私と彼の送り火

温媹マユ

私と彼の送り火

 私のお盆休みは今日、八月十六日まで。

 明日から通常通りの仕事が始まる。

 お盆らしい行事と言えばお墓参りに行ったぐらい。

 それ以外は学生時代に友人と買い物三昧だった。


 今日も高校時代の友人、知子に誘われ、京都市内に来ている。

 たいした目的はなく、河原町駅で下車した私たちは、河原町通のいくつかの店を見て回った。

 そして今、私たちはふかふかのパンケーキを目の前に、たわいもない話をしている。

「おっと、もう四時。ごめん、そろそろ次の約束があるから。今日はありがとね」

「ううん、こちらこそ。久しぶりに知子に会えてうれしかった」

 知子はこれから、最近付き合い始めた彼と待ち合わせをしているという。

「真理子はこれからどうするん?」

 この後の予定はまったく考えていなかった。

「特に決めてへんし、帰ると思うよ」

 知子は目を大きく見開き、私の顔を見つめた。

「えー、もったいない。せっかくやし五山の送り火でも見て帰れば?」

 ふと近くのポスターを見ると、そこには五山の送り火が紹介されている。

 すっかり忘れていた、というわけではなく、もともと興味のある行事ではなかったため、記憶になかっただけである。

「そっか、今日やったな。実は今まで一回も見たことないねん。」

「そうなん? それやったら見に行ってみたら? 賀茂川沿いの堤防とか。あそこなら大文字が見えると思うよ」

 知子もこの後、彼とともにどれかを見に行こうと思っているという。


 店の前で知子と別れた。

 この後どうしようかと迷いながら、とりあえず知子が河原町駅の方に向かったので、私は反対方向へ歩き始めた。


 信号で止まる。

 ふと前を見ると、どこかで見たような顔の人が立っている。

 短く切りそろえた髪の毛、筋肉質の少し大柄な体格に浴衣姿がよく似合っている。

 もしかして……

 顔を見つめる。

 目が合う。

 心臓が飛び跳ねるかのように、一気に鼓動が速くなる。

 目を離さない私に向かって彼はにっこりと微笑んだ。


 横断歩道を渡らずに立っている彼は、私を待っているようだった。 

 私が彼の横に立つと、「行こっか」と私の手を取り、歩き始めた。

 そのまま特に会話があったわけではなく、ただ彼について行った。


 

 高校三年の夏、私は彼に五山の送り火を見に行こうと誘われた。

 だが、彼はその数日前に風邪を引き、見に行くことはかなわなかった。

 地方へ進学、就職をした彼とは、高校を卒業して以来会うことはなかった。

 まっすぐ前を見て私の手を引く彼の顔は、知っている彼の顔とは少し違った。

 大人になった彼の顔は、幼さがりりしさに変わっている。

 私も変わっているはずで、さらに化粧も施している。

 よく気がついてくれたと思った。


 今どうして、ここに彼がいるのだろう。

 私の知っている彼は、もうここには住んでいない。

 家族も、数年前に遠くに引っ越してしまったと聞いていた。

 他人のそら似?

 兄弟?

 彼がもうここ来ないことを私は知っていたはずだ。

 

 いろいろなことを考えているうちに、気がつくと三条大橋近くのスターバックスに入っていた。

 ホットコーヒーを飲む彼の前で、私はフラペチーノをつついていた。

「あ、あの、高橋くん……よね?」

 私は緊張しながらも、一番疑問に思っている本人確認をしようとした。

「高校卒業以来やから、わからへんのも無理ないか。真理子ちゃんもすっかり大人になって」

 彼はニコニコしながら、コーヒーに口を付けた。

 いくらエアコンの効いている店内といえ、京都市内の夏は暑い。

「でも、びっくりした。こんなところで出会うなんて。今日はどうしたん?」

「今日ここに来たら、真理子ちゃんに会えるかなと思って、なんて」

 ドキッとした。

 高校の時の彼からは絶対にこのような言葉は聞けなかっただろう。

 堅物でどちらかというと無口であったはずだ。

「そ、そんなこと言われても……」

 あまり男慣れしていない私にとって、オドオドとしてしまうには十分だった。


 しばらく私たちは昔話をした。

 高校の時の話、大学での話、就職してからの話。

 どれも風の便りで聞いた話と、大きく違わなかった。

 私は今まで無意識に彼の情報を収集していたのだと思った。

「この後よかったら、五山の送り火、見に行かへん? 大文字やったらもう少し歩けば見えると思うよ。実は俺も初めてなんや」


 私たちは店を出て、賀茂川沿いを北に向かって歩いた。 

 小柄な私に合わせてゆっくりと彼は歩いてくれた。

 そして、薄暗くなった頃、私たちは賀茂川沿いに空間を見つけ、そこに座った。

 あまり風はなく、じっとしているとうっすらと汗が浮かぶ。

 それでも日が暮れると幾分涼しくなった。


 午後八時、大文字が点火された。

 真っ暗な夜空に浮かぶ『大』の字はとても壮大で、初めて見る私はとても感動した。

「真理子ちゃん、今日ここで一緒に見れて本当にうれしい。ありがと」

 彼は私の方を向いて、微笑んだ。

「ううん、うちも。今日まで大分時間がかかったね」

 私も彼に向かって微笑み返した。

「やっと約束が果たせて、もうこれで思い残すことはないよ」

 そして彼はその場に立ち上がった。

「そろそろ行くね」

 見上げる私に彼は、小さく手を振った。

 そしてゆっくりと人混みの中に消えていった。

 私はそのまま大文字を見つめた。


 どのぐらい時間がたったのだろう。

 気がつくと、すでに火は消えていた。

 その場に立ち上がり、服に対が砂埃を払う。

 そして、私は来た道を戻るべく、歩き始める。

 また来年ここに来るのも悪くないなと、もう一度東山如意ヶ嶽を見上げた。

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