第9話
注文が終わり、源田が店内へ入るや否や、姉は雑誌を開いた。ユキはお冷を飲みながら、何とか口の中に氷を入れられないか奮闘している。何もしないでいると寒さが倍増しそうで、俺も雑誌を覗き込んだ。
見出しはでかでかと『輝いている女性30人 ① 絵本でこどもに夢を! さくらいかなこさん』と書かれている。
「なー、この人の作品って有名なの?」
「有名有名。ウチらも読んでるよ。母さん、取っといてないかなぁ。『いだいなる魔法使い』って覚えてない?」
「『いだいなる魔法使い』かぁ……。覚えてるような……、覚えてないような……」
「ちょっと女の子向けかもしれないから、あたしだけなのかな、読んでもらったの」
「中身聞いたら思い出すかも。どんな話?」
「あたしも結構うろ覚えなんだけど……。たしか、すごい魔法使いがいて、お嫁さんを探すんだけど、普通の人間じゃないからって断られて、でも最後はお嫁さん見つけてハッピーエンド、みたいな」
内容を聞いてもやっぱり聞き覚えがない。男の子向きではないと判断して、母は読み聞かせなかったのだろう。
「うーん、聞いてもやっぱりわかんないわ。ていうか、それって面白いの?」
これが率直な感想だ。嫁さん探して、断られて、でも見つけて、めでたしめでたし。悪い魔法使いが出てくるわけでもなく、手に汗握るような冒険もない。
「面白いのよ。少なくとも、あたしは。それに、面白くなかったら、この人この雑誌に出てないんじゃない?」
「それもそうか」
本日は、お忙しい中、ありがとうございます。
――いいえ、ぜんっぜん忙しくないんですよ。子供も大学生で家を出ちゃいましたし。
大学生のお子さんがいるんですか? 驚きですね!
――うふふ。主人に似て、とても優しい子なんですよー。こんなこと言うと怒られちゃうんですけど(笑)
ご家族、仲がよろしいようで良いですね。
さて、今回は『輝いている女性』というテーマなんですが、さくらい先生はデビュー作の『いだいなるまほうつかい』がベストセラーになりましたね。
――そうですね。やっぱり私としても、思い入れの深い作品です。
この『いだいなる魔法使い』の続編がこの度再版されましたね。
――そうなんです。出版社の関係で絶版になってしまったんですけど。6年ほど前にこの『いだいなるまほうつかい』を元にライトノベルを書いたんですね、その中で続編があることも書いたら、ぜひ再版を、という声があったものですから。
『魔法使いと珈琲を』ですよね。私も読ませていただきました! あの作品って、先生がそのまま登場されてますよね。
――そうです。あれは息子も主人も、息子の嫁もそのまま出しちゃってます(笑) だって、ノンフィクションですからね。
それは、大丈夫なんですか? いろいろと。
――大丈夫も何も、事後承諾でしたからね(笑) 主人と嫁は笑ってましたけど、息子は相当怒ってましたねー(笑) でも、この家で私に勝てる人なんておりませんから!
さくらい家の力関係が見えますね(笑) でも、ノンフィクションは言い過ぎではないですか? ご主人と息子さん、魔法使いになっちゃってますけど。
――それも含めてノンフィクションですよ(笑)
「何か、あっけらかんとすごいことする人だな」
「ね。まぁ魔法使いの件は冗談だろうけど、家族を実名で出してるんでしょ? これは当事者からしたらなかなかきついよね……」
さくらいかなこのインタビューの上段を読み終えたところでコーヒーとジュースが運ばれてくる。
姉は雑誌を一度閉じて置くスペースを作った。
「お待たせしました。ホットコーヒーとモカのラージです。それから、オレンジジュースですね。パスタはもう少しお待ちくださいね」
源田はコーヒーとジュースをテーブルに置きながら、ユキをちらりと見る。物言いたげな目で。閉じた唇ももごもごと動いている。
「何だ? 私に何か用か?」
彼女的には『ちらり』としか見ていなかったつもりなのだろうが、見られている方からすると『ちらり』ではなかったらしい。ユキが首を傾げて源田を見つめた。
「――いっ、いえいえいえいえ! 別に、その……」
必死に取り繕ってみたものの、気になるものは気になるようだ。そりゃそうだよ。それは源田を責められない。
「先輩、すみません。やっぱりあたし気になっちゃって……」
しかし、直接ユキに聞くのは躊躇われたのだろう。源田は俺に助けを求めてきた。
「気になるって……、ユキのことか? やっぱり」
「はい……。だって、この寒空の下、ノースリーブでお冷飲んで、さらにオレンジジュースですよ? もしかしてパスタもこの女の子ですか?」
この問いに答えたのは姉だった。
「そりゃーびっくりするよねぇ? うんうん。無理もない無理もない。実はね、この子、ちょっと特殊なアレルギーなのよ。熱アレルギーって言ってね。熱い食べ物とか、飲み物とかで身体があったまっちゃうと体調をくずしちゃうの。だから、こういう恰好して、外からも身体を冷やしてるってわけ」
俺も、一瞬信じかけた。何だよ、シベリア出身で切り抜けるんじゃなかったのかよ。
「そうなんですかぁ……。大変ですね……。あ、それならお冷、もう少し持ってきましょうか。氷も多めにとかできますから、言ってくださいね」
源田もどうやら信じたらしい。「氷、もっと!」というユキの言葉に元気よく返事をし、駆け足で取りに行った。
「良い子ね~」
「……まぁ、単純な子なんだよ。良いやつなんだけどさ。――ていうか、さっきの! シベリア人っていう設定はどこ行ったんだよ!」
「だってぇ、こっちの方がもっとそれっぽいと思ってさー。さっきは浮かばなかったんだもん」
「まぁ、良いけどさぁ」
俺はホットコーヒーを啜る。温かく香ばしい苦さが冷え切った身体にじわりと染み込んでいく。ゆっくり味わって飲みたいが、ここだとすぐに冷めてしまうだろう。ならば、熱いうちに飲んでしまった方が得策かもしれない。
姉を見ると、どうやら同じ考えのようだ。一口飲んでからも、カップをテーブルに置くことなく、口元に固定したままである。わかる。暖かいんだよな、口が。
つかの間のホットドリンクで暖を取る俺達の気も知らず、ユキはオレンジジュースを一口飲み、ご機嫌だ。
見てるだけで寒そうだ。
そう思い、ユキから目をそらす。暖かそうな店内を見ると、アイスペールを片手にこちらに向かおうとしていた源田がマスターに呼ばれていた。どうやらパスタも出来たらしい。片手にアイスペール、片手に冷製パスタという、完全に季節を無視した状態で、こっちに向かってくる。来るな、と思わず言ってしまいそうになった。
その手ではドアを開けづらいだろう、と姉がドアを開ける。
「すみません、ありがとうございます! お待たせしました。トマトの冷製パスタです。あと、これ、氷お好きなだけどうぞってマスターからです」
テーブルの上には3人分のお冷と、空になって冷えた2つの湯呑、そして、半分くらいに減ったオレンジジュースと氷がたくさん入ったアイスペール、止めに冷製パスタ。
これが真夏だったら最高なのだが。
そして、この後は冷え冷えのチョコレートパフェも控えている。見ているだけで風邪を引きそうだった。
こんなことを考えてるうちにもコーヒーは冷めていくのだ。温かさが失われる前に、と俺は急いでコーヒーを飲んだ。
ユキは覚えたばかりの『くるくる』を得意げに披露し、口の周りを真っ赤にしながら食べている。
「頼んでおいてなんだけど、いまこんなに食べて、夕飯大丈夫か? 母さん張り切ってるぞ」
「そういえば、この後パフェもあるのよね……」
「問題なーいっ! 私はいくらでも食べられるのだ! 『母さん』のご飯を残すわけがなかろう! ふはははは」
――そりゃ頼もしいことで。
俺はすっかり冷えてしまっているコーヒーの最後の一口を啜った。
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