第7章 ユキと魔法使い
第19話
***
「――もう! なんで繋がんないのよ! 何やってんのよ! 礼二!」
一華と基樹は館内を小走りしながら、礼二を探していた。
一華はずっとスマートフォンを耳に当てている。留守番電話サービスに切り替わるたび、忌々しく舌打ちをして、再度掛け直す。
基樹は何の説明もないので、とりあえず一華にくっついているだけなのだが、とにかく何か緊急事態だという雰囲気だけは察したようだ。
あの子、病気だって言ってたしな。と、いまさら思い出す。
「一華さん! 外かもしれないですよ! いったん出ましょうか?」
「外……。そうね、行きましょ!」
このどさくさに紛れて手を繋ごうと右手を差し出したが、違う意味に受け取ったらしい一華は、自分のバッグを基樹に託すと「ありがと」と言って、出口へ向かって駆け出してしまった。
「……お、お任せくださぁい!」
この時、少しがっかりしながらも、コレも悪くないなぁなんて思った基樹は、「俺って、根っからの下僕体質なのかも」とつぶやいてからその背中を追った。
***
「お前誰だよ! ユキに近づくな!」
俺は突如目の前に現れた着流しの男に向かって言った。
男は濃紺の着流しに、同色の羽織姿である。
この寒空の下、こんな恰好で寒くないのだろうか。
涼しい顔をしてこちらを見つめる切れ長の瞳。すらりと長身のその男は、男の俺から見ても見とれるほどの美男だ。だからといって怪しくないとは言えない。
「紹介が遅れまして申し訳ありません。僕は、魔法使いです」
「――は?」
呆気にとられる俺とは対照的に、ユキは安心した顔をしている。
「そなたが魔法使いか。よくぞ来てくれた」
「――え? ユキ? 知り合い?」
そりゃユキだってファンタジーの世界の生き物だけどさ、魔法使いはないんじゃないのか? どう考えたって怪しすぎるだろ。
「この者は、知らないがな。ただ、魔法使いは知っている。何代か前の女王もたいそう世話になったと聞いている」
「世話に……?」
「いえ、僕はただお運びしただけですよ。さて、どう致しますか、女王? あなたがそれを望むなら、北の大地へお連れ致しますが」
「そうだな……。頼む……」
「ちょ、ちょっと待てよ! どんどん話進めんなよ!」
1人だけ取り残されている俺が魔法使いに向かって叫ぶ。
「そうか。君には話が伝わってなかったのか。僕はね……」
「いたぁぁぁぁああああぁぁぁっ!! 礼二ぃぃぃぃいいいいぃぃぃぃっ!」
魔法使いの言葉をかき消すほどの大声が、背後から聞こえる。
聞きおぼえのありまくる声の中に自分の名前があることに気付き、振り向く。
「姉ちゃん……」
「イチカ! 『下僕』……」
「ああ、彼女が祥太朗の知人の……」
姉は『下僕』である基樹を従えて、全力疾走だった。歩き回ることを想定してスニーカーを履いていたのが勝因だろう。しかしどうして基樹が姉ちゃんのバッグを持ってるんだろう。
「ふぅーっ、追いついたぁ」
肩で息をしながらも、まだ気持ちに余裕はありそうだ。この姉は、運動部にこそ所属してはいなかったものの、俺とは違って、運動が苦手なわけではない。
「えーっと、ふぅ、櫻井のお父さんですよね? あたし、同じ学部の夏木一華と申します。こっちは弟の礼二です」
「――え? 知り合い? 姉ちゃんも……」
「アンタ、ちゃんと挨拶しなさい!」
「あ、えっと、弟……です……」
「僕は、一華さんの恋……ごふぅっ……『下僕』……の唐橋……です……」
ちゃっかり姉の隣に並んだ基樹は、彼女からの容赦ない肘鉄を食らわされ、背中を丸めている。
「初めまして。大学で祥太朗がお世話になっております。父の信吾と申します。先ほど、女王よりご依頼いただきましたので、これから北海道へお連れしようと思うのですが」
魔法使いは穏やかな口調で丁寧に話す。
「ユキちゃん、もう行くの?」
姉は、俺のチェーンを弱弱しく左右に振るユキに言った。
「そうだな……。でも……」
チェーンをぐい、と引っ張る。
「――お?」
「そなたがいるのなら、そんなに焦らずとも良いな? 少しだけ、待ってくれるか?」
信吾と名乗った魔法使いは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににこりと笑った。
「もちろんです。あなたがそうおっしゃるのなら、僕は待ちますよ」
そう言うと、今度は姉に向けて言う。
「もうすぐ僕の家族も到着します。もし、昼食がまだでしたら、皆さんでいかがですか」
「良いですね。唐橋君にもちゃんと説明しないとだし。ごめんね。何も言わずに振り回しちゃって」
やっと優しい顔を見せてくれた姉に基樹は相好を崩した。軟体動物かよと突っ込みを入れたくなるほどにぐにゃぐにゃである。
「いやぁ~。一華さんにだったら、俺、いくらでも振り回されちゃいますよぅ~。ぐふふぇ」
「俺にもちゃんと説明してくれよ。魔法使いが出て来るとか、一切聞いてねぇぞ」
「ああ、そういえば、そうだったね。ごめんごめん。とりあえず、どうしようかな。櫻井が来るまで、寒いし、車に戻る?」
どうせ車に戻ったところで窓は開けるのだが、吹きっさらしのこの場所よりは幾分ましだろう。
「そうだな……。でも……魔法使いさんは……どうしますか?」
基樹の車は5人乗りだが、ユキに触れないように座るには、4人が限界だ。
魔法使いは『信吾』と名乗ったものの、俺は『魔法使いさん』と呼ぶことにした。
「僕のことは、気にしないで。寒さを防ぐ方法は、いくらでもあるから」
『魔法使い』という響きだけで、何となく怖いものでも見るような目で見つめていた俺に、彼は優しく微笑む。初対面なのに、気を許しそうになる微笑みだった。
「そうですか……。じゃあ……、ユキ、車行くか?」
「……」
俺の問いかけにユキは答えない。ただ、チェーンをぐいぐいと引っ張っている。
こっちに来いという意味だろうか?
「何だ? 言わなきゃわかんないぞ。そっちに行けばいいのか?」
「……」
ぐいぐい。
どうやらそのようだ。
「わかった。わかったよ。じゃ、ちょっと歩くか。姉ちゃん、俺らちょっとこの辺ぶらぶらするからさ。なんかあったら連絡するわ」
俺はユキに引っ張られながら、歩き出した。
「はいはい。あんまり遠くに行ったりしないのよ。……じゃ、櫻井のお父さんも車乗りますか? お茶もありますし」
「では、お言葉に甘えて……」
「――ユキ、ユキ! もう引っ張らなくて良いって、ちゃんと歩けるからさ。どこに行くんだ? おい!」
「……」
チェーンを引っ張るのは止めたが、ユキの歩みは止まらない。そして、相変わらず無言のままだ。
だいぶ歩いたように感じたが、まだまだ水族館の敷地のようだ。ほとんど車のない第2駐車場の中を歩き、海の方へ向かう。
「下、岩浜だけど、下りるか?」
その問いには、首を横に振った。とりあえず、やっと意思表示をしてくれたことにホッとする。
「じゃ、ココで良いか? 車が来たら危ないから、あそこの柵まで行こう」
首を縦に振る。
数歩歩き、転落防止の柵まで行く。海が良く見える。波がやや高く、荒れている。
「どうしたんだ? ユキ。俺、怒ってないからさ。何か話してくれよ」
ユキはチェーンを握りしめたまましばらく俯いていたが、顔を上げ、海を見つめた。
「私は――」
小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。波の音でかき消されてしまわないかと気が気ではなかった。せめて、車のエンジン音は、と思ったが、第1駐車場でさえ空いているのだ。その心配はないだろう。
「レイジに出会わなければ良かった……」
絞り出すように言ったその言葉に、胸がぐっと締め付けられる。
何で……、と言いたかったが、ユキが話すのを止めてしまわないように、こらえた。
「出会わなければ、ただ、雪を降らせることだけを考えていられたのに……」
ユキの声は震えていた。
きっと、泣いてるんだ。
でも、その顔を見てはいけない気がして、俺は海を見ていた。
歯を食いしばり、力いっぱい柵を握る。身体中に力を入れていないと、つられて泣いてしまいそうだった。
「レイジは、冬が好きだと言っていたな。雪も好きでいてくれるか? 冬の間しか生きられない私の子ども達だ。迷惑をかけることもあるだろうが、春までの辛抱だ。耐えてくれ」
出会ったころのユキは、もうすぐ死ぬことを何でもないことのように語っていた。
でも、いまは……。
「ユキ……。俺は……雪も好きだよ。お前のことだって、最初は……変な奴だって……思ったし……、面倒くせぇって思ったりも……したけどさ……。でもさ……、お前のことだって……好きだよ……」
身体を震わせながら、噛みしめるように、言う。
声に力を入れた分だけ、泣くのを抑える力が弱まり、ぎゅっと閉じた瞼から涙がボロボロとこぼれる。
一度出ちゃうと、駄目だな。抑えがきかない。
「そうか……。良かった……」
そう言うと、ユキは俺の方を向いてにこりと笑った。
「レイジ、泣いているのか? しっかりしろ」
「お前に言われたくねぇよ。ユキだってさっき泣いてただろ」
柵を握りしめていた手を放して、甲で涙をぬぐう。手はだいぶ冷え切っている。
「泣いてなど!」
涙はすっかり風に飛ばされていたが、目の端は赤い。
「――さて、そろそろ行くかな」
チェーンから手を放し、柵に両手をついて、背中を伸ばす。
「そうか……」
「最期にレイジと話がしたかったんだ。悪かったな、お前は寒いのにな」
「寒くなんかねぇよ……。そのために厚着してきたんだ」
「ありがとうな。たくさん、世話になった。『母さん』と『父さん』にちゃんと礼を言えなかったのが心残りだが……」
「……俺からちゃんと言っとくから、気にすんな」
「イチカと『下僕』にも言っておいてくれ」
「待て、姉ちゃんと基樹はすぐそこにいる。魔法使いさん呼ぶときに一緒に来てもらうから、それは自分で言え」
「そうか……」
ポケットからスマートフォンを取り出す。姉からの着信が12件。時間的に、コレはユキを追いかけていた時の物だろう。着信履歴からかけようとして、一度手を止める。
「――ユキ、良いんだな? 呼ぶぞ?」
ユキはまたチェーンを握り、首を縦に一度振った。
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