第4章 櫻井家の事情
第11話
「父さんさ、いま良いかな」
祥太朗は一華との通話終了後、そのまま実家に電話をかけた。
最初に出たのは妻の千鶴である。どうやら姑である佳菜子と女子トークをしていたらしく、そのテンションのまま応対された。
いつもならひとしきり近況を話し終えるまで解放されないのだが、今日は佳菜子との話が盛り上がっていたところだったのか、意外とあっさりと信吾に代わった。
「久しぶりだね、祥太朗。元気にしていたかい?」
「うん、まぁ元気。そっちはどう? 変わりない?」
「変わりないよ。それで、どうしたんだい?」
「あ――、あのさ、父さんなら知ってるかと思ってさ。俺の大学の友達がさ、雪虫の女王様に会った……みたいでさ」
「女王様? ああ、懐かしいね。僕も滅多に会えるわけではないんだけど」
「やっぱり知ってたか……」
電話の後ろでがやがやと女性陣がわめいている。
――ちょっと! 信吾さん! 女王様って何? も、もしかして、その、いかがわしいお店の?
――お義父さんってそういう趣味があったんですか……? 祥太朗っ!? アンタもなの?
「大変だ、祥太朗。何か誤解されてるよ。どうしようか」
大変と言いつつも、この父が言うと、あまり大変に聞こえない。
「めんどくさい奴らに聞かれたなぁ。ちょっと母さんに代わって」
「わかった」
がさごそと電話をやり取りしている音がする。程なくして、興奮した声の千鶴が出て来た。
「――もしもし、祥太朗?! ちょっと、女王様ってどういうことよ! 学生の本分は勉強でしょ!」
「あれ、千鶴? 母さんは?」
「お義母さんは後ろでお義父さんを問い詰めてます!」
あちゃー……。
これを阻止するために代わろうとしたんだけどなぁ。まぁ、父さんのことだから、うまいことどうにかするだろう。
などと思いながら、がくりと項垂れる。
――が、いつまでもそうしてはいられない。鉄は熱いうちに打たなければ冷えて固まってしまうのだ。
「あのさ、その女王様なんだけど、別にそういう女王様じゃねぇから。俺、そっちの趣味はねぇよ」
「じゃー、どういう女王様なのよー!」
「本当の意味の女王様だよ。一国の」
一国の、と言ったものの、雪虫の女王様が果たして『一国の』に当たるのかは定かではない。
「どういうことよ」
「あのな、千鶴もある程度こういう話に免疫があるだろうってことで話すんだけど、いま俺の知人の家に、雪虫の女王様が滞在してるんだ」
「――は?」
「は? じゃなくて。雪虫って……わかるか? 雪を運んでくるって言われてる小さい虫。日本だと北海道くらいでしか見られないけど。とにかく、その雪虫の女王様が、人間の姿になって、知人の家にいるんだ。で、父さんなら知ってるかと思ってさ」
「まぁー、半魔法使いの嫁としては? 信じられない話ではないけどぉ……」
「信じろって。父さんも俺も……嫁さん一筋なのわかってるだろ?」
これくらい直球で言わないと機嫌はなかなか直らない。
「……まぁ、そうね。仕方ないなぁ。そこまで言うなら信じてあげる。……向こうも片付いたみたいだよ。お義父さんに代わるね」
お義父さーん、と弾んだ声がする。これで一安心だ。
「ああもしもし。千鶴ちゃん、機嫌直ったみたいだね。良かった良かった」
「まぁな。だいぶ扱い方がわかってきたから。そっちは?」
「こっちも大丈夫だよ。僕だって、慣れたもんだろ?」
「何て言ったんだ?」
「え? 僕も祥太朗もお嫁さん一筋だから心配しないでって言ったんだ」
「……親子だな、やっぱり」
「ん? 何のことだい?」
「良いんだ。それよりさ、さっきの話」
「そうだね。僕もあまり詳しいことはわからないけど」
「わかる範囲で良いんだけどさ。知人の弟がさ、たぶん手違いか何かだと思うんだけど、その雪虫の女王様を道外に連れて来ちゃったみたいなんだよな」
「ふむ……。道外にね……」
「で、人の姿で何してるのかはわかんないけど」
「たぶん……、栄養を蓄えているんだと思うよ。女王は最期に大役を果たさなければならないからね」
「――最期? 大役?」
「雪を降らせるのさ」
「雪? 迷信の類じゃないのかよ」
「もちろん。初雪や山に降らせる程度なら、普通の雪虫でも出来るんだ。でも、根雪になるほどの強い雪を降らせるのは、女王にしか出来ない」
雪虫は雪を運んでくる虫。
北海道での最初の冬に、学友からそう教えられた。
けれどもちろん誰1人として――それはもちろん一度も道外に出たことがないような生粋の道産子も含めてだが――それを信じる者はいなかった。
クリスマスのサンタクロースなんかと同じような存在だったのである。
「女王は誕生すると、その大役を果たすため、栄養を蓄え続ける。雪虫の姿でいるよりも人の姿になった方が色々なものをたくさん食べられるからね」
「成る程……。それで人の姿になるんだな……」
「ただ、道外にいるとなるとちょっと大変かもしれないなぁ」
「大変? 何が?」
「だって、日本で一番最初に雪が積もるのは北海道だろう?」
「そうか……そうだよな……」
「でも、彼女達は力が弱いから、自力で戻ることは難しいと思う」
「そういう時はどうするんだ?」
「近くに僕みたいな魔法使いがいれば風になって連れて行くけど……。あとは運よく北海道行の飛行機や電車にくっついて……かな」
「それも出来なかったら……どうするんだ?」
「その時は……その土地で雪を降らせるしかない」
「何だ……出来るのか……」
そういえば、今年は雪が降りませんでした、なんて年はなかったしな、と思う。
「もちろん出来るさ。女王の力を見くびってはいけないよ。でもね、一世一代の大仕事なのに、先代達は皆、北の大地に雪を降らせて来たのに、自分がそれを出来ないなんて、女王のために身を捧げた幾千の同胞達のことを考えたら辛いと思うよ。いや、辛いなんて僕が軽はずみに言うものではないね」
幾千の同胞達……。
祥太朗は自分が撮った『氷柱』の写真と、授業で見た映像を思い出す。
闇夜にぽっかりと浮かぶ白い柱。
初めて見た学者が氷柱と見紛うほどのおびただしい雪虫達。
彼らは皆たった1つの目的のため――たった1匹の女王をこの世に産み出すためだけにその身を捧げているのだ。
この地に、北の大地に雪を降らせるために。
そして、その女王も、その後は……。
「なぁ……父さん。手伝ってやれねぇかな。たぶん、俺の力じゃまだ無理だ」
「もちろん。息子の頼みとあらば、ね。ただ、女王がそれを望んでいなければ出来ないけど」
「まぁ、そうだよな」
「でも、のんびりもしていられないかもしれないね。ここ最近ぐっと冷え込んできたから。そっちでは今日、初雪じゃなかったかい?」
「うん。降ったよ、今日。じゃあさ、また、動きがあったら連絡するよ」
「わかったよ。僕はいつでも飛んで行くから。じゃあ、身体に気を付けるんだよ」
どうせ近日中に会うことになるのに、親というのは子どもの身を案じずにはいられないらしい。
「『氷柱』……、魔法使いにとっては珍しいことでもなんでもないんだな……」
普通の人間が、その短い歴史の中で稀少な何かを発見したとしても、魔法使いにとってはそう珍しいことでもないのだろう。UMAなんかもさらっと「会ったことあるよ」などと言い出しかねない。
この世の超常現象のすべては、魔法使いにしてみればありふれた現象なのかもしれない。
信吾の性格からして、聞けばきちんと教えてくれるだろう。しかし、それでは何のロマンもないと祥太朗は思うのだ。
オンネトーで『氷柱』を写真に収めた時のことを思い出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます