猫から学ぶ 人生の終わり方
@natsusora0611
第1話
「うひゃぁ。」
僕を見るなり、情けない声を上げるこの男は、僕の付き人である。
その上、たった1匹の猫に驚き、腰を抜かすとは…呆れたやつだ。
そう、僕は猫だ。先程こいつを〝付き人〟と呼んだが、本来なら飼い主と言うべきだろう。しかし、僕は飼われるという表現が嫌いだ。自分が猫であることも、昨夜知ったばかりである。店のショーウィンドウに映った僕の姿は、ちっぽけな猫だったのだ。そして、こいつとの出会いは今から10時間ほど前のことである。
冬の寒い夜。
「はぁぁ…。」
横を、なんともひ弱な男が、ため息をつきながら通り過ぎる。
その、ふらふらとした足つきに妙な感じを覚え、気が付いたら男について歩き始めていた。
初めての仕事かもしれないのだ。ここは慎重にいこう。昨夜の僕は、この男の後をつけていたんだ。
猫が仕事をするのはおかしいって?ああ、紹介をしてなかったようだな。僕は猫だ。しかしただの猫ではない。人間の為に働く猫なのだ…まあ、そのうちこの言葉の意味もわかるだろう。
よし、自己紹介も終わったところで回想に戻る。
男は、壊れかけた小さなビルに入った。気づかれないよう、僕もそれに続く。
誰もいないぼろぼろのビル。もう何十年も前から廃墟なのだろう。床や階段、扉が壊れていた。床の冷たさが、痛いくらいに肉球へ伝わる。それにしても、何故ビルを取り壊さないのだろう。危ないじゃないか。
いつの間にか階段を登りきり、屋上に出ていた。先程の男が、柵に足をかけている。
何をするつもりなんだ?このままだと下へ真っ逆さまだぞ。ああ…しょうがないな。
「おい、人間。」
「…?」
「そこのお前だ。この僕の姿が目に入らないのか。」
男はまだ辺りを見回している。
まだ気付かない馬鹿には、猫パンチとやらをお見舞いしてやろう。
バシッ
「え!?痛いっん?猫?」
「さっきから声をかけているだろう。お前、なにをしている。」
「…自分の人生を、終わらせにきました。つまり、自殺です。止めたって無駄っすよ。」
「いや、止める気なんてさらさらない。」
「ひどいなあ。じゃあなんですか?」
「お前、死ぬ前に今までの自分の人生を、見る気はないか?」
あれ?僕は何を言って…。いや、でもそう言わなきゃいけない気がしたんだ。
「…そんなのやってもしょうがないです。死ぬんですから。」
「案外面白いものだぞ。」
「本当にいいんです。俺の人生、つまらないので。」
見た目によらず、神経が図太すぎる。見せてやると言っているんだ。ありがたくそうさせてもらえばいいじゃないか。
「見た方が、後悔が消えるかもしれないぞ。」
「後悔…?そんなのありません。」
「いや、あるはずだ。なかったとしても、あとは死ぬだけなんだ。少し寄り道しても構わないだろう?」
こっちは仕事がかかってるんだ。お前に見てもらわないと困る。
「じゃあ…わかりました。」
よし。私は目を閉じる。
バタンッ
男が倒れた。近くに寄り、自分と相手の額を合わせる。…お、だんだんと記憶が見えて来たぞ。
*
*
*
「生まれました!元気な男の子ですよ!」
赤ん坊が泣いている。あれは俺か?
自分だと思われる男の子が、目の前ですくすく成長をしていく。
小学校の入学式。野球で負けたあの日。初めて親に反抗した夜…
全て俺の記憶そのままだ。覚えてないこともあるが、自分の人生が鮮明に流れていく。
昔の彼女。高校からの親友。こいつ、今でもこんな俺の友達やってくれてんだよな。高校生は1番楽しかったなあ…。
あれは…
18歳。大学受験を間近に控えた俺が、部屋で泣いている。そうだ。あの頃は母さんが亡くなった時期だ。
母さんっ子だったから、辛かったな…。受験どころではなくて、落っこちちゃったんだっけ。
また背景が変わる。10年ほど前だ。あいつと喧嘩をしている。たった1人の親だが、父と思ったことはない。喧嘩の原因は俺のリストラだけど、そんなに怒鳴ることなかったじゃないか。
背景が白くなる。
「余命半年です。」
ああ、病院か。そうだ、俺は病気になっていて、もうすぐ死ぬんだった。
今思えば、やっぱりつまらない人生だったなあ。見返すんじゃなかった。
「まだ続きがあるぞ。」
あの不思議な猫が、いつの間にか隣にいた。空間を見渡す。俺が知らない背景だ。60代程の男の人が泣いている。
「お前が死んだ後に、実際起こる出来事だ。」また、猫は言う。
でも、やっぱり知らない場所…いや、ここは、俺がよく知っている場所だ。泣いていた男の人が、ゆっくり顔をあげる。嘘だ。そんなはずは…。10年も疎遠だったが、あの顔は忘れていない。あいつだ。母さんが亡くなる時でさえ小説を書き続け、最後を看取らなかった、小説家。家族に酷いことを沢山言っていたのに…「あの人、不器用だから。」
と、母さんは許していた。言いたいことを言って、甘えてばかりのあいつが、俺は嫌いだった。
「優一…」
ふん。今まで一滴も涙を流さなかったくせに。俺が嫌いなくせに。よく泣けるな。
「優一、ごめんな。こんな父親で。家族を大事にしなくて。こんなんでも、俺はお前を…」
「聞きたくないよ」
耳をふさいだ。今更、偽善者ぶって…何を言おうとしたんだ。
「本当にあの時、お前の父親は、小説を書いていただけだったのか?」
…そうだよ。あいつは、母さんが苦しんでいるのに小説を書いていた。その上死んだ後の母さんに、今まで書いていた小説を…
「贈った、のだろう。」
「贈った?」
不思議な猫は、紙束を咥えていた。
「それは…あのとき、母さんと一緒に。」
「読んでみろ。」
タイトルは…
『美優へ』
…母さんの名前だ。手紙、なのか?
***
美優へ
お前が、この小説を読むことはないだろう。それとも、天国で読んでくれているのだろうか。
感情表現が苦手な私の隣で、ずっと笑ってきてくれていたお前は、もういなくなってしまう。
つい怒鳴ってしまった事があっても、優しく許してくれてありがとう。私と共に生きてくれてありがとう。お前にはまだ、言葉で伝えられていない「ありがとう」が沢山あるんだ。
最後の最後まで、このような形で想いを伝えてしまって、すまない。
心配するな。これから優一と、2人で仲良くやっていく。私と優一は正反対で苦労するとは思うが、ゆっくり時間をかけて、仲良くなろうと思ってる。
では、また。
***
どういうことだ。俺のことが嫌いだったんじゃなかったのか…?だって、いつもあいつは俺に興味がなくて…。
「感情表現が苦手、なんだよな?」
またあの猫か。けど、、
そうだ。あいつは、いつも無表情で、無口かと思えば、急に怒鳴ったりして。母さんに、「不器用ね。」と言われていたんだ。
母さんが死んだあの日も、原稿ではなく手紙を書いていて。喧嘩の後も、必ず「悪かった…」と謝っていて。
俺なんか、都合の悪いこと全部忘れてしまっていて…。
ゆっくり、でも着実と、歩み寄って来てくれていたのに。俺は突き放した。無視をし続けた。
謝らなきゃいけない。もっと、言葉で伝えたいことが、沢山あるんだ。
父さんに。
記憶が終わった。目を開くと、目の前で男が泣いていた。
…なんだ。こいつの人生、そこまでつまらないものじゃなさそうだ。
「俺、生きなきゃ。やらなきゃいけないことができたんだ。」
「行ってこい。」
闇の中を男は走った。父親の墓へ。
僕の回想は終わりだ。しかし、、、帰ってから死んだように眠った男は、今の現状に戸惑っている。今更過ぎやしないか。まあ、いい。
「これから、世話になるぞ。」
「え!?」
ベッドから落ちたままの、ヘタレな男に告げる。
ノラ猫になるなんて、御免だしな。
猫から学ぶ 人生の終わり方 @natsusora0611
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