第3章 カフェ・ダンテにて
第8話
ずっと家にいるのも、という姉の提案で、外に出てみたはいいものの、正直特に行く当てはない。
しかし、ユキの方では室内よりも快適らしい。踊るようにふわふわとはしゃいでいる。
「やっぱり雪虫なんだねぇ。外の方が楽しそう」
姉はそう言って目を細めた。ところどころシャッターの下りている寂れた商店街を歩く。
「――お?」
姉は昔からある小さな本屋の前でぴたりと足を止めた。店先に積んである雑誌を手に取る。
「礼二、礼ちゃん! ねぇ、この人見て!」
手にしているのは女性向けの雑誌だ。俺が注目したのを確認してから『輝いている女性 30人』という特集ページを開く。
そこには『絵本作家 さくらいかなこ』という女性がインタビューを受けていた。どうやらこの人が特集の目玉らしい。
この人は最近、大御所女優がゲストを迎えてトークをするテレビ番組でちらりと見たことがある。癖のある大御所女優にも負けていない個性的なキャラクターがウケているらしく、それ以外の番組にもちょいちょいと出ているようだ。
「この人、テレビで見たよ。何か個性的っつーか、天然っつーか、まぁ、面白い人だよね」
あと、まぁ、わりときれいだよな……。というのは黙っておくことにした。
「そうそう、面白いのよねー」
「で、何? この人が好きなの?」
「いや、この人ね、さっきちょこっと話に出てきた櫻井祥太朗のお母さん」
「――は? え? マジ? じゃあ、この人ウチの母さんとあんまり変わらんの?」
「んー? どうだろ。あ、ここに生年月日書いてる……。――ん? 若っ! この人まだ41だよ? 母さんより10歳近く下じゃん……」
「……」
「……」
「どうした? 2人とも」
ユキが不思議そうに俺達の顔を覗き込む。
「何でもない。何でもないのよ、ユキちゃん。ちょっとココで待ってて。せっかくだからコレ買ってきちゃうから」
何だか疲れたような声でそう言って、姉は雑誌を抱えて店内に入って行った。
「レイジ、イチカはどうしたんだ? レイジも何かおかしいぞ?」
「いや、何でもないんだ。若さがどうとか関係ないよな? ユキは『母さん』のことが好きだろ?」
「もちろんだ。『母さん』は大好きだ」
「……だよな? それで良いんだ」
それで納得することにした。
そうだよ、別に母さんは若くもないし、美人でもないけど、優しいし、料理もうまい。良い母さんなんだ。間違いない。
そう言い聞かせた。
「お待たせー」
ぺたんと薄い紙袋を抱えて、姉が戻ってきた。
「ね、何か飲まない? 近くに喫茶店なかったっけ? まだあるよね?」
『まだ』というのは、この商店街の店舗がちょくちょく入れ替わっているからだろう。
「まだとか言うなよ。それにテラス席がある方が良いだろ? ユキもいるんだし。商店街の喫茶店は暖房ガンガン入れてるぞ」
「あ――……、そっか。テラス席のある喫茶店……カフェ、とか? あるの? この辺」
『あるの? この辺』という言い方に少しカチンとくる。
おうおう、そりゃあ
なんて言っても仕方がない。この辺りが寂れまくってるのは事実だし、いつの間にか出来てたりするオサレなお店なんて蜃気楼のように消えていくのがオチなのだ。
それでもないわけじゃないんだからな。と半ば意地になって考え、ここから少し歩いたところに後輩が働いているカフェがあったことを思い出した。
「じゃ、ちょっと歩くけど、後輩働いてるとこあるからそこにしようか。ユキ、小腹空いてないか? 何か食いに行こう」
「おお! 食べる食べる!」
ユキはぴょんぴょんと跳ね、嬉しそうだ。本当によく食うなぁ、オイ。
10分程歩いて、高校の後輩、源田梨恵がバイトをしているカフェ『ダンテ』に着いた。
「いらっしゃいませー。――あ、夏木先輩! 彼女連れですか~? しかも2人も! やるじゃないですかぁ」
源田はセミロングの髪を後ろで1つに束ね、真っ白いシャツにえんじ色のカフェエプロン姿である。
「どっちも彼女じゃねぇよ。こっちは姉、こっちは知り合いの子」
と、雑にそう説明する。
「そうそう、あたし、おねーちゃんです」
「私はユキだ」
女性陣は我が我がと自己紹介を始めた。源田はその勢いに圧倒されているようだ。
「はは……いらっしゃいませ。えっと、お席は奥の広いところが良いですか?」
「あー、えっとテラス席いいかな?」
「テラスですかぁっ? 今日も結構寒いですけど……」
寒いから良いのだ。いや、俺的にはあったか~い奥の席に通してもらいたいんだが……。
「いや、良いんだ」
「じゃあ、ちょっと待っててもらえますか? 軽ーく拭いてきます。テラス席ってこの時期誰も座らないもんで」
そう言うと、源田は布巾を片手にテラス席へ向かった。テーブルと椅子を念入りに拭いている。悪いことしたかな。
「なーんか悪いわね」
姉が代弁してくれた。
「お待たせしましたー。どうぞ!」
俺達御一行は寒風吹きすさぶテラス席に座る。暖かい店内には、動物園の動物を見るかのような目で、こちらを伺っている客がちらほらいる。
そりゃそうだよ。
俺だって、こんな寒い日にテラス席に座るもの好きがいたら、そんな目で見るさ。
あんまり見んな。くそ。
源田はメニューを持ってくる時にお冷やと温かいお茶を持ってきてくれた。
「さすがにテラスにお冷は厳しいですかね。一応温かいお茶も持ってきました」
良いぞ! 源田! お前はなんて気が利くんだ!
「サンキュ。とりあえず、お茶は2個でいいや。お冷はそれ全部貰っていいか?」
お茶は2人分で、お冷は全部? 源田不思議そうな顔をしたが、深くは追及してこなかった。
「でさ、注文なんだけど、俺、ホットコーヒーのラージ。ユキはオレンジジュースで良いな? あとさ……いま時期って冷製パスタってやってる?」
メニューをぺらりとめくりながら聞く。
「冷製パスタですか。成る程、とことん寒さを追求してるんですね。罰ゲームですか? 冷製パスタは……たぶん出来ると思います。トマトのやつですけど、良いですか?」
「良い、良い。冷製なら何でも。姉ちゃんは何にする?」
「んーと、あたしはカフェモカのラージ。あと、食後にチョコレートパフェで!」
「パフェぇっ?!」
この寒いのに? というのはかろうじて飲み込んだ。だったらなぜここに座ったか、という話になってしまうからだ。しかし姉は察したらしい。小声で「ユキちゃんによ」と言った。成る程。
「かしこまりましたー」
それでも源田は笑顔で応対すると店内へ入って行った。
***
「マスター、ホットとモカ、ラージです。あと、トマトの冷製パスタ、大丈夫ですよね?」
梨恵は伝票を破って、カウンターの中にいる廣田亮二に渡した。
「大丈夫だけど……。テラス席のお客さん? この寒いのに、外で冷製パスタか……。我慢大会か何か?」
「あたしは罰ゲームかなって思いました。しかも! 食後にはパフェもなんですよ。ほら」
「こりゃあ徹底してるね。ここまで来るとぜひこのコーヒーもアイスにしてほしかったな」
と言って廣田は笑った。
身長188、体重は90Kgを超えていそうな巨体に縁なし丸眼鏡と顎髭がトレードマークのこのマスターは、「熊さんみたい!」と小さい子どもからも大人気である。
「それに、あの女の子、ノースリーブですよ? 寒くないんですかねぇ」
「まぁまぁ、寒かったらテラス席になんて行かないでしょ。きっと肌色っぽいの下に来てるんだよ。ほら、フィギュアスケートのみたいな」
「ああ……成る程」
そうは見えなかったけどなぁ……。と思いつつ、梨恵は店内の客のお冷を注ぎに行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます