第13話
「まだ暗いかな。もう少し明るくしようか」
そう言って、ガラス越しの炎に右手をかざす。すると、炎の大きさは変わらないのに、光だけがどんどんと強くなる。
「いや、これはちょっと明るすぎ……。眩しい……」
「じゃあ……、これくらい……かな」
光の強さを少しずつ調節する。これはどうやってやるのだろう。
「これは、君にはまだちょっと厳しいかもしれない」
表情で読み取ったのだろう。祥太朗が尋ねる前に信吾が言う。
「厳しいって?」
「これはね、炎の大きさが変わっていないように見えて、実は、そうでもないんだ。でも、この中でこれくらいの光を出せるほどの大きさにしたら割れちゃうだろう? じゃあ、その『大きくなった分の炎』はどこへ行ったかというと――」
そう言って、炎に近づけていた右手を離すと、光の強さは弱くなった。最初にランタンを点けた時の強さだ。そして、その離した右手をひらひらと振る。
「この中だよ」
「やっぱりそこか……」
「そう、炎の大きさだけを、手の中に溜めておくんだ。で、調節するときはランタンから光を吸収する」
まるで何てことないように、さらりと説明する。
「で、俺には厳しいってのは?」
「火だからね。熱いと思うよ、相当。僕は平気だけど」
魔法使いの手はぎゅっと握るとスポンジのようになっている。もちろん、強度や機能は普通の手と変わらない。このスポンジ状の手の中に、あらゆる物質を溜めておくことが出来るのだ。量については、魔法使いの技量によるのだが、信吾ならば、海を丸ごとだって容易いだろう。そして、この手に溜めた物質を操作することが魔法使いの『魔法』なのだ。
信吾は両手がスポンジ状だが、祥太朗はというと、人間とのハーフだからか、まだ右手の第二関節までしかスポンジ状になっていない。しかし、これでも、高校生の時に比べたら成長した方である。
「熱いと言われるとなぁ……」
祥太朗は自分の右手をまじまじと見つめる。この手が完全に『魔法使いの手』になる日は来るのだろうか……。
「指は熱さに耐えられると思うけどね。手のひらにも伝わってきちゃうだろうから」
「たしかに厳しいな、いまのままだと」
炎の調節は『手』が出来上がってからだ、そう思い、砂利道を歩き続ける。
通常よりも明るいランタンの光を頼りにしばらく歩き続けると、視界の隅に一瞬白いものが見えた。
「――ん?」
急に歩みを止めた祥太朗に信吾が問いかける。
「どうしたの?」
「いや……。なんかいまちらっと白いものが浮かんでるように見えたんだけど」
白いもの……。まさか幽霊とかじゃないよな。
自分で言っておいて、背筋が寒くなる。
「白いものかぁ。ちょっと見に行ってみようか」
「えっ……、行くの?」
自分から言い出したのに、祥太朗は少し腰が引けている。
信吾はランタンの炎に手をかざし、光の量をギリギリまで絞る。足元が何とか見える程度だ。
祥太朗は辺りを見回し、白いものを探した。
光が弱くなると、一気に闇が押し寄せてくる。
自分の身体も闇に飲み込まれてしまうような気がして、祥太朗は何だか恐ろしく感じる。
やがて、濃紺の空と同化している木々の隙間の闇の中に、一本の細く白い柱が浮かんでいるのが見えた。
「あった……。白いもの……。柱……? もしかして……」
祥太朗は背負っていたリュックの中からデジカメを探した。
どこに入れたんだっけ。こっちのポケットか?
いや、たしか、さっき使って、ケースに入れて……。
くそっ、こんな時に……!
リュックを逆さにせんばかりのパニック状態で大捜索をしている祥太朗に向かって、信吾が冷静に指摘する。
「ねぇ、そのベルトループに引っかけてるの、そうなんじゃない?」
「――えっ? あ、ああ、そうだった……。馬鹿か俺は……」
ガクッと脱力する。
そうだ、さっき使った後、ケースについているカラビナでベルトループに引っかけたんだった。
これならすぐに取り出せるな、なんつってさ……。意味ないじゃん……。
「ほらほら、こんなところでへたり込まないで。写真、良いのかい?」
信吾の声で我に返る。そうだ、あれを撮らないと……。
「サンキュ、父さん。ちょっとココで待っててくれないか」
「わかった。足元危ないから、コレ、持っていきなよ」
そう言って、ランタンを手渡す。
父さんは良いのか? と聞こうとしたが、信吾は右手に炎を溜めてあるのだ。いざとなったら、それを使えばいい。そもそも魔法使いに見えないものなどない。
ランタンを受け取り、ゆっくりと歩く。
もしかしたら、あれは『氷柱』なのではないだろうか。
もしあれが『氷柱』だとすると、相手は雪虫だ。なるべく音を立てないように、出来るだけ気配を消して近づく。
近づくと、その白い柱は、遠くで見るよりもずっと明るかった。まるで、月の光を全て吸収し発光しているかのようだ。
デジカメのズームを最大にする。ちょっと高かったが、新しい機種を買ってよかった。
フラッシュがオフになっていることを確認して、シャッターを押す。
ちゃんと写っているだろうか。撮ったばかりの写真を確認したかったが、長いことこの場にいると、自分の体温が雪虫達に伝わってしまう気がして、視線は『氷柱』をとらえたまま、数歩、下がった。
写真は思ったよりよく撮れていた。良かった、と、ホッと胸をなで下ろす。
『氷柱』はもう終盤に差し掛かっているようだった。柱は下の方から崩れていく。ガラガラと音まで聞こえてきそうだった。
何が行われているのかはわからないが、あの白い柱の下には、無数の、光を失った、ただのアブラムシ達の死骸があるのだ。いまは風が吹いていないので、真下に積もっているのだろう。雪のように。
「なぁ、雪虫って、雪を運んでくるんじゃないのか? お前達は、ここで死んじまって、それで良いのか?」
闇に紛れて見えない、柱の下の死骸達に向かってつぶやく。返事がないことぐらいわかっている。
やがて、柱の光がすべて消えた。完全に消える前に、雪虫にしては大きな光が、月に向かって飛んで行くのが見えた。
「お前が、生き残ったんだな……」
光を見送ってからも、しばらくは月を見上げてぼんやりとしていた。
この写真……、どうしよう。昆虫馬鹿の夏木に見せたら興奮するんだろうな……。
ゆっくりと振り向き、信吾がいる方へ歩こうとして、気付く。
「やべ。何も見えねぇじゃん……」
ランタンを渡してしまったので、信吾の周りは真っ暗なのだ。いや、信吾の手の中には炎があるのだが、それを点けてくれないと、どこにいるのかがわからない。
どうする……。大声で呼びかけるか? たぶん誰もいないと思うけど……。
仕方ない、と思って、祥太朗が大きく息を吸った時、数メートル先にふわっと小さな火柱が上がった。炎に照らされて信吾の顔が浮かび上がる。
「うわっ……」
炎の赤さで染まった信吾の顔はもはやホラーだった。よくよく見ると、にっこりと笑って左手を振っている。しかし、いまはそれが逆に怖かった。
「父さん、びっくりさせんなよ。助かったけどさ……」
ぐちぐちと言いながら、近付く。合流するころには、手のひらの上に立っていた火の柱は消えていた。
「びっくりさせてごめんね。こっち振り向いたのが見えたからさ。明るくしないとと思ったんだけど」
祥太朗からランタンを受け取り、また光をやや強めにして、歩き出す。
しばらく歩き、停めていた車に乗り込む。運転は祥太朗だ。
信吾も運転は出来るのだが、ずっと魔法を使っていたし、と、一応、気を遣ったつもりだ。しかし、信吾にとっては朝飯前なのだろう、いつもと変わらぬ涼しい顔をしている。
しばらく車を走らせ、旅館に着くと、女性陣は2回目の温泉に向かうところだった。大浴場ののれんの前でぱったりと出くわす。
「あーお疲れさまー。あたし達もう一回温泉入りに行くけど、祥太朗達はどうする? 温泉行くなら鍵、預けちゃうけど」
千鶴はルームキーをぶらぶらさせながら祥太朗に聞いた。
「温泉かぁ。だいぶ身体も冷えたし、行くか? 父さん」
「行こうか、僕らも。鍵は……僕も預かった方がいいのかな?」
信吾は佳菜子に聞く。部屋は夫婦ごとに取ってあるのだ。鍵を預かるということは、女性陣は確実に長湯するということだろう。
佳菜子は笑顔でルームキーを手渡す。
お互いの伴侶からルームキーを受け取った亭主達は、荷物を置きに各自の部屋に戻る。どうやら女性陣は、信吾と佳菜子の部屋で過ごしていたらしく、お茶のペットボトルと食べかけのチョコレート菓子がテーブルの上に置いてある。それに対して、祥太朗と千鶴の部屋は彼女の鞄から衣服が飛び出している他は綺麗なものだ。
祥太朗は荷物を置き、浴衣に着替え、貴重品だけを持って部屋を出た。信吾もほぼ同じタイミングで部屋から出てきた。やはり、信吾も浴衣を着ている。
「やっぱり父さんは和服だな」
信吾の普段着は着流しだ。どうやら、佳菜子と出会った時から、ずっとそうらしい。さすがにアウトドアでは着流しだと不自然だ、という祥太朗の指摘で、こういう時はそれらしい恰好をするようになった。本人としては、山でも海でも着流しで問題ないらしかったが。
「僕も、こっちの方が落ち着くな、やっぱり」
信吾は浴衣の胸の辺りをさすりながら、大きく息を吐いた。
祥太朗としては洋装の方が楽だと思うのだが、やはり、慣れというものだろう。
「――じゃ、行こうか」
「背中、流してやるよ」
「ありがとう」
男湯ののれんをくぐり、浴場に入る。身体を軽く洗って、湯船につかると、1日の疲れが湯の中に溶け込んでいくようだった。
窓を見る。そういえばカーテンを閉めていない。そろそろ閉めないとな、と思い、ベッドから起き上がる。
紺色の遮光カーテンの端をつかみ、引っ張ろうとした時、二重窓の奥にある網戸に雪虫が引っかかっているのが見えた。
可哀相だが、取るためには触れなければならない。指で網戸をはじいてもよいのだが、どちらにせよ、この最弱の虫はそれだけで死んでしまうだろう。仕方ないんだ。そう思い、祥太朗はカーテンを閉めた。
お前達の女王様は、津軽海峡を越えちまったぞ。
閉め切ったカーテン越しに、そうつぶやいた。
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