夏のぬけ殼
乱桐生
第1話
「エミリー、まだなの? 」
ママの、苛立った声が私のお気に入りのブローチの選択を急かさせる。
「まらなの~?」
マシューまで、舌ったらずに私を呼びながら階段をバンバンと叩く。
「すぐ行く~、ちょっと待って!」
私は、襟首に白いレースの付いた、紺色のワンピースに合うブローチをどれにしようか迷っていた。
夏休みに、日本に旅行しようって決まったのが私の誕生日だったから、およそ1ヶ月前になるわね。
日本はパパの故郷。そう、パパは日本人でママはイングランド人。つまり私とマシューはハーフって事になるの。パパは、私とマシューに日本人のような名前は付けるつもりがなかったみたい。
ロンドンに住むなら、その方が親しみやすいからって。
マシューも4歳になって、飛行機の長旅も大丈夫だろうって事になって、初めての家族四人での海外旅行。行き先は、トーキョーでも、オオサカでもなく、小さな島のトクシマってところ。パパのママ、つまり私のおばあちゃんの住む場所に行くの。
「ちゃんと前の晩に準備しなさいって言ったでしょ?」ママが私の襟首を整え、髪をブラッシングしてくれる。
「うん、ごめん、でも見て!この紋白蝶のブローチ!」胸のブローチを皆に見せるように、摘まんで引っ張る。
「かわいいでしょ?」
「エミリー、それを選んだのは正解だな」
パパは焦ることなく、のんびりとした調子で新聞を眺めながら私に微笑む。
パパはほんとに優しくて、いつも綿菓子のように甘い温もりで包んでくれる。
私が思い悩む不安な道の先で、ちゃんとパパは待っていてくれるし、そして、いつだって選択する権利をつねにあたしに与えてくれるの。(洋服選びだって、このブローチにしたって、私が選んだのよ)
「さぁ、準備が出来たみたいだね、そろそろ行こうか?」パパがマシューを抱えて、玄関の外に向かう。
私にとって、2度目の日本。でも1度目が赤ちゃんの時だったから、全然覚えて無いの、だから気持ちとしては始めての日本になるわね。
憧れの日本、ほんとはトーキョーに寄りたかったんだけど。
おばあちゃんとは何度かテレビ電話で話したことがあるの、パパが通訳でね。
去年私が小学生になったお祝いにニンテンドー3Dsを送ってくれた時なんかは、すぐにテレビ電話でありったけの感謝の言葉を(いいえ、まだ足りないぐらい)ほとんど、涙ながらに伝えたわ。
ナリタエアーポートまでは、恐ろしく長い時間だった。
マシューには地獄のような時間だったでしょうね。更に信じられない事に、ハネダエアーポートまで移動して、トクシマ行きに乗り換えなきゃならないなんて!(あー神様、どうかマシューをパパの腕の中でぐっすり眠らせて下さい)
「これを私に?」
おばあちゃんの家は、かなり、そしてとても山の上のほうにあって、親戚の人達もいっぱい居て。案の定私たちは注目の的で、ジュースやら、お菓子やらを次々に持ってきてくれて(どれも、始めて見る物ばっかり!特にパイの小さなお菓子はお土産にもって帰りたいぐらい)
マシューは、栗色の髪をくしゃくしゃにされてて、ママはあくせくキッチンで働いて、私は愛想笑いを振り撒いて、チラッとパパを見ると、パパは私の顔を見て肩をすくめるだけで。
でも、これだけ多くの家族がいたんだって、少し戸惑いながらも、感激してしまった。
おばあちゃんの妹の娘の子供が二人居て、
ミズキって女の子がどうやら私より2つ年上らしく、その弟のユウタって子が私と同い年らしい。
「アリガトウ」
私は知ってる日本語で答えた。
それは紛れもないぬけ殻だった。
ユウタが手のひらにあるその茶色い、いや琥珀色の宝石を私にむけて、まるで恋人にそうするような、でも、ぶっきらぼうに私にシケイダ(日本ではセミって言うらしい)のぬけ殼を私に差し出した。
私は、それをひまわり柄のポーチにしまい込んだ。
素敵なプレゼントとは、思えなかったんだけど、一応レディとしての嗜みはあるつもりよ。
ユウタは、とってもシャイで、でもスゴくキュートなタレ目の男の子。
そのぬけ殼を私に渡すところを、ミズキがきょとんとした目で見ながら、
「ねぇ、川原に行かない?」って誘ってくれた。
だけど当然私は、その言葉が理解できず、通訳であるパパを探したわ。
でも、ミズキは、行くべき方向を私にしるして、何となく私も理解できたから、二人に着いて行く事にしたの。
マシューには内緒でね。
とっても綺麗な、そして小さな川にたどり着くと、ユウタは川原の石を見つけて、水面に向かって投げた。
ユウタの投げた石は、垂直にカーブを描き、水面を這うように、幾度も跳ねながら向こう岸までたどり着いた。
「ウワッオ!」
思わず、叫んでしまった。
そんな遊びは今まで経験したことなかったから、すぐにマネしたくなったの。
ユウタは、ニッコリ笑って、私に投げやすそうな石を拾って(何故か私の顔を見ようとせずに)渡してくれた。
しばらくそうして遊んだわ。
ユウタは、何も言わなかった、ただ形の良い石を持ってきては、ニッコリと微笑み、うつ向いたまま差し出した。
私は、「アリガトウ」だけを言えば良かった。
ユウタは、何度か手本を見せてくれたけど、私には、上手く投げる事が出来なかったわ。
ミズキもとても上手に投げてたけど、ユウタほどじゃなかったわね。
ユウタは時折、上手く投げる事が出来ると、とても大きな声で、それも甲高い声で喜びを表現してたわ。
私は、その度に身体がビクッ!って驚いてたけど。
以外と、陽気なところもあるのね。
帰りがけだった。
川原で綺麗な石を見つけるつもりで、少し注意不足だった私は、揺らぐ石に足を取られ、そのまま前のめりで、転んでしまった。
胸を強打して、手のひらも擦りむけて、私はミズキとユウタの前にもかかわらず、大声で泣いてしまった。
ユウタは、すぐに駆けつけて、私の泣き顔を見ないように、何でも無いかのような雰囲気で私の手を取って、「大丈夫だよ、」って。通じないはずの言葉が、何故か優しく包むような音色に変わり、魔法の言葉のように、私のお腹の奥底に、柔らかな寝床を構えてくれたの。
その時ミズキは、私じゃなく、ユウタの方を向いて、信じられないって顔をしてたわ。
喜びとも驚きともとれる顔で。
ユウタは、私の前を歩きながら、時々振り向いて、私を気遣ってくれて、ミズキは私の隣で、あれこれ指差してはその名前を教えてくれてた。
ほとんど聞き取れなかったけどね。
でも、そのお陰で、胸の痛みも手のひらの痛みも、忘れさせてくれたわ。
おばあちゃんの家が見えたら、また泣きたくなって、ママを見つけた時には、思わず駆け出してた。
私がママに説明してる間に、ミズキは、ミズキのママに何か話してて、そしたら何故か、ミズキのママは、私に、とっても心配するような、それでいて感謝しているような、泣きそうな顔で私の頬を両手で挟んで、「サンキュー!手は大丈夫?」って、私のおでこにキスするの、何故か私は、それがユウタに関する事だって分かったわ。
後で聞いたことなんだけど、ユウタは少し特別な男の子らしいの。
ナイーブで、とてもエキセントリックな雰囲気を持ってるらしい。
日本人だけじゃなく、この年頃の男の子は皆シャイで、エキセントリックなはずなんだけどね。
ロニー・スチュアートを除いては。
その夜は皆でテーブルを囲んで。食事をする事になって、何せ10人を超えてるから、皆賑やかで、パパもお酒を飲んで、陽気にダンスなんか踊って(この地方の有名な踊りらしい)。
子供は私とマシュー、ミズキとユウタ、後は、パパの弟のコウスケ叔父様のとっても小さなベビーが1人。
私たちは、食事も早々に済ませて、お庭で花火をはじめる準備に取り掛かった。
パパもコウスケ叔父様も、おばあちゃんまでもがお庭に出て来て、それぞれがカラフルな色の花火を楽しんだわ。
日本の花火はほんと素敵で、特に線香花火のキュートで繊細な儚い火玉の命は、神秘的で、じっと見つめてたい気分にさせられる。
花火が終わった後、私は昼間ユウタに貰った蝉のぬけ殼の事を思い出し、ポーチを探した。
「あーやっぱり」
そのぬけ殼は、ポーチの中で粉々になっていた、私が転んだからだろう。
ユウタにその事を知らせたら、そんな事は忘れてたのか、特に気にするふうでもなかったけど。
私は、ほんとにごめんねって、とっても悲しそうな目でユウタに反省しているところを理解して貰った。
「さぁ、エミリーもうそろそろお眠じゃないかい?」
パパが、日本式のお布団の上で胡座をかいて私を招いてくれる。
私は、もう少し遊んでいたかったけど、もう両目とも塞がる寸前まできてて。
パパの膝の上に乗ってしがみついたとたん、寝てしまったみたい。
次の日も、朝早くから川原に行く事になって、今回はマシューもパパも一緒に来たのね。
皆で川の中に足を浸けて、マシューなんかユウタと一緒にパンツまでびしょ濡れになって、二人ではしゃいでたわ。
川の水は冷たくて、風はそよとして私たちと緑の森をかけていく。
私は、大きく深呼吸して、パパに聞いた。
「パパは昔ここで遊んでたの?」
「あぁそうだよ、ここよりもっともっと上の川原で釣りもしてたんだ」
パパは懐かしむように、遠くの山を少年の目になってスケッチしていた。
その表情は、本来居るべき場所に安らぎを求めているかのように。
私は、少し寂しさを感じて、パパの手を握った。
ミズキとユウタは、いろんな生き物を見せてくれた、赤い小さな蟹やら、岩場を飛ぶ小さな魚、私もマシューも、どれもが珍しくて、すべてが新鮮だった。
この時間が永遠だったらいいのにって思ったわ。
それから、3日間は、あっという間だったわ。夜は皆で市街地に出て行って、トクシマの大きなお祭りを見て(ものすごく大きな音に合わせて、独特のダンスを大勢の人達が踊るの)興奮したわ。
ユウタは大きな音が嫌いらしく、耳を塞いで、目をつむってうつ向いてた。
だから私はユウタの側に行って、同じように耳を塞いでいたら、チラッと私の方を片目で見て、ーキャハハハって、笑い転げてた。
後、お庭でバーベキューもしたわね。
マシューは大興奮で、はじめて食べる貝や蛸(私は、蛸はご遠慮するわ)を口の周りをベタベタにしながら、美味しそうに食べてた。
食べ方については、ユウタもマシューと変わりなかったわね。
でも、ユウタは私の顔を見て同じように笑うのよ!
きっと私の顔もベタベタだったのね。
別れの朝、私たちは荷物をまとめて、朝食を取っていた。
ミズキは、私に手紙のやり取りを提案してきたわ。(とっても素敵な提案!)
ユウタは何も言ってこなかったけど。
「さぁ、そろそろ行くか?」
パパが、荷物を抱えて立ち上がる。
「オセワニナリマシタ」
ママが日本語で言うと。
「また、いつでもいらっしゃってね」
と、おばあちゃんがマシューの頭を撫でて、ママとハグをする。
ミズキが手を差し出したから、私はその手を引き寄せてハグをした。
少し泣きそうになったわ。
「必ず手紙送ってね」って、伝わるはずと思って、ゆっくりと英語で言った。
それから皆とハグをしたわ。
ユウタは、少し遠巻きに見ていたから、私が近付いて行くと、何故か後退りして、皆に笑われてた。
私は、こっそりと胸のブローチを外して、ユウタにそっと手渡した、
「だれにも内緒よ」って、ユウタなら大事にしてくれそうだったから、私の宝物をあげたくなったの。
コウスケ叔父様の車で、エアーポートに着くと、私たちはいよいよ、帰国するんだって実感してきた。
さようなら、ありがとう。
また、長いフライトにうんざりだった。
マシューは、疲れたのか、離陸早々に寝てしまったわ。
私は、帰り間際にユウタから貰った、蝉のぬけ殼をポーチから出して眺めた。
そのぬけ殼にユウタの意志が見えるかのように。
特別な子供だったユウタは、私にも特別な存在だった、はじめての身内の同級生。
ママの親戚には、小さな子供はいなかったから、ユウタはすごく身近に感じたの。
そもそも、私だって日本人の血が流れてる特別な子供なのかも知れない。
その事でからかわれた記憶もあるわ。
そんなのよくある話しよね。
だからきっとパパもそういった経験をしてきたでしょうね。
でも、何度も言うように、パパはほんとに優しくて、スマートな紳士なのよ、だから今ではご近所さんからも慕われるようになってるし、仕事場でだって、皆に尊敬されてるみたいよ。
私には、それまで日本人との接触がパパ位だったから、あまり詳しくはなかったの、もちろん悪いイメージなんて持ってなかったわ、だってパパを見れば一目瞭然だもの。
そして今回、日本に旅行してみて思ったの。
私は、とても恵まれてて、とても誇りに思える人達と家族になれて、そんな人達の血を受け継いで。
私は愛されてるって実感出来た。
私は、この先もこの事は忘れないって誓った、ユウタは私に蝉のぬけ殼を渡して、そこに新しい自分を羽ばたかせたんだと思う。
そして私もまた、普通の生活に戻る時、日本での経験が、新しい自分を羽ばたかせるだろうって思う。
そう、夏のぬけ殼を残して。
夏のぬけ殼 乱桐生 @tosajiro
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