

 昼休みの時間を使い、声をかけた。しかし黙り込むばかりでなにも教えてくれない。私はどうしても諦めることができずに、毎日顔を出しては同じ質問を繰り返した。すがるような思いで。とうとう根負けしたのかやっと重い口を開いてくれた。

 「いいか、誰にも言うなよ。絶対だからな。」

 彼はしつこいくらいに念を押した。

 「分かってますよ。誰にも言いません。」

 「あいつはな、死んだよ。自殺したんだ。」

 「え?」私はその言葉の意味を理解することができずに、固まってしまった。

 「誰もあいつを…紺野を助けることができなかった」

 彼はそう言うと、なにかが吹っ切れたように語りだした。


 紺野というその社員は今の私より相当こっぴどく坂本にやられ込まれていたそうだ。怒鳴られるのはまだいいほうで、酷い時には土下座を強要され膨大な量の仕事を押し付けられていた。少しでもミスをしようものなら、物を投げつけられ人格を否定された。

 元々、彼は身体があまり強くなくいつもどこかビクビクしているような性格だったらしい。そんな彼を坂本は会ったその日から気に入らなかったそうだ。辞めさせることを前提で彼を追い詰めていった。

 そのうち紺野は無断欠勤を繰り返すようになった。最後に会社に来た時はまるで死人のような顔だったという。坂本に「待ってますから」と言い残し彼は会社から姿を消した。そして、3日後に自宅の部屋で首を吊っているところを発見された。

 家族にはなにも話していなかったのか、当時は大事にもならなかったらしい。会社の上層部もあまり公にしたくないのか、この事件はタブーとされた。


 私はこの話を聞いて絶望しか感じなかった。こんな会社はすぐにでも辞めてしまおうと決意した。もうなんでもいい。早く次の職を探さなければ。

 しかし、その頃から変化がおきた。坂本が体調を崩し始めたのだ。初めは腰の痛みを訴えるようになり、日がたつにつれ動くこともままならなくなった。

 会社にくるのも遅れがちになり、坂本の机の上には業者からの折り返しの連絡を要求するメモ書きが溜まるようになった。

 自分のことで手がいっぱいになったのか、私にはなにも言わなくなった。そして最終的にはベッドから起き上がることもできなくなり会社に来なくなった。

 坂本がいなくなった分、私の業務は増えたが精神的にはかなり楽になった。業務をこなしていく中で気が付けば仕事を辞めることなど考えなくなっていった。

 そんな時だった。坂本が死んだという知らせを聞いたのは。しかも噂によると自殺だったらしい。あまりの出来事に私は信じられない気持ちで一杯だった。あの坂本が自ら死を選ぶはずがない。一体、彼になにがあったのか。

 

 坂本が死んですぐに私は彼の机の片付けをさせられていた。机の上には溜まりに溜まった書類の山。坂本が抱えていた顧客は多かったから考えてみたら当然か、そんなことを思いながら段ボールに片っ端から書類を詰めていく。その中で一枚のメモ書きに目が留まった。


 「 ずっと待ってます。早く来てください。 

                コンノ  」


メモ書きには短くそう書かれていた。なにかが気になった。これはただの

偶然だろうか。私は無性に確かめたくなった。メモの裏には夜間の電話対応を担当している守衛の名が記されていた。私はすぐさま守衛に確認しに行った。

「佐藤さん。このメモのことなんですけど。」

「ああ、これね。夜の1時ぐらいかな。坂本さんいるかって言うんだ。夜中だよ?でもあの人、夜の現場も持ってたし一応説明したよ。体壊して今はずっと休んでるっていうことを」

「それで、なんと言ってましたか?」

 「「ずっと待ってます。早く来てください」って。名前を聞いたらコンノとだけ答えて切ってしまったよ」

 私はその言伝になにか恐ろしいものを感じた気がしたが、深くは聞かずにその場を後にした。

 

 それからこの会社は変わった。なにしろ2年連続で自殺者を出してしまったのだから、上もようやく重い腰を上げたのだろう。社員のメンタルチェックだとか残業時間の短縮だとか、随分と神経質になった。気が付けば30年の歳月が流れ、私は今人事部にいる。当時のことを知る者は少なくなったが今でもあの一連の事件はタブーとされている。

 

 

 

 

 

 




 
















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