第20話
基樹の車が第2駐車場に入ってくる。
あの中には、ユキを北海道へ連れて行く魔法使いが乗っているのだ。
俺は、濃紺の着物に身を包んだ魔法使いの姿を思い出した。
死神かよ、くそ。
俺達の姿を見つけた基樹は、目の前で停車し、窓を開けた。
車内では暖房をきかせていたのだろう、開けた窓から暖かい風が流れてくる。
「ユキちゃん、もう行くの?」
助手席から姉が窓から身を乗り出す。
ユキは姉の方へ駆け寄った。
「ああ、そろそろな。イチカ、たくさん世話になったな。ありがとう」
「あたしも楽しかった。ありがとう、ユキちゃん」
姉の目が潤んでいる。
ユキはぐるりと運転席の方へ回った。
「『下僕』もココに連れてきてくれて、ありがとう」
基樹は車内で説明を受けたのだろう、『下僕』という言葉に笑うこともなく、真剣な表情でユキを見つめている。鼻の頭が赤い。きっと、泣くのを我慢しているのだ。これで案外こいつは涙もろいのだ。
「ユキちゃん……、頑張ってね……」
案の定、それだけ言うのがやっとのようだ。
「では、参りましょうか」
ドアの開閉音はなかったはずなのに、気付くと魔法使いはすでに車から降りていた。
「女王、ご準備はよろしいでしょうか」
魔法使いがユキに手を差し伸べる。そしてユキは何のためらいもなくその手を取った。
「ああ。もう覚悟は出来た」
何だよ。触れちゃいけないんじゃないのかよ。魔法使いはやっぱ特別なのかよ。
その視線に気付いたのか、ユキは一度魔法使いの手を放し、手持ち無沙汰気味にヘッドライトを撫でていた俺の方へ駆け寄ってきた。
「妬くな、レイジ。魔法使いの手は特別なんだ。でも、最期だから、お前も特別だ。ちょっとかがめ」
「――は? 別に妬いてなんか……」
そう言いつつ、身をかがめ、ユキの身長に合わせる。
その瞬間に唇が重なる。(恐らく)人生初となるキスは、氷のように冷たかった。
「っつっめてぇ……」
「っあっつぅ~……」
俺達は同時に唇を押さえる。
運転席と助手席では、目の前でいきなり起こった出来事に唖然としていた。
「だ、大丈夫か? ユキ……。俺の口、そんなに熱かったか?」
「表面温度の問題ではないのだ。レイジこそ、大丈夫か?」
「や、俺は大丈夫だけど……。人間に触ったら、弱るんだろ? お前……」
「最期だからな。レイジは特別だ」
人間に触れたせいだろう、真っ赤になってしまった唇で、ユキはニィっと笑った。
「お前も特別だよ。でも、俺からは触んねぇぞ」
そう言って、両手をあげる。
「頑張って来い、女王様」
「ああ、立派にやり遂げてみせる。こっちに届くのはまだ先だと思うがな」
ユキは最後に俺のチェーンをつかみ、大きくジャラジャラと振った。まるで、別れの握手のように。
チェーンから手を離すと、俺から目をそらさずに数歩後退りし、一度、ゆっくりと瞬きをした。そして、魔法使いの方へ向き直ると、再度差し出された手を取る。
魔法使いとユキを囲むように、砂埃が渦を巻いて舞う。目を凝らしてみると、魔法使いの足が徐々にその砂埃と、いやおそらくそれを舞わせている風と同化していくようだ。
ユキの身体は、その風によってふわりふわりと浮かびあがる。
毛皮のような白い衣服がほんのりと発光し、透き通るように白い髪は、風のままに漂う。
魔法使いが完全に風となり、ユキは大きな白い光の塊となって、海の向こうへ消えていった。
風が止み、しばらくは、海の音だけが聞こえていた。
やがて、1台のトラックが通り、その音で、現実に引き戻される。
「行っちゃったな……。ユキ……」
ユキが消えていった方をじっと眺めていると、「おい!」と基樹の声がした。
「乗れよ。寒いだろ」
「そうだな。何かいまさら寒さが込み上げてきたよ」
そう言って、車内に乗り込む。エンジンは切っているはずなのに、車内はとても暖かく、その温度差で鼻水が垂れてくる。
「ほらよ、ティッシュ。一華さん用のは柔らかいやつだけど、お前のは、フツーの、やっすいやっすいやつだからな」
「うるせぇな、わかってるよ」
一言多いのは基樹なりの優しさだろう。俺もそれに乗っかる。
ティッシュを引き出し、鼻をかむと、それにつられてか、涙が溢れてきた。
姉と基樹に気付かれないよう、派手な音を立てて鼻をかみ、素早く涙も拭う。
その様子は、恐らくバックミラーで丸見えだったのだろうが、姉も基樹も、何も言わなかった。
しばらく車内は無言で、ティッシュを引き出す音と、それで鼻をかむ音だけが響いていた。
この沈黙を破ったのは、姉の鞄の中から聞こえてきた着信音だった。
「――もしもし。あ、着いた? えーとね、うちらは第2駐車場にいるけど……。来る? うん、わかった。白のミニバン……って言っても、あたしらしかいないからすぐわかると思う」
そう言って、通話を終えると、またスマートフォンを鞄にしまいながら、「魔法使いの息子、こっち顔出すって」と言った。
魔法使いの息子――祥太朗さんが運転する赤いRV車が第2駐車場へ入ってくる。
俺は、基樹が小声で「負けた……」とつぶやくのを聞いた。果たして何に対する敗北なのかはわからなかったが。
RV車が基樹のミニバンの運転席側に駐車した。窓が開いて若い男性が顔を出す。
「父さん間に合っただろ?」
この人が……魔法使いの息子か。この人は普通の恰好なんだな。
「間に合った間に合った。間に合いすぎてびっくりしたわ」
「あの人、本気出したら地球の裏側まで一瞬だからな」
そこまで言って、祥太朗さんは姉の奥にいる基樹に会釈する。
「えーと、弟……?」
「違います! 弟は後ろッス! 俺は……」
基樹は必死に否定した。俺は、恋人、とまた言おうとしたのだろう、ちらりと姉を見る。姉はにこりと笑って拳骨を構えた。
「弟の友人の……唐橋ッス……」
「成る程」
どうやら2人の力関係は理解したようだった。
「じゃ、君が弟か。どうも。着物のおっさんの息子の祥太朗。あのおっさん、見た目ちょっとアレだけど、ちゃんとした魔法使いだから、安心して」
「どうも……。弟の礼二です」
見た目がちょっとアレ、というのはおそらく……いや、十中八九、着物のことだろう。
何が『ちゃんとした』なのかはわからないが、あの風になる様子を見れば、只者ではないことぐらいは俺にだってわかる。
「ちょっとちょっと! 『ちょっとアレ』って何よ!」
「そうよそうよ! 『おっさん』じゃないでしょ!」
向うの車内がなんだかがやがやしている。見ると、女性2人が運転席の祥太朗さんに向かって野次を飛ばしているようだ。
「ちょっ、恥ずかしいから止めろ! ほら、見られてんぞ!」
祥太朗さんがそう言うと、女性2人は急におとなしくなる。運転席側の後部座席の窓が開き、彼女達が顔を出した。1人は見たことがある。
「魔法使いの妻の佳菜子ですー」
「祥太朗の妻の千鶴でーす」
「――妻? 祥太朗さんの?」
あまりの衝撃に、思わず声が出る。基樹に至っては二度目の「負けた……」発言だ。
だから、何に対してなんだよ。
「――え? だって、見た感じ、すげぇ若いのに……」
「若いも何も、あたしと同い年よ。さっきお父さんも大学でお世話になって、って言ってたでしょ」
姉はしれっと言った。
「千鶴ちゃんも同い年なんだっけ? 初めましてー。櫻井~、可愛い嫁じゃん」
「可愛いだなんて~。ありがとうございます~。同い年ですよー。よろしくお願いしますぅー」
「でしょー? 可愛い嫁なのよ~」
この女性陣には『謙遜』という言葉はないらしい。
「あ、あれ、もしかして『さくらいかなこ』さん? こないだテレビで見ました! 俺!」
基樹はいまさら気が付いたらしい。
「あらー、恥ずかしいわー」
「ちょっと皆落ち着こうぜ」
祥太郎さんが女性陣に声をかける。
「夏木、とりあえず、どっかで飯食おう。俺ら昼飯まだなんだ。つうか、お前らもう食った?」
「ううん、あたし達もまだ。唐橋君、どこか良いとこあるかなぁ」
「ええとですね、ここから少し行ったところに海鮮が食べられるお店がありますよ。そこはどうでしょう」
返答が早い。おそらく、あらかじめ調べておいたのだろう。抜け目のないやつ。
「良いわね。櫻井、そこでも良い?」
「俺はどこでも。んじゃ、そっちについてくわ」
基樹は車のエンジンをかけ、アクセルを踏む。車はゆるやかに発進した。
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