最終話 物陰のアイドルコール(後編)
こども用の小さなホールに大人たちがひしめく。所狭しと並べられた小さな木の椅子にならって、大きな体の大人達がその空間に詰め込まれている。
座っていても天井が低い。体は確かに窮屈を感じる。そうであるのに不快じゃない。それどころか全員が晴れやかな顔をしている。
「次は、いつも元気な“さくら組”さんの劇です。」
ひらがなで“おおしませんせい”と書かれたワッペンがついた桜色のエプロン。彼女が演劇の題名を読み上げると、一人の男の子がステージに登場した。紙で作られたお面が頭につけられている。
先ほどまで小さく見えていたホールが、少しだけ大きくなったような気がする。小さい体から猛々しくセリフを発する男の子の声が、室内によく響いた。
『さあ、ぼうけんのはじまりだ!』
子どもたちの元気な声と、ときどき聞こえる幸せそうな笑い声。その一つ一つが、ホールの中に終始温もりを与えて続けていた。
さくら組の園児達の“ぼうけん”はそうして始まったのだが、私達にとっての冒険はそれからしばらくして、長い沈黙とともに訪れることになった。
『いったい、どこにいるんだろう?』
時間がぴたりと止まってしまったのは、三人の男の子がそう発した後だった。少し強めに吹いた風が、ガラスの窓に何回か当たった。
「…おやー? いったい、どこに行ってしまったのでしょうかー?」
ナレーターの“おおしませんせい”は優しく沈黙を破ると、マイクに入らないようにしてステージの方にも声をかけている。
ステージ上の子どもたちがそちらへ顔を動かすのに合わせて目を向けると、顔を真っ赤にした女の子が両手を強く握りしめて立っていた。頭についているお面の小鳥の青色が、やたらと映えて見えた。
“おおしませんせい”は優しかった。けれど子どもたちと一部の大人たちはそうではなく、小さくざわめいている。 “おおしませんせい”は深く息を吐くと、少女の隣にいた黄色い小鳥のお面をつけた女の子に、「どうぞ」というようにして手を差し出した。
『ここにいるよ!』
と、“黄色い小鳥さん”は言った。
“青い小鳥さん”の目から、涙が溢れ出した。青い顔ではなく赤くなった顔の方から。“あらいなお”と書かれた胸の名札が、うつむいてしまって見えなくなった。
小さいころから引っ込み思案で人前に出ることをしようとしなかった奈緒は、私にそっくりだった。似てほしくないところばかりが似てしまっていた。自分の性格がこうだから、損をしてきたことがたくさんあった。だから自分と同じような道を歩んでほしくなかった。それでも彼女は、ふと目をやるといつも一人で遊んでいた。
もちろん、それが小さい頃のことだというのは分かっている。もうその少女は二十歳になって、それが私の知っている彼女でないということは、当然理解している。
それでも、なのだ。
隙間風が吹くような古ぼけた病院で、しかし誰よりも温かく迎えられた彼女。
私の指を力強く握った可愛らしい手。
いつの間にか大きくなって、一緒につなげるようになっていた手の温もり。
隣で一緒に歩いた夕暮れ。
ハイハイをすればいつもどこかにぶつけていた頑丈な頭。
年月が過ぎても変わらなかった、その時の泣き顔。
母親に叱られた後のすすり泣くような泣き声。
言うことを聞かない私にお説教をするしかめっ面。
悩んでいたこと全てを一瞬で吹き飛ばしてくれた、天使のような笑顔。
私が離れていくのを、ただ黙って見つめたその瞳。
そのすべてを、私は知っている。
指導されては泣いていたレッスンのこと。
終始怖い顔で客席を睨みつけていたお披露目会。
俯きすぎて顔がほとんど映らなかったテレビ初出演。
声が小さすぎて聞き取れず、マイクの音量を極限まで上げられたバラエティ番組。
もちろんそれも知っている。
そんな君が、いまそこにいる。
確かに私が出会えるのは、今の奈緒でしかない。成人して、大人になって、アイドルとして、一人の女性として、一人前に近づいている彼女でしかない。
けれど私は“今このとき”に至るまでの奈緒を見ていた。そこにあるストーリーに心が動かされていた。大きくなることへの嬉しさと、遠くへ行ってしまうような寂しさとの葛藤こそ、成長への感動だ。
私の意識はアリーナへと戻っていた。
会場には闇が訪れている。小さく光る複数色のサイリウムが、その中にある不安を期待に替えてくれているようだ。希望の光だと言われれば、そう見えなくもない。
初めて披露される新曲は、この地球上にいる誰もが
空気に溶け込むような音だったので気付かなかったが、どうやらイントロが流れ始めている。少しずつ周りがそれに気付き始め、客席からは徐々に音が止む。サイリウムの揺れがゆっくりとおさまる。
まるで嵐の前の静けさのように、何かを予感させながら繊細なピアノの音が紡がれていく。それとともに自分の中に湧き上がるもの。そこに意識を向けながら、耳を澄ませる。
神秘的な紫色の光がステージをぼんやりと照らした。まるで魔法の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚。ステージにはミストがたかれ、霧の中から一人ずつ小さな妖精達が現れてくる。
バン、という打楽器の音。それを合図に鳴り響くハイテンポな音楽に合わせ、激しいダンスが始まった。ステージに応えるようにして、歓声は強く、サイリウムの動きは激しくなる。
歌声の力強さは、その歌詞によるものだろうか。今までの楽曲とは違った“強さ”がある。何かに立ち向かう強さ、何かを受け入れる強さ。それを、正面からぶつけていくような曲。
ステージ上に笑顔の者は誰もいなかった。その様相はこれまでのポップな楽曲と一線を画している。
もう一度、2年前のお披露目会を思い出していた。笑うに笑えない、あのこわばった表情。あのときと同じように見えて、全く違った。
表情の中に恐れや怯えを感じない。その目はまっすぐに前を向き、目指すべきものをしっかりと見据えている。
笑えないのではなく、笑わないのだ。
そこにあるのは圧倒的な意志の強さ。
髪を振り乱し、
衣装を荒々しく揺らし、
決死の形相で踊る。
踊る。
踊る。
踊る。
呼吸の乱れまでもが音響を通して伝わってくる。
同じスピーカーから聞こえてくる歌声は、魂の底から叫びあげられている。
――――――――――
自分にできると信じた時から
過去の傷は全て消えてしまう
光も闇も永遠ではないから
生きるというのはいつも今このとき
――――――――――
迫力のあるパフォーマンスの中心に、奈緒はいた。
この声が届いているかは分からない。
この姿が見えているかは分からない。
私のことを、覚えてくれているのかも分からない。
それでもよかった。
ただ伝えたいだけだから。
君の声は届いているよ、と。
歌が、ダンスが、言葉が、
その内なる声が。
私には確かに届いているよ、と。
ただそれを伝えたかっただけなのだ。
君は確かにそこにいて、私は確かにここにいる。
君がそこにいてくれるから、私がこうしてここにいられる。
だから、そこにいて欲しいのだ。
君がいてくれて、嬉しい。
君がいなければ、ダメなんだ。
“ああ…”
桧山さんに聞いた質問を悔やんでいた。
“「なんでアイドルだったんですかね。」”
理由なんて決まってるじゃないか。
君が、必要なんだ。
あらためて私はステージを見た。そこに立っているのは当然ながら、幼稚園児ではない。立派な二十歳の大人の女性が、しっかりと自分の足でステージに立っている。
音楽が一度止む。その瞬間はまるで永遠かと感じるほどに長い。
そこには私とスポットライトの当たった奈緒だけがいた。彼女がこちらに
音楽が再び鳴り始めるとともに、ステージに照明の演出が踊りだす。
色とりどりの光に照らされ、数々の声援に支えられるその存在こそが、アイドル。
歌って踊るだけでなれるわけじゃない。
メンバー、スタッフ、楽曲、ファン、声援、音響、照明、ステージ、グッズ、サイリウム。
それぞれに囲まれて初めて存在できるもの。
今この瞬間、この場所で、一人の少女がアイドルになる。
“そうはいっても、届くものなら届いてほしい。”
雄叫びを上げ続ける二人に挟まれる中でそう思い至ると、私は超絶大きく息を吸い込んだ。
物陰のアイドルコール 大黒 歴史 @ogurorekishi
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